17:32
「このシルエットの人物は、ナガジスさんなんじゃねーの?」
そんなツッコミをくれたアナタ。
アナタ鋭い!
待って待って! これは騙しなんかじゃないんだ。
ナガジスさんの足が速いんだもん。
私が感無量になって立ち止まっている最中も、どんどん地下へ吸い込まれていきやがる(笑)。
もっとも、あの“灯り”の正体は、私もチョー気になる。
かつて某鉱山で図らずも現役坑道に行き当たってしまったときの気まずさが思い出され、ちょっと息苦しい。
私は、おそるおそる灯りのそばへ近づいていった。
それは、紛れもなく横坑である。
…いや、もしかしたら自分たちの入ってきた方が「枝」なのか?
ほの明るい坑道との接続部は、そのようにも取れる線形である。
事前の予習の少なさから、この現状がなかなか我々には飲み込めなかった。
十数年前にも釜トンを通行しているが、こんな洞内分岐は無かったはずだ。
どう考えても、私が入った坑口は間違いなく釜トンの旧坑口である。
そして、この灯りの点灯された坑道のうち、右が旧釜トンネルの続きである。
にわかには信じがたいかも知れないが、もともと本坑はこんなにも屈折していた…。
(言うまでもなく、これが釜トンの恐ろしさの一つだ)
そして、見慣れぬ左の坑道は…。
勘の良い方ならばもうお気づきであろう。
左は、新釜トンネルとの連絡坑である。
洞内左折。
幸いにして、光の下に我々以外の生者はなかった。
ナトリウムライトの赤色光に煌々と照らされた路面は、不思議にも、分岐からやや下りになっている。
これは、釜トン全体の一方的な上り急勾配(中ノ湯側から)を考えれば、全く矛盾する下りである。
すなわち、この分(数メートル)が、現在の釜トンと旧釜トンの高低差ということになるのだろう。
明らかにイレギュラーな構造であるが、なんとこの連絡坑が「正式な県道」として使われていた時期もあると言うから驚く。
ややこしい話は後にしよう。
先に、連絡坑の状況を確認する。
釜トン標準である、たてよこ4mサイズの坑道が10mほど続いた先は、車を通さない極小断面に変わっている。
現在の連絡坑は、人だけが通れる規格になっているのだ。
断面が小さくなる所に置かれている、新しげな制御ボックス。
そこには、 「釜 (下) 照明盤」とあった。
どうやらこれは、新トンネルの照明制御盤であ
冬の上高地はつい最近までは私のような者が立ち入れる場所ではなかった。
一昔前は「孤高の人」にもあるように、はるか手前の沢渡から約20Kmもの道のりを歩いて向かっていたのであった。
それが、平成9年に安房トンネルが開通したおかげで、1年中松本―高山間が開通し、それにより冬でも中の湯まではバスで行くことが可能になった。
私が四季を通じて初めて上高地へ入ったのは2003年末であった。登山を始めて2年ほどであったが、冬の穂高に魅せられ、勿論登ることは不可能であっても、この目で見たい衝動を抑えきれずに、無謀にも単独で初めてのスノーシューとともに釜トンネルを抜けた。
冬に上高地に入ったことがあれば、皆「釜トンネル」には思い入れがあると思われる。
今年「釜上トンネル」が開通し、昨年までの「釜トンネル」はその役目を終えた。この点はブログにも以前載せた通りである。
私はこのトンネルが怖いけれど大好きなので、繰り返しになるが、画像をアップしたい。
↑ 薄暗い天井には裸の蛍光灯と今にも落ちそうな氷柱。時々、ピキーンと氷柱が地面にたたきつけられる音だけがトンネル内に響く。足元は凍結している部分もあり、様々な意味で恐ろしい。
[7] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933235465