肇国紀元

肇国ノ紀元

[43] 肇国ノ紀元は、 大正時代から昭和時代初期に日本国広島県安芸郡瀬野村 (現在の広島市)松永良作 (-?) が提案していた紀年法 (紀元) です。

[60] 神武天皇から数えた皇紀より更に遡って天照大御神から起算するべきと主張していました。

紀年法

[61] 皇紀の年数に更に天照大神からの年数を加えるべきと主張していました。

[62] その年数も調査してまとめていましたが (調査書 >>52, >>46)、 具体的に何年と確定させることまではせず、 紀年法として実用はしていませんでした。

[63] 日本政府に毎年繰り返し請願していて、 年数は政府の調査で決定するべきと考えていたのでしょう。 しかしながら帝国議会文部省は神代の年数は計測不可だという理由で難色を示していました。 実年数を決めておけばまた結果は違ったのかもしれません。 (その年数は信憑性がないといって却下されていたかもしれませんがw)

[67] 調査書は8350年くらいと推測しています。 そして当時の大日本帝国の人口が8350万人くらいだったので、 これは運命できっと正しいと言っていました。

[65] なおこの調査書富士古文書 (偽書) を孫引きしているような代物です。

請願

[57] 帝国議会内大臣府に毎年のように請願を繰り返していたようです。

[45] 大正13年より前にも請願されたことがあるかもしれないと記録されています >>155 が、未発見です。


[154] 衆議院で議決され内閣に送付。

[164] >>155 紹介議員の横山金太郞が、確か前にも一度同様の請願が参考送付されたが、 重要なのでそれ以上を、と説明。 佐藤實が重要だから慎重に、と参考送付に。

[186] >>185 文部省は、歴史的に用いられてきた皇紀に対して妥当とは言えないと却下、 閣議決定。


[165] >>156 >>159 >>166 また同じのが来た、と参考送付。


[53] 昭和3年は帝国議会請願の記録がありませんが、 内大臣府発の資料があります >>191

[51] >>191 は標題が昭和6年となっていますが、内容は昭和4年です。 昭和6年の請願 (>>189) の際に持ち出して一緒に保管されていたということでしょう。

[52] 昭和3年6月20日付けの手書きの請願書および日付なしの調査書>>191 に収録されています (>>46 の旧版)。

[54] 昭和4年1月14日に内大臣から内閣総理大臣に送付されました。 >>191

[55] 文部省は、神代の年数の確定は不可能と一蹴しています。 >>191


[162] >>161 紹介議員が不在で参考送付にされかけたところ、 永田良吉議員の賛成意見により採択。


[46] 昭和6年は帝国議会請願の記録がありませんが、 内大臣府の昭和6年10月12日の受領印が押された資料があります >>189

[47] 昭和6年12月15日に、昭和4年1月14日に内閣総理大臣に参考送付したもの (>>52) の再願として、 内閣に送付されました。 >>189

[56] 昭和3年版 (>>52) の請願書と調査書とほぼ同内容 (要検証) の印刷物で、 請願書は昭和6年10月10日付け、 調査書 は本文大正3年6月付、 奥付昭和6年10月1日印刷・10月10日発行の不買品とあります。 図だけは手書きのままです。 >>189

[59] 大正3年6月とある調査書ですが、 本文中に昭和6年と書かれているところがあります。 昭和3年版にはその箇所が昭和3年と書かれています。 本文内容はアップデートされているようです。 大正3年6月というのは最初に書いた日付でしょうか。 それとも昭和3年の誤りの可能性もあるでしょうか。 大正3年で正しいとすると、その頃からこの提案を始めたのでしょうか。

[48] この年の請願関連の資料は政府外に記録が多く残っているようです。

[174] 天祖御即位ヨリ人皇ノ祖御即位ニ至ラセラル、迄ノ間ノ御代數並ニ年數調査書 (松永良作): 1931|書誌詳細|国立国会図書館サーチ, https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I006673215-00

[175] 2つの大学に所蔵されています。

[176] 萬世一系ノ皇統御太元並ニ肇國ノ紀元ニ關スル請願書寫 (松永良作): 1931|書誌詳細|国立国会図書館サーチ, https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I001288207-00

[177] これも同じ2つの大学に所蔵されています。

[49] 題名から考えて、 >>174>>176>>189 の2ページ目以降に相当する文献と思われます。

[171] 三原図書館郷土資料目録 㐧2集, 三原図書館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3449641/1/8 (要登録)

