[1] 三國遺事/卷第二 - 维基文库,自由的图书馆, 2023-04-17T06:22:36.000Z, 2023-05-02T03:09:27.623Z https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%81%BA%E4%BA%8B/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%BA%8C
第五十二孝恭王。光化十五年壬申(實朱梁乾化二年也)奉聖寺外門。東西二十一間鵲巢。又神德王即位四年乙亥(古本云。天祐十二年。當作貞明元年)孝恭王內行廊鵲巢三十四。
[2] 光化, 天祐とも延長年号。唐末期なので、当時意図的に使い続けていた可能性が高そうです。
[3] この前後が唐の元号なのにここだけ即位紀年なのも同じ理由かと。