玉川ダム(たまがわダム)は秋田県仙北市、一級河川・雄物川水系玉川に建設されたダムである。
2年前の2012年(平成24年)の夏は全国的に猛暑で、降水量も少なかったため、渇水に見舞われる地域が多かった。
東北地方の秋田県も例外ではなく、2012年8月28日には地元の高校生鈴木ヤス太さんから、当サイト宛にこんな情報が寄せられるまでになっていた。
このたびメールさせて頂いたのは、玉川ダムの渇水についてです。秋田ではこの夏例年にないほど雨の日が少なく、ここ2週間ほどは30度を超える真夏日が続いています。そのため、玉川ダムでは平成16年(2004年)の最低渇水水位を大幅に下回り、8月28日現在の貯水量は15%となっています。まだ確認はしていないのですがもしかしたら国道341号の旧道の探索ができるかもしれません。
玉川ダムといえば、私にとってはなじみ深い場所で、秋田在住の時代には良く訪れている。(関連する一番古いレポートは、2001年のこれだろう)
しかし、このダム湖が干上がりそうになっているというのは、私は聞いたことがなかった。
とても山深く水も豊かな場所だし、そもそもがとても巨大な湖だったからである。
だが、もし干上がったのであれば、玉川ダムは湖底に様々なものが眠っている可能性という意味で、期待度が高いダムだった。
早速だが、ダムが出来る前の古い地形図を、今の地形図と見較べてみよう。
玉川ダムは、平成2年(1990年)に雄物川水系玉川に完成したまだ新しいダムで、高さ100mの堤防によって湛水された人造湖「宝仙湖」は、総貯水容量が約2億5000万トンと、東北地方の人造湖では奥只見湖、田子倉湖に次いで三番目の規模を誇る全国屈指の大貯水池である。
このダム建設により、当時の田沢湖町(現:仙北市)の玉川と田沢という二つの地区に属する129世帯が水没し、ダムサイト上流の集落は全て無人となった。
もちろん水没したのは集落だけではなく、国道341号が約11kmにわたって付け替えられたほか、町道や林道なども相当距離が水没し、付替が行われている。
集落移転が始まる前の昭和48年当時の地形図を見て頂くと、谷底の広い範囲に集落が点在し、多くの道路が敷かれていたことが分かるだろう。
また、さらに時代を遡って昭和28年当時の地形図を見ると、集落は変わらず存在するが、道路はほとんど無く、その代わり多くの軌道が敷かれていたことが分かる。
これらは「林用軌道」と注記があるとおり、
新旧軌道合流点はまた、旧国道と、新旧国道連絡道との分岐点にも重なっている。
いい加減わかりにくいと思うので、地図を用意した。
私はここまで図中の赤い実線の旧軌道跡を下流から辿ってきたが、今度はこのまま玉川ダムまで向かう。
その後、またここまで戻って、それから青い実線の旧国道(=付け替え軌道跡)で玉川大橋の「チャリ放置点」まで戻ることにする。
引き続き、探索の足は徒歩だが、本地点から玉川ダムまでの往復のみ、同年9月のチャリによるレポートを利用した。
現在、玉川ダム直下の河川敷一帯は玉川ダム公園として整備されており、近づくにつれ、ダム以前の遺構はまるっきり整理されてしまっている。
故に、ダム下流では最後の遺構となるのが、これから紹介する、隧道である。
これは、現在のダム公園へのアプローチ町道が川沿いにあるのに対し、旧国道(=付け替え軌道との併用)は“7号隧道”(紛らわしいが、これは旧国道・付け替え軌道としての隧道名であり、旧軌道を含めれば、山行が名は“玉川10号隧道”となる)を利用していた痕跡である。
この隧道は町道化の際、廃止されてしまった。
ジャングルのようになった舗装路へ入り、ほんの50m。
クイッと左にカーブした先に、それはある。
落石・雪崩除けの簡素な延伸部が目立つ、玉川10号隧道の姿である。
『山形の廃道』様ご提供「隧道リスト」によれば、
当時は県道として記録されているその延長、53.8m。
竣工年は昭和31年とあり、まさにダムによる軌道付け替えとピッタリ符合する。
廃止されたのは、ダムサイトの建設が始まる頃だろうから、玉川ダム工事の初期の段階であったように思われる。
昭和50年代中頃と想像される。
すなわち、国道昇格後は、ものの数年しか利用されなかった?
しかし、この隧道はこれまでの旧国道の隧道のなかでも、人為的に破壊されてしまった2本を除けば、もっとも痛んでいる。
特にこの南側坑口は、コンクリートの坑門が崩壊しており、これでは放棄もやむなしと思われる。
その内部は、倉庫として利用されており、此方側からは立ち入ることが出来ない。
隧道を町道で迂回して、玉川ダム公園へ。
当然のように閑散としている。
そりゃそうだ。
現国道から近づくには、一応通行止告知のある旧国道を辿ってくるか、つづら折りの新旧道連絡路を下って
以前公開した廃線レポート「玉川森林鉄道」では、玉川森林鉄道のうち、起点から玉川ダムまでの区間を探索・紹介したが、途中の鎧畑ダム周辺にある新旧線については、新線のみを紹介している。
ダム湖(秋扇湖)に水没した旧線については、素通りせざるを得なかったのである。
だが、2005年7月末、ユウタ氏が当サイトの掲示板に投稿された写真を見て、私は驚いた。
そこに写っていたのは、これまでいくらダム湖の水位が下がっても決して地上には現れることがなかった、旧軌道跡の隧道のように思われたからだ。
再調査の必要を感じた私は、細田ミリンダ氏を誘って現地へ向かった。
→ 問題の投稿写真。(ユウタさん ありがとうございます!)
角度がよく分からないものの、従来対岸から見えていた水没隧道よりもさらに深い位置にあるものに見えた。
本文に入る前に、玉川林鉄について簡単におさらいしておこう。
玉川森林鉄道は、大正10年に生保内より玉川沿いを北上するように敷かれ始めた森林鉄道で、昭和初期には鳩ノ湯付近まで約40kmの本線が開通し、その後も大小の支線が建設された。
本線は運材の用に供されるのみならず、沿線住民の足や上流にある玉川温泉への旅客輸送にも利用され、昭和38年に全廃されるまで、玉川上流地域の交通の中核を担っていた。
なお、昭和27年から33年にかけて、途中の鎧畑地区で県営のダム建設が進められ、林鉄も水没することとなった。
そのため、昭和31年までに約10kmもの軌道が新線へ付け替えられた。
この新線は大部分が自動車道との併用軌道として建設され、昭和38年に軌道が廃止された後には、国道341号線として利用された。
一方の旧線は、ダム湖によって約5kmが水没して、地上から姿を消した。
しかし、ダム湖の水位が下がると、今でも水没した隧道が湖面に現れることがあるようだ。
今回の探索の目的は、旧線の隧道群を出来るだけ近くから確認することである。
2005年8月10日午前7時50分。
これまで幾度となく往来した、国道341号玉川大橋の下に、我々の姿はあった。
実はこの日付って、森吉の粒沢へと合同調査に行く3日前。
私も細田氏も、この鎧畑探索の3日後に玉川源流の一つである渋黒沢上流から峰越で森吉粒沢へと入山したのだった。
もちろんそのときにも、行き帰りに玉川大橋は渡った。
玉川
1974年東京生まれ。最近、史上初と思う「ダムライター」を名乗りはじめましたが特になにも変化はありません。著書に写真集「ダム」「車両基地」など。
個人サイト:ダムサイト
ごまかしようがないので最初に書きますが、この記事はいまだに夏休みの旅行先や自由研究に悩んでいる小学生中学生向けに書いています。
ダムのことを調べようと思って出かけて、単に上から眺めたり下から見上げたり、もちろんそれでも楽しいけど、もし普段見られないダムの中を見せてくれると言われたら観に行きたくなるだろう。
なんと、ダムの中には当日ふらっと行って、職員さんの解説つきで中を見学させてくれるところがあるのだ。スナック感覚のダム見学である。
[22] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933316090