永寶

永寶

[201] 昭和時代日本国奈良県の歴史研究者田村吉永 (-) は、 日本国奈良県山辺郡山辺郡都介野村 (昭和の大合併により都祁村, 平成の大合併により奈良市) 針の観音寺大般若経巻四百八十の奥書に永宝元年三月廿四日とあるのに気づきました。 >>26, >>200

[27] >>200 は巻四百四十としています。これでは >>23 の議論が意味を成さないので、 >>200 の誤植で >>26 の巻四百八十が正しいと考えられます。

[23] 巻四百七十九の奥書には嘉慶二年三月廿日、 巻四百九十四の奥書には嘉慶二年三月廿五日とあり、 永宝元年がであるのは明らかです。 >>26, >>200

[24] なお巻四百八十奥書には 「和州平群>>26 では目安里春日大明神末代重宝也」 とあります。 奈良県生駒郡竜田町大字目安里の春日大明神にあたります。 法隆寺の南約2km、大和川南岸近くです。 >>26, >>200 法隆寺との関係も注目されます。 大和の私年号

[28] >>26 では「大字目安」、 >>200 では「大字目安里」。 Web検索によると現在の所在地は「大字目安」。 「里」が小字通称地名なのか、「目安里」で旧地名や異称なのか不明。

[25] >>26田村吉永が、 昭和26年夏の観音寺経を調査した奈良女子大学教授岩城隆利の見解を引いていますが、 それが >>22 です。 岩城隆利はまだ1例だけなので私年号かどうか研究の余地があるとしましたが、 田村吉永は1例だけでも私年号とされてきた前例があるなどと論じました。 私年号六題

[2] 史迹と美術 20(9)(208), 史迹美術同攷会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6067091/1/22 (要登録)

永寶元年 私年号

[1] 河内長野市史 第1巻 下 (本文編 古代・中世), 河内長野市史編修委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9576795/1/310 (要登録)

永宝元年 元中4年 南朝 私年号

[11] 河内長野市史 第4巻 (史料編 1), 河内長野市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9573326/1/129 (要登録)

永宝元年丁卯

(特に何も書いていないが元中3年と4年の間に配置)

[22] 奈良県綜合文化調査報告書 [第1] (都介野地区), 奈良県教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3020186/1/258 (要登録)

永宝元年 私年号か要検討

[7] 日本私年号の研究

[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7

私年号異説元年相当公年号(西暦)継続年数典拠・備考
永宝-元中4年/嘉慶元年(1387年)不明奈良県奈良市針町観音寺蔵『大般若経』巻480奥書

[3] 大日本古文書 家わけ第6 (観心寺文書), 東京帝国大学文学部史料編纂所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1915624/1/180

永寶元年丁卯12月20日

[4] と干支は一致

[12] 史学研究会講演集 第1冊, 史学研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/768323/1/90

(展示目録) 国史研究室所蔵 永寶元年契約状写真


[14] 会津坂下町の伝説と史話, 井関敬嗣, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9536402/1/66 (要登録)

「えーほうがーんねん (永宝元年)」

役行者による開山伝説

[15] 大塚村史, 那須信一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9536680/1/164 (要登録)

飯豊山 永宝元年 創立

(大同2年の開山伝承と並んでいる 大同 )


[5] 保護時報 21(1), 輔成会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1494110/1/11 (要登録)

白河天皇 永寶元(1057)年

[6] 白河天皇即位前。 白河天皇永保か何かの誤記?

帥記の引用の日付(未調査)


[8] 芭蕉精神の現代観, 山本四方, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1360180/1/68 (要登録)

(手書き) 永宝元年

[9] 宝永の誤記か

[13] この例以外にも宝永の誤記らしいものが近現代に一定数ある。

[16] 焼津市誌 上巻, 焼津市誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3006096/1/207 (要登録)

永宝元年

[18] 並んでいるのが「宝元年」「永四年」 など

[19] 誤記か現物ママかわからない

[17] 北方町史, 北方町史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9769816/1/27 (要登録)

昭和11年「永宝元年」 昭和27年「永宝6年」 同じ事項なのに一致しない、出典不明

永宝は宝永の誤記か?

[20] 昭和のうちに混乱が起こっている。本件誤記の起源はより遡る可能性もあるか?

[21] 派生と思われる他資料も数点誤記