[172] >>171 によると松永良作天祖御即位ヨリ人皇ノ祖御即位ニ至ラセラレル迄󠄀ノ調査書 なる書籍が所蔵されていたそうです。

[173] 現在三原市立図書館のウェブサイトで検索してもそれらしきものは出てきません。

[50] >>184 と微妙に題名が違いますが、誤りでしょうか、それとも別版でしょうか。

[28] >>30 >>27 >>29 昭和6年付の請願書写が一覧に掲載されています。


[179] 皇太神出現を紀元とするべきとの請願。紹介議員は荒川五郞。 重大なことなので参考送付に。

[181] 紹介議員は横山金太郞

[183] 紹介議員は荒川五郞。この年は荒川五郎の力説があり盛り上がって採択されかけたが結局参考送付に。

[4] 紹介議員は荒川五郞。 丁寧に紹介するも、年数が不明なら紀年には使えないでしょうと真っ当な指摘を受けて参考送付。

[7] 紹介議員は荒川五郞。 気合いの入った説明を経て、あっさり採択。

[73] 高重百太郎は何者か不明、他19名も掲載されていないが、 同じ地域なので他19名に松永良作も入っているのかも。

[72] 高藤佐一他11名の他11名は掲載されていないが、 >>188 の他16名に含められているのが高藤佐一。 他11名に松永良作も入っているのかも。

[69] >>188 によると請願者は松永良作他16名。他16名は同じ地域の村長、小学校長など。

[70] 請願文があるが印刷物の半分くらいに打ち消し線を引いた異様な文書。

[68] >>192 によると請願者は日本国鹿児島県鹿屋市永田登良己 (-) 、 紹介議員は永田良吉 (-) 。 請願文 (手書き) あり。

[71] 同趣旨に見えるがまったく違う請願者なのが謎。

[75] 永田良吉は「請願代議士」の異名を持つらしい。 永田登良己はその長男とのこと。 請願の代理業務でもしていたのか?

[76] 紹介議員は永田良吉


[44] これ以後は発見できず。

[58] 帝国議会でなく内大臣府 (天皇) に請願している年があるので、 他の歯抜けになっている年ももしかすると同様かもしれません。

関連

[64] 神武天皇から数えるのは皇紀、それより前の天孫降臨から数えるのは天孫紀元ですが、 肇国ノ紀元天照大御神からなのでそれらよりも更に前になります。

[66] 皇紀人皇の分しか数えていなくて、中途半端だ、 もっと前の神代も数えないのはなぜだ、 数えるべきだろう、というのはある種自然な発想なのでしょうけれども、 それが広く行われないのは相応の理由があってのことですよね。

メモ

[38] 年によって紹介議員がたまに違っています。

[74] 徐々に採択率も上がっていますし、複数の議員に紹介してもらえるコネもあり、 後半は地域の有力者が連名で提出、筆頭者も入れ替わりになっていて、 活動は広がっていたのでしょうね、結果につながっていないだけで。

[8] 年によって「慎重な検討が必要だから」と同じ理由で参考送付にしたり、 採択にしたり、どちらにもなるらしい。裏での根回し次第なのか?

[169] この請願者は 万国貨幣法統一の請願 のようなものも同時期に提出していました。

[170] 文化財の社会史: 近現代史と伝統文化の変遷 - 森本和男 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=nn1MAQAAIAAJ&q=%22%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%89%AF%E4%BD%9C%22

511 ページ

請願者は、広島県安芸郡上瀬野村の農業松永良作である。皇統の代号を人皇の祖である神武天皇から起算し、華国の紀元も神武天皇の即位年をもって元年と定めている。しかし、天祖と神武天皇は異姓の帝王でないのだから、皇統の代数および紀元を神代の天照 ...

512 ページ

前者は松永良作の請願であった。後者は皇明会会長の法政大学教授四宮憲章と尊農会会長藤本充安の連名による請願で、紹介議員が一五名もいるほど、賛同する議員が多かった。その趣旨は、人皇である神武天皇に「紀元節」と「国際」があるので、神皇(瓊瓊杵 ...

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方松永良作が、太古史論者の著作を参考にして最古の年代を算出し、「万世一系ノ皇統御太元並全国紀元二関スル請願」を内大臣に奉呈したのは一九二八年(昭和三)であった。そして神代に関する請願の提出が増えたのは一九三七年(昭和一二)であったから、神代 ...