[10] 南北朝時代に遡る金石文が残っていることがまずそう多くなく、 その中でも南朝の元号の金石文はさほど多くない上に更に干支付きともなると限られてくるようです。
[9] 歴史考古学 (31), 歴史考古学研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7951479/1/37 (要登録) 左下
興国2年辛巳2月11日 石仏
[8] 羽曳野市史 第7巻 (史料編 5), 羽曳野市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9576746/1/34 (要登録)
興国4年癸未8月日
[5] 板碑管見, 川崎浩良, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1104004/1/34
興国5年甲申3月 板碑
[6] 山形県文化財調査報告書 第6集, 山形県教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2476819/1/46 (要登録) 右
興国5年甲申仲春日 板碑
/44 右
興国5年甲申3月 板碑
[7] 酒田市史 上巻, 酒田市史編纂委員会 編纂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9540384/1/117 (要登録) 左
興国5年甲申仲春日 板碑
[2] 皇典講究所講演 (135), 皇典講究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1563403/1/4 (要登録)
[4] 藝林 = The journal of cultural sciences 27(2/3)(155);1978・4, 藝林会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11201739/1/11 (要登録)