延承

延承

[1] 刀剣之新研究, 清水孝教, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1224936/1/285 (要登録)

[2] >>1 「延承(永)二二年七月國盛」。延承(永)は私製年號だろう。二二年は4年だろう。 いつかはわからない。

[4] >>1 大宮國盛と名乗る者が何人いたのかはわからない。系図の年代を訂正すると: 國盛 仁治助盛 延長, 文永盛助 弘安

[3] >>2 「延承(永)」は「と読めるがの可能性もある」という意味か?

[5] 刀匠銘集録, 高瀬梧堂 編著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1686897/1/214 (要登録)

[6] >>5 「延承廿二年七月國盛」「延承四年は延應四年なるべしとの註あるも延應には四年なし。」


[9] 刀工総覧, 川口陟, 飯田一雄 校訂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2518402/1/331 (要登録)

[10] >>9 元守 (備前長船) 延永二年


[16] 日本歴史シリーズ 第6巻, 遠藤元男 等編, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3023435/1/117 (要登録)

延󠄁永二年

[17] >>16 法然親鸞の別離の年であり、 が正しい。


[11] 大日本史料 第2編之1, 東京帝国大学文学部史料編纂掛 編纂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1029928/1/187

永延󠄅二年」とあるべき箇所がここ1箇所だけ「延󠄅永二年」と誤植

[12] 大日本史料 第2編之2, 東京大学史料編纂所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3450170/1/318 左 本文中

長德二年大間書中、 「延󠄅永二年」 (明朝体)

[13] 国書データベース, https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100044526/26?ln=ja

[14] 宮内庁書陵部所蔵続群書類従本では「永延二年」 (草書) >>13。 なお諸本の系統について >>15 も参照。

[18] 東山をあるく, 近藤徹称, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9572577/1/78 (要登録)

原為光が建てた寺で、延永二年(九八八)に供養したことが『大鏡』に記されている。

(明朝体)

[19] >>18 永延2年の誤植。

[20] 大鏡詳解 月, 落合直文, 池辺義象, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/877418/1/57

恒徳公は爲光。裏書に延永。二年三月二十六日癸未右大臣爲光供養法成寺一院公卿辨少納言吏皆參

(明朝体)

[21] >>20 元号名元号年の間の が気になりつつも、 >>18 の誤植は >>20 にまで (もしかするともっと前まで) 遡る?

[22] でも >>18西暦年が付与されているので、その時に間違いに気づきそうなものだけど。 西暦年を付与した後に発生した誤植がたまたま >>20 と一致しただけ?

[23] 高等国文講義, 山内二郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/868019/1/265 右ページ左

なり法作寺殿といヘり延永二年藤原爲光の創建なり大鏡中卷爲光の傳に「法住寺をぞいといかめ

[24] 日本 38(12)(453);12月号, 日本学協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11397309/1/6 (要登録)

しい。『栄花物語』(延永二年条)には、「今のうへ、わらはにおはしませば、つ

[25] >>24 この直前には「天武天皇の慶雲三年」云々とも書かれている。正しくは文武天皇


[7] 八坂誌 坤, 八坂神社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/904399/1/26

其後承安二年よ り延󠄅承四年に至て五百七十年也

(明朝体)

[8] + 570 = , 正しくはか。