三厩村

三厩村

[1] 三厩村

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[2] ミニレポ第227回 国道339号旧道 龍浜〜袰内間, , http://yamaiga.com/mini/227/main.html

ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。諸君が北に向って歩いている時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである。

文豪太宰治が、昭和19(1944)年に発表した小説『津軽』の中で、路の果てる地として印象的に描いた 龍飛(たっぴ)崎 。

日本海と津軽海峡を分かつ陸地の尖峰として北海道を間近に望むこの岬には、今でこそ国道339号が東西に通じているが、同国道が指定された昭和50(1975)年当時には、三厩(みんまや)側からしか訪れられない、かりそめの終点だった。ここから小泊(こどまり)へ通じる約24kmの「 龍泊ライン 」が開通し、津軽半島の周回が可能になった記念すべき年は、昭和57(1982)年である。さほど昔のことではない。

ところで、地形的には文句なく津軽半島の突端にあり、半島の東西海岸線を分かつ存在である龍飛崎だが、人文的な意味の境界線といえる市町村境は、そこから少し外れた位置に敷かれている。

具体的には、東津軽郡外ヶ浜町(旧三厩村)と北津軽郡中泊町(旧小泊村)の町界線は、岬の突端から1.5kmほど日本海の海岸線を南下した辺りにある。

とまあ、それだけならば古い為政者たちによる群雄割拠の結果かと思うくらいで、わざわざ訪れることはなかったかもしれない。私を強く惹きつけたのは、この町界線から僅かに小泊側へ入った位置にぽつんと描かれた小さな集落だった。私はこの集落の存在を前から密かに気にしていた。

現在の地理院地図には道沿いに4軒の家屋が描かれ、小さな文字で 袰内 という地名が注記されている。

「袰」の字が見慣れないが、調べてみると「ほろ」と読む字だそうであるから、地名の読みは「ホロナイ」だろう。思わずカタカナでそう書きたくなるくらいアイヌ語由来っぽい。「袰」は「母衣」と分かち書きされることもあるようで、こうなると御母衣湖(岐阜県)の名が思い浮かぶ。また、「保呂」や「幌」とも書かれるようで、それぞれ保呂羽山(秋田県)札幌(北海道)などの地名に心当たりがある。

袰内が珍しい漢字を使った地名であることは、惹かれた理由の一つだが、最大の理由ではない。

袰内は旧小泊村では最も北にある集落だ。

だが、

[3] 青函トンネル - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%87%BD%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

概要[編集]

津軽海峡の海底下約100mの地中を穿って設けられたトンネルで、全長は53.85 kmである。これは1988年(昭和63年)の開業以来、交通機関用のトンネルとして世界一の長さ[3]を保っているが、全長57.091kmの鉄道トンネルとして建設中のスイスのゴッタルドベーストンネルが開業(本坑は2010年10月15日に貫通している)すると、世界一の座は失うことになる[4]。また、全長が約53.9kmであることからゾーン539の愛称がある。なお、青函ずい道と表記されていたこともある[5]ほか、トンネル出入口の扁額には青函隧道と表記されている。

青函トンネルの木古内駅方には、非常に短いシェルターで覆われたコモナイ川橋梁、さらに長さ約1.2kmの第1湯の里トンネルが続き青函トンネルに一体化しており、これらを含めたトンネル状構造物の総延長は約55kmになる。

青函トンネルを含む区間は海峡線となっており、北海道函館市 - 青森県青森市間を結ぶ津軽海峡線の一部だが、新幹線規格で建設されており、将来北海道新幹線も通る予定になっている。

長大なトンネル内の安全設備として、列車火災事故などに対処するため、青函トンネル途中(海岸直下から僅かに海底寄り)に消防用設備や脱出路を設けた定点という施設が2箇所設置された。これは1972年(昭和47年)に国鉄北陸本線の北陸トンネル内で発生した列車火災事故を教訓にしたものである。なお、開業初日には3か所の火災検知器が誤作動を起こし、快速海峡などが最大39分遅れるトラブルも発生している。また、開業後はこの定点をトンネル施設の見学ルートとしても利用する事になり、吉岡海底駅(地図)と竜飛海底駅(地図)と命名された。この2つの駅は、見学を行う一部の列車の乗客に限り乗降できる特殊な駅であるが、吉岡海底駅は2006年8月に長期休止となっているほか、竜飛海底駅も2013年11月から休止となる予定である。また、2014年春には駅としては廃止する方針をJR北海道が示している(それ以降は「定点」となる。)。トンネルの最深地点には青色と緑色の蛍光灯による目印がある。

また、青函トンネルは通信の大動脈でもある。青函トンネルの中には開通当時の日本テレコム(現:ソフトバンクテレコム)が光ファイバーケーブルを敷設しており、北海道と本州を結ぶ電信・電話の重要な管路となってい

[4] 青函トンネル袰内工事用道路, , http://yamaiga.com/road/horonai/main.html

※このレポートは、「 ミニレポート227回 」の続編ですので、先にそちらを一読されることをおすすめします。

【周辺地図(マピオン)】

青函トンネル については、いまさら説明は不要だろう。

本州と北海道を結ぶ全長53.85kmの鉄道用の海底トンネル(海底部分は23.3km)で、昭和63年の開業当初は世界最長の鉄道トンネルであり、現在もなお世界第2位の地位にある。

まさに我が国が誇る土木構造物の一つといって良いだろう。

青函トンネルの建設着工が昭和36年で、開業は昭和63年だから、その工期は27年間にも及んだ。この間は本州と北海道の地上にそれぞれ1ヶ所ずつの建設基地が設けられ、本州側のそれは龍飛崎の突端近い、現在の「道の駅みんまや」および「青函トンネル記念館」の位置にあった。工期中に延べ1400万人の作業員が働き、その多くが建設基地の周辺に作られていた宿舎で暮らしたことから、当時の三厩村は今(外ヶ浜町)とは比べものにならないほどの人口を有し、財政的にも県内トップの充実ぶりを誇った。

そんな時代が確かにあった。

私が国道339号の旧道を探る目的で、その末端の袰内(ほろない)集落を自転車で訪れたのは、2014年11月11日の午後だった。

無事にその目的を果たしたので、マイカーを残してきた三厩駅付近へ戻ることにしたのだが、出来れば通ったことのない道を多く利用したい。

そんな気軽な理由から白羽の矢を立てたのが、右の地図に「 青函トンネル工事用道路 」と注記した道だ。

この道は最新の地理院地図にもちゃんとした(?)二本線で描かれていた。

ただし、その表記は途中でぷつりと切れていて行き止まりのようなのだが、その終点付近はとても平坦な地形として描かれており、これはおそらく青函トンネルのズリ捨て場だったのではないかと考えた。

ならば道はなくても無理矢理に国道339号の「ウィンドパーク」辺りへ抜けられるのではないかという、……まあ私にありがちな、少し無理のある打算をした。

なお、これは思いつきからの行動だったので、この道についてら事前の情報を持っていなかった。

ここが青函トンネルの工事用道路だということについても、確信があったわけではなかった。

だから当然、 そこが 廃道 だということも、知らなかったんだぜ…。

2014/11/11 14:36 《現在地》

写真

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[5] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567310816340

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