[60] 福寿 (旧字体: 福︀壽) は、 日本の私年号の1つです。
[5] 1例知られています。
[13] 各文字は、点画が比較的明瞭な楷書の字形です。 >>37
[38]
第1字の福は新字体に近い形ですが、ところどころ不明瞭・不安定な字形です。
他の文字と比べても妙に字形が整わないのが気になるところです。
福だと言われているので、確かにそうかな、となんとか納得しようとするものの、
どうにも腑に落ちない、かといって他に適切な文字といえるものもない、
よくわからない字形です。
>>37
[76] 現在までに1例のみ報告されていますが、その第1字の字形には不自然さが指摘されます。 これを放置して議論を進めるのは危険ですが、これまで検討された事例が見当たりません。
[77] 時期については、当板碑および同地の板碑の様式および銘文から、 に近いと考えられます。 ここまでは異論の余地は少ないかと思われます。
[78] 現地研究者は、銘文から造立経緯を推測し、福寿元年は寛正3年であると断定しています。 しかしこの論理構成は荒削りで、なお慎重に検討するのがよいと思われます。
[86] 銘文に見える供養塔という性質から、 かを表す可能性が高そうで、 場合によってはそれ以外も検討しても良いかもしれません。
[79] 各種資料は時期を
のような曖昧な表記としています。これがいかなる理由によるものかは不明です。 それぞれの著者が >>78 に疑問を持っているのかもしれませんが、 それを表立って論じているものは見当たりません。 伝聞の不正確な情報で一覧表に掲載しただけという可能性も否めません。
[83] 現地研究者は、同じ元号の反復を嫌って私年号を作ったとか、 故人の生涯を表したのだとか、 遺族の開運を願ったのだといった可能性を指摘して、 造立者ないし制作者が作った私年号であることを暗黙裡に前提としています。 そう絞った理由は不明ですが、他例が未報告であるためでしょうか。
[84] 中世私年号でこのような極めて私的、個人的な事情で私年号を作ったと断定できる事例は他になく、 安易に肯定できる見解ではありません。
[85]
その他に福神信仰などと主張する者もあるようですが、根拠は不明です。
元号名の福や寿のような文字面からの推測にも思われます。
[14] の地域史は、 >>6 を紹介し、 次のように述べています。 >>4
[43] 平成26年の Webページが、 これを踏襲した紹介をしています。 >>1
[3] そんなことある?って感じの説明でよくわからんな
[74] 100日と一周忌を同時建立するような事例が他にあるのか、くらいは調べてほしかったですね。 同時でなくても連続発注でも同じ人が同じよなものを作る可能性は十分あるでしょうし。
[75] この論理でいくならどちらも供養日でなく死去日という可能性もあるのではとも思われますし。 もしそうなら福寿元年は寛正2年ということに。この比定方法は論理が脆弱すぎて、 もう少し慎重に練り直したいところ。
山口家 観音種子石塔婆 (室町時代中期 福寿元年 1462年、粘板岩、高さ 76Cm 幅 19Cm 厚さ 6Cm)
石塔婆は、上方に観音種子、その下に金剛般若経に出る偈(げ)、下方は造立趣旨と私年号 福寿元年(1462)の紀年銘を刻む。
刻銘は四行で、向かって右から「福寿元天(1462)、三月三日、道範禅門、百ケ日」と刻む。
福寿元天のの私年号については、当石塔婆群に「寛正三年(1462)三月三日」銘の道範禅門 一周忌碑があり、その造立趣旨に「当地を訪
問した際に造立した(訪問砌也)」と刻まれている。よって、道範の死去は前年の寛正二年三月三日で、百ケ日は同年六月十四日になる。
その為、本石塔婆の天寿元年三月三日は、百ケ日相当日ではなく、造立された日を指し、一周忌の石塔婆と二基同時に造立されたと思わ
れる。要するに、天寿元年の私年号は、寛正三年(1462)に相当する。(「北上川下流域のいしぶみ」発行、河北地区教育委員会 の要約
[45] 千々和到の私年号の表には未掲載ですが、その系統のいくつかの表が掲載しています。 室町時代末としています。 >>46
[48] 宮城県の板碑を典拠にしており、 >>6 を指すと思われますが、 知らなければたどり着けないのではないでしょうか・・・。
[54] 平成時代中期の Webページの一覧表は、 福寿を掲載し、 「室町時代後期~末期」 としています。出典は示されていません。 >>53
[47] 日本語版ウィキペディアの一覧表は初期から掲載しています。 15世紀末-16世紀前半としています。 >>44
[49] 宮城県石巻市の板碑を典拠にしており、 >>6 を指すと思われます。 >>48 よりはましですが、やはり知らなければたどり着くのは難しそうです。
[56] 平成時代末期の論文は、私年号の実例を列挙する中で福寿も挙げて、 室町時代末頃とされる、と説明しています。 >>55
[61] の SNS 投稿は、 >>6 を典拠とすると思われつつも、 出典不明の「福神信仰による除災願望」説を述べています。 >>57 他にこのような解釈を示した文献等は見当たりませんが、完全独自説なのでしょうか。
[51] 中文版维基百科の一覧表は、 >>1 を典拠に福壽を掲載し、 「寬正三年?(1462年)」から「已知使用年數」1年としています。 >>50
[52] なぜ「?」とされているのかは不明です。
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 福寿 - 15世紀末-16世紀前半 不明 宮城県石巻市板碑