[2] 集古十種 には、 「白鳳十一年壬午正月」 (縦書き) と書かれた古瓦が描かれていました。 >>2511, >>2512
[3] 他に「和銅二年正月卄」 (縦書き) と書かれた古瓦も描かれていました。 >>2511, >>2512
[4] これらの古瓦は、 「摂津國呉田吉田某蔵」 とされました >>2511, >>2512。 伴信友はある人所蔵と濁していました >>1731。 日本摂津国菟原郡住吉村呉田 (現日本国兵庫県神戸市東灘区) の豪商吉田家のコレクション聆涛閣の所蔵品だったと思われます。
[5] 江戸時代、 伴信友は、 「白鳳十一年壬午正月」、 「和銅二年正月」 とあるのを紹介しました。 天武白鳳説により、 白鳳11年の干支年が合わないため当時のものでないとしました。 和銅2年も、同様の銘文のため信用できないとしました。 >>1731
[6] 大正時代の研究者は、 集古十種 を引いて2つの古瓦に言及しながら、 円瓦か平瓦かすら不明であり、 古い複製から真偽を深く研究しなくてよかろう、 という扱いでした。 >>2510
[7] この他にこれらの古瓦への言及はほとんど見当たりません。 現物も行方不明なのでしょうか。