以前公開した廃線レポート「玉川森林鉄道」では、玉川森林鉄道のうち、起点から玉川ダムまでの区間を探索・紹介したが、途中の鎧畑ダム周辺にある新旧線については、新線のみを紹介している。
ダム湖(秋扇湖)に水没した旧線については、素通りせざるを得なかったのである。
だが、2005年7月末、ユウタ氏が当サイトの掲示板に投稿された写真を見て、私は驚いた。
そこに写っていたのは、これまでいくらダム湖の水位が下がっても決して地上には現れることがなかった、旧軌道跡の隧道のように思われたからだ。
再調査の必要を感じた私は、細田ミリンダ氏を誘って現地へ向かった。
→ 問題の投稿写真。(ユウタさん ありがとうございます!)
角度がよく分からないものの、従来対岸から見えていた水没隧道よりもさらに深い位置にあるものに見えた。
本文に入る前に、玉川林鉄について簡単におさらいしておこう。
玉川森林鉄道は、大正10年に生保内より玉川沿いを北上するように敷かれ始めた森林鉄道で、昭和初期には鳩ノ湯付近まで約40kmの本線が開通し、その後も大小の支線が建設された。
本線は運材の用に供されるのみならず、沿線住民の足や上流にある玉川温泉への旅客輸送にも利用され、昭和38年に全廃されるまで、玉川上流地域の交通の中核を担っていた。
なお、昭和27年から33年にかけて、途中の鎧畑地区で県営のダム建設が進められ、林鉄も水没することとなった。
そのため、昭和31年までに約10kmもの軌道が新線へ付け替えられた。
この新線は大部分が自動車道との併用軌道として建設され、昭和38年に軌道が廃止された後には、国道341号線として利用された。
一方の旧線は、ダム湖によって約5kmが水没して、地上から姿を消した。
しかし、ダム湖の水位が下がると、今でも水没した隧道が湖面に現れることがあるようだ。
今回の探索の目的は、旧線の隧道群を出来るだけ近くから確認することである。
2005年8月10日午前7時50分。
これまで幾度となく往来した、国道341号玉川大橋の下に、我々の姿はあった。
実はこの日付って、森吉の粒沢へと合同調査に行く3日前。
私も細田氏も、この鎧畑探索の3日後に玉川源流の一つである渋黒沢上流から峰越で森吉粒沢へと入山したのだった。
もちろんそのときにも、行き帰りに玉川大橋は渡った。
玉川