[6] その根拠はなぜかあまり示されないようです。また、月日は明らかではありませんが、 なぜか皇極天皇4年と説明されることはあまりないようです。
[14] 一代要記 (後宇多天皇時代成立) に崩年58とあります。 >>12
[9] 本朝皇胤紹運録 (応永33(1426)年成立) に崩年58とあり、逆算すると孝徳天皇元年が誕生となります。 >>8
[13] >>12 「即位四十四治十年丙申八月一日譲位」、 「崩年五十八」
[11] >>10 この本には年齢なし。「
[16] >>15 この本では「孝徳元降誕」、大宝2年に「崩五十八」とある。 「天武三」皇后に、「朱雀五」即位、「大化三」譲位などとも。
[19] 帝王編年記 にも記載があるといわれることがあります >>18 が、 >>17 の本にはありません。
[21] 扶桑略記 (堀河天皇の頃成立) に、 譲位年が 「生年五十歲」 とあります。 >>20
[22] が50歳とすると、 が1歳になります。
[23] 扶桑略記 の方が古い史料ですが、 この説はあまり取られることがないようです。
[24] >>18 は草壁皇子の出産が15歳となり若すぎると指摘しています。
[25] 国会図書館デジタルでもGoogleでもこの説に言及するのは >>18 くらいで、 あまり真剣に検討されてこなかったのでしょうか。 せめて近世の国学者あたりの考察はあるのではないかと思ったのですが...
[26] どちらの説も初出が院政期・中世というのは大いに不安を感じさせるところです。
[2] 国史大辞典 第3回(さ-そ た-と), 八代国治 等編, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1172030/1/308 右
[3] 言泉 : 日本大辞典 第3巻, 落合直文, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/969161/1/477 右上
[4] 日本古代人名辞典 第4巻 (し・て), 竹内理三, 山田英雄, 平野邦雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2978022/1/17 (要登録) 右