[28] >>26 は昭和時代の書籍に言及があります。 >>1, >>5
[29] >>26 の現在の所在は不明です。 Web の検索では見つかりません。
[3] >>27 の「延承(永)」は「承と読めるが永の可能性もある」という意味でしょうか。
>>31 は承とだけ書いています。
これらが実見による判断なのか、先行文献からの引用なのかは不明です。
[32] >>27 が
[30] 大宮国盛は、京都から備前に移った刀工で、 備前大宮物の創始者とされています。 しかしその詳細には不明な点が多いようです。
[4] >>1 は大宮で國盛と名乗る者が何人いたのかはわからないとし、
系図の年代を訂正すると:
「國盛 仁治 →
[50] 一応延応説があるものの、これまでほとんど私年号としての研究対象になっていません。
[10] 近世の刀剣銘関係の文献に出現する可能性はありますが、現在のところ知られていません。
[2]
昭和時代の書籍は、
>>26
を紹介し、
延承(永)は私製年號だろう、
[6] 昭和時代の書籍は、 >>26 を紹介し、 「延承四年は延應四年なるべしとの註あるも延應には四年なし。」 >>5 と注釈しています。
[51] 先行する文献が延応説を唱えていたようです。字形の類似によるものでしょうか。 しかしそれでは延長年号になります。
[16] 日本歴史シリーズ 第6巻, 遠藤元男 等編, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3023435/1/117 (要登録)
「
[17] >>16 法然と親鸞の別離の年であり、 が正しい。
其後承安二年よ
り延󠄅承四年に至て五百七十年也
(明朝体)
[8] + 570 = , 正しくはか。
[11] 大日本史料 第2編之1, 東京帝国大学文学部史料編纂掛 編纂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1029928/1/187 右 柱
「
[12] 大日本史料 第2編之2, 東京大学史料編纂所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3450170/1/318 左 本文中
[13] 国書データベース, https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100044526/26?ln=ja
[14] 宮内庁書陵部所蔵続群書類従本では「永延二年」 (草書) >>13。 なお諸本の系統について >>15 も参照。
[18] 東山をあるく, 近藤徹称, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9572577/1/78 (要登録)
原為光が建てた寺で、延永二年(九八八)に供養したことが『大鏡』に記されている。
(明朝体)
[20] 大鏡詳解 月, 落合直文, 池辺義象, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/877418/1/57
恒徳公は爲光。裏書に延永。二年三月二十六日癸未右大臣爲光供養法成寺一院公卿辨少納言吏皆參
(明朝体)
[21] >>20 元号名と元号年の間の が気になりつつも、
>>18 の誤植は >>20 にまで (もしかするともっと前まで) 遡る?
[22] でも >>18 は西暦年が付与されているので、その時に間違いに気づきそうなものだけど。 西暦年を付与した後に発生した誤植がたまたま >>20 と一致しただけ?
[23] 高等国文講義, 山内二郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/868019/1/265 右ページ左
なり法作寺殿といヘり延永二年藤原爲光の創建なり大鏡中卷爲光の傳に「法住寺をぞいといかめ
[24] 日本 38(12)(453);12月号, 日本学協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11397309/1/6 (要登録)
しい。『栄花物語』(延永二年条)には、「今のうへ、わらはにおはしませば、つ