もしXIIが文字盤の上方にない場合、あるいは数字がローマ数字でなくアラビア数字で振られている場合、いわゆるイタリア時(別名ボヘミア時、古チェコ時)が表されている可能性がある。この方式では日没を0時として、夜から昼に向かって時間を数えていき、次の日没で24時を迎える。上に画像を掲載したプラハの時計では、時刻は太陽と指で示され、ほぼ正午(ローマ数字のXII)、もしくは第17時(アラビア数字によるイタリア時)である。
もしXIIが文字盤の上方にない場合、あるいは数字がローマ数字でなくアラビア数字で振られている場合、いわゆるイタリア時(別名ボヘミア時、古チェコ時)が表されている可能性がある。この方式では日没を0時として、夜から昼に向かって時間を数えていき、次の日没で24時を迎える。
上に画像を掲載したプラハの時計では、時刻は太陽と指で示され、ほぼ正午(ローマ数字のXII)、もしくは第17時(アラビア数字によるイタリア時)である。
[2] イタリアの日時計 (2005-08-11 14:30:53 +09:00) <http://www.ne.jp/asahi/sundial/hidokei/italia.html>
下の表示盤は黄道12宮の線、不定時法の線、イタリア時法の線、バビロニア時法の線から成っており、先端のノーダスの小球の影の位置から読み取ることができる。
他の面も刻印が薄れてきているが、バビロニア時法の線、イタリア時法の線も加わって多彩である。
磁針、水平日時計、垂直日時計、黄道12宮の曲線、イタリック線、バビロニック線、主要都市の緯度一覧等を精巧に彫り込んである。
ギリシャ・ローマの日時計ミュンヘンのドイツ博物館にある展示モデルです。ギリシャ・ローマの時法は日の出から日の入までを12等分する不定時法によっています。北ヨーロッパなどでもローマの影響が及んだ城塞跡で発見されています。同じ不定時法でも、夜明けから日暮れの、薄明の始まりから薄明の終わりまでを明け六・暮れ六として昼夜の境とした江戸時代の不定時法とは同じではありません。
ギリシャ・ローマの日時計
ミュンヘンのドイツ博物館にある展示モデルです。ギリシャ・ローマの時法は日の出から日の入までを12等分する不定時法によっています。北ヨーロッパなどでもローマの影響が及んだ城塞跡で発見されています。同じ不定時法でも、夜明けから日暮れの、薄明の始まりから薄明の終わりまでを明け六・暮れ六として昼夜の境とした江戸時代の不定時法とは同じではありません。
ペトルス・アピアヌスドイツの数学者で天文学者・宇宙誌家として知られる、ペトルス・アピアヌス(Petrus Apianus 1495~1552)の作品と云われています。鮮やかな