一六日

一六日休暇

[3] 一六日 (いちろくび) は、明治時代初期の官公庁休業日でした。 後の日曜日に当たります。 毎の「1」と「6」がつく、すなわち1日、6日、11日、16日、21日、26日でした。

[4] 31日は含まれませんでした。

[14] つまり半旬ごとの休暇制度でした。

関連

[12] 制定、廃止、他の休日との関係などについては、日本の祝日も参照。

メモ

[1] 一六日 - Wikipedia ( 版) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%85%AD%E6%97%A5

[5] 一六日 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%85%AD%E6%97%A5

江戸時代から明治初期まで、休日、稽古日、寄合日、講釈日などに当てられた。

1868年(明治元年)9月、明治政府も一六日を太政官布告で官公庁の休日とした。しかし1876年(明治9年)3月、一六日の休日を廃し日曜日を休日とし、まもなく民間もこれに倣い、一六日の休日は姿を消した。森鴎外の、1880年(明治13年)を舞台にした小説『雁』では、裁縫の師匠が一六に休むという叙述がある。

[6] 昔の休日はどうなっていたのか?- 歴史 | 教えて!goo ( 版) http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5020800.html

関西の商人が毎月5日、10日、15日、20日、25日、そして月末日に決算をしていた絡みで、その翌日を休みとしていたみたいです。

[7] 日曜日はお休みです (M.Suzuki 著, 版) http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/200704210.htm

明治の元勲、大隈重信の「大隈伯昔日譚(せきじつたん)」には、

『是のみならず其の比(ころ)は、一・六の日を以て、諸官省の休暇定日と

為せしを以て、休暇の日数は月に六回、月に七十二回の割合と為り、加ふ

るに五節句あり、大祭祝日あり、寒暑に長き休暇あり、其の他、種種の因

縁ある休暇日あり、総て是等を合すれば一年百十日の多きに上り、而して、

其の頃の一年は、平年三百五十余日なりしを以て、実際執務の日数は、僅

々百六、七十乃至二百日に過ぎざりし。是れ乃ち、一年の半か、少なくと

も五分の二は、休暇日として消過し去りしなり。』

長い引用でしたが要するに、役人は休みすぎるという話です。

一・六のつく日付は休みというのは江戸時代のお城のお休みの慣習がそのま

ま使われた結果でしょう。

[8] 日本国語大辞典第二版オフィシャルサイト:日国.NET ( 版) http://www.nikkoku.net/ezine/quiz/quiz018.html

毎月一と六のつく日、すなわち一日、十一日、二十一日、六日、十六日、二十六日は江戸時代、休日、稽古日、会合日、縁日などに当てられていました。ですから「一六ドンタク」ということばも生まれました。ドンタクはオランダ語で休日、祭日の意味です。一六日は明治に入ってからも、官公署の休日とされましたが、明治九年三月に廃止され、日曜日にとって代わられました。

[9] BBS_PAGE.21 (M.Suzuki 著, 版) http://koyomi8.com/doc/bbs_0021.htm

江戸時代の幕府役人の休みは毎月「一」「六」の付く日のように決まっていて、5日毎に1日休みがあり、初期は明治政府もこれを踏襲しました

[10] 第21回 「役人の休日」今昔 / Slownet -SNS- (日本テレネット 著, 版) http://www.slownet.ne.jp/sns/area/culture/reading/kansanyoroku/200702150931-1000000.html

明治元年9月18日に明治新政府は役所によってまちまちであった休日を一律に「月の1、6の日」と定めました。

[11] ( 版) https://lib.city.toyooka.lg.jp/kyoudo/03nikki_izushi/001.pdf

[2] 五十日と一六日 | じんとにっく () http://blog.zige.jp/aburajin/kiji/882527.html

ちなみに「一六日(いちろくび)」というのがあることを初めて知りました。これは、五十日の翌日、つまり1か6の付く日で、江戸時代から明治初期まで、休日、稽古日、寄合日、講釈日などに当てられていたそうです。

そうか、昔は正月と藪入りしか休みがないと思っていたら、そうでもなかったんですね。明治政府も最初は一六日を官公庁の休日に指定したそうですが、明治9年にこれを廃し、日曜日を休日としたそうな。

[13] グレゴリオ暦 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E6%9A%A6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.82.B0.E3.83.AC.E3.82.B4.E3.83.AA.E3.82.AA.E6.9A.A6.E5.B0.8E.E5.85.A5

当時は1、6のつく日を休業とする習わしがあり、これに節句などの休業を加えると年間の約4割は休業日となる計算であった。新暦導入を機に週休制にあらためることで、休業日を年間50日余に減らすことができる