[2] >>1 は 東山道陸奥松前千島及方州掌覧之図 に「蝦夷開闢紀元」などの文言があると紹介しています。
[3] しかし「蝦夷開闢紀元」がいかなるものかの説明はなく、該当部分の掲載もありません。
[7] >>1 が紹介したのはおそらく >>5 (または >>4 の目録にあり写真がない同名のもう1つの地図) でしょうが、ウェブ公開されている >>5 の写真はぎりぎり判読できるかできないか、の心もとない解像度です。
[8] >>6 に同名の地図があり、 >>5 とは地図も文章も表現上の違いがあるものの、 ほぼ同じ文章の異本と思われます。 こちらは十分判読可能な高解像度です。
[9] >>6 の文章部分は >>1 の説明と一致します。だとすると、 >>1 が「蝦夷開闢紀元」 というのは、次の記述を指すと考えられます。
[10] すなわち、宝徳2庚午に武田信広が云々、寛政元己酉歳次三百有四十年、云々と記載されています。 >>6 ここで、
[13] この両端の年を含めてちょうど340年です。
[14]
さて、この「寛政元己酉歳次三百有四十年」はどう解釈するべきでしょう。
「歳次己酉」なら一般的な干支年の表記法ですが、
ここでは順序が逆になっています。
[15] 宝徳には「歳」がないのですから、寛政も「歳」は干支に付くものではないと考えるべきでしょうか。 すると「歳次340年」で、伝統的な経過年数表示と違うあまり見かけない表現ですが、宝徳から寛政まで340年におよぶということでしょうか。
[16] >>1 は、松前藩の初代の武田信広の時代から数えた年数であるので、 松前藩の統治する蝦夷地の開闢からの年数ということでこれを「蝦夷開闢紀元」 と名付けたということなのでしょう。