[7] 山田町史, 山田町史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643738/1/709 (要登録)
私年号 1106
昭和60年8月6日千々和到の現地調査: 長嘉元年六月二日、長と元は追刻の疑い。私年号になく経典等からかも? 様式より鎌倉末期
[12] 千々和到の板碑とその時代, の私年号一覧表には掲載なし。
「寛治」は、西暦1087~1094年の平安時代の年号です。「長嘉」という年号はありませんが、「長嘉紀年は私年号で堀河天皇御代西暦千百六年」と解釈され、両板碑は平安時代の板碑として昭和56年6月22日付けで山田町の指定文化財になっています。
これらの板碑の製作年代を平安時代とすることは、以前から疑問があったようです。「長嘉」という私年号の使用例は確認されていないこと。「寛治」の誤読など。年号をどう読むかということよりも、まず成形技法、全体の形、碑面のとり方、天蓋・瓔珞・蓮台の表現法など、当時すでに制作年代のわかっていた資料と比較検討すれば、平安時代の板碑とすることはなかったように思われます。
これまで年代の明らかになっている資料と比較すると、いずれも14世紀後半以降の作と思われます。
[5] 石造物/千葉県, 千葉県, , https://www.pref.chiba.lg.jp/kkbunka/b-shigen/02-02sekizoubutsu/index.html
市町村指定 長嘉板碑外部サイトへのリンク 香取市 室町時代の建立と推定される。
[6] 萬蔵院(千葉県干潟駅)のアクセス・お参りの情報 (曹洞宗)|ホトカミ, https://hotokami.jp/area/chiba/Hkmts/Hkmtstm/Dzrpm/49679/
萬蔵院本堂前の片隅に建つ長嘉板碑といわれている板碑は、これまで年代の明らかになっている資料と比較すると、いずれも14世紀後半以降の作と思われます。
[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 長嘉 - 室町時代 不明 千葉県香取市長嘉板碑
[9] 当該板碑の近くに寛治銘の板碑があり、堀河天皇の寛治とされてきたが、 千々和到の調査で鎌倉末期のものとされた。
[11] 両板碑が現在は室町時代、14世紀後半以降とされるのはその後の研究による?
[13] 板碑が鎌倉時代ないし室町時代に作られたものだとして、 この私年号は堀河天皇の時代をイメージして (もしかすると元号リストを誤読して) 作られたものだろうから、 遡及して設定した堀河天皇時代の元号というべきか。