田代之宝光寺古年代記

田代之宝光寺古年代記

[1] 西南地域史研究 7, 文献出版, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4420619/1/57?keyword=%E5%8F%A4%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E8%A8%98 (要登録)

[2] >>1 によると 田代町郷土誌 に収録されているようです。

[3] 田代町郷土誌国立国会図書館の検索で出て来ず、所蔵されていないようです。 地元の図書館などには所蔵されています。 その他に奈良大学図書館などにもあるようです。

[4] 平成の「新編」の方ではなく昭和52年のものです。新編にも収録されているのかは不明です。

[5] 6756_20230221132634-1.pdf, , https://www.pref.kagoshima.jp/ab23/reimeikan/siroyu/documents/6756_20230221132634-1.pdf#page=32

[6] >>5 によると少なくてもその時点で写本2組が存在したようです。


[18] 昭和63年の地元郷土史家団体の機関誌に 田代之宝光寺古年代記の研究 という論文があるようです。 >>7, >>8 に最初の1ページの写真があります。

[19] >>18 によるとその筆者が入手したものは書写を繰り返して東京島津図書館にあったものを筆者が書写し、 地元に持ち帰ったものだそうです。

[20] ということは昭和末期に地元で容易に入手できない状態だったようです。 田代町郷土誌 には全文が収録されていないのか、あるいは 田代町郷土誌 に収録されていることはあまり知られていなかったのでしょうか。


[14] この年代記には古代年号が書かれています。

[15] 九州王朝説の世界では九州年号だと主張されています。 九州年号

[16] 第1次「発見」は >>11, >>10 (ただしこのサイトでは古い記事と同内容の記事が部分的に書き直されて投稿されることがよくあるようなので、 本当の初出なのかは不明)、 第2次「発見」は >>7, >>8, >>9 (いつの「発見」なのか明記されていないので時期は不明) に報告されています。

[17] 第2次の方は同時に日本帝皇年代記も「発見」していますが、 日本帝皇年代記平成のうちに「発見」済みです。 派閥が違うので新「発見」扱いなのでしょうか...

[21] >>11 は参照した本を

わたしが持っている活字本コピーの解説によれば「島津図書館にあった本を写したものである」とされています。このコピーはかなり以前に入手したもので、残念ながら出典は不明です。

としています。 >>19 との関連が窺われます。

[22] >>8 >>9 は原本を参照したような記述がありません。 >>8 には 「38年前の論文中に新発見!」 「この篠原氏の論文中に31の「九州年号」が記録されていました。」 とあって、あたかも >>18 の論文が史料であるかのように扱われているとも読めます。