[1] ポリコレ棒は、政治的に正しいと叫びながら振り回す武器のようです。 ポリコレ棒で武装する集団はリベラルと呼ばれています。 思想統制の一種です。
[12] 最近はなんちゃらレターを送るのが流行っているようですよ。
[3] ANAグループのバニラ・エア、合法的なバリアフリーの当たり屋に遭遇した件で謝罪 : 市況かぶ全力2階建 () http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65896128.html
[4] 2017年にバニラ・エアのタラップを這い上がった車いす客、15年前にもANAに対して行った同様の行為を目撃されていた可能性 - Togetterまとめ () https://togetter.com/li/1124519
[5] 6年前の寄付行為でモジラCEOが辞任、米国も息苦しい監視社会に | JBpress(日本ビジネスプレス) () http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40445
[7] パヨク「ヘイトデモ規制しろ」→新宿区「わかった」→パヨク「やめて!表現の自由守って!」 - Togetter () https://togetter.com/li/1252577
[8] 「OKサインは白人至上主義」という偽ニュース、OKサインを出した警備隊員が任務から外される事態に発展 | スラド IT () https://it.srad.jp/story/18/09/19/0737253/
[10] 山手線新駅「高輪ゲートウェイ」設置のAIナビゲーターに早速ポリコレの洗礼?/「このキャラには「渋谷さくら」という名前が付けられており、年齢、住所、職業なども質問すると答えてくれ(以下略)」 - Togetter () https://togetter.com/li/1482035
[14] 特定の地理的趣味に対する非難に関する違和感は、それが表面的には「帝国主義や侵略の相対化への批判」や「被害者への共感」といった道徳的立場を装いながら、実際には個人の趣味的表現や無害な言動に対し、一方的なレッテル貼りと道徳的優位性の主張を行っている点にあります。
確かに、歴史的に深い傷を残した帝国主義や侵略行為は、現代においても慎重に扱われるべき事象であり、被害を受けた側の経験や声に耳を傾ける姿勢は欠かせません。しかし、それを根拠にして、特定の言動を「内心的な侵略性」の表れとして断罪し、加害性を示唆するような論調は、やや早計ではないでしょうか。とくに、その言動が本来的には歴史的事実や権力性とは無関係な趣味や創作活動、あるいは軽微な象徴の使用にすぎない場合、その批判はかえって恣意的に見えます。
さらに問題なのは、こうした批判が「被害者への配慮」という大義のもとでなされながら、同時に「加害側の子孫」や関係者に対しては無配慮であるという非対称性です。歴史的加害の文脈に属する者は、いかなる文脈でも黙して非を認め続けるべきだという前提が無言のうちに課されているように見えるとき、それは真の共感や対話というよりも、道徳的優越感に基づく規範の押しつけになってしまいます。
何より、その批判が向けられている対象に実際の被害者が存在しているわけではなく、むしろ「誰かが不快に感じる可能性がある」という抽象的な懸念のもとで行われているとき、批判の根拠は個人的な連想や解釈に過ぎず、それを他者に強く求めることには慎重さが求められるはずです。
歴史を学び、反省を深めることは重要ですが、それが個々の自由な言動や趣味の領域まで監視し、正しさを求める口実になってはならないと思います。道徳的な立場を取るのであればこそ、慎み深さと多様な立場への配慮が、より一層求められるのではないでしょうか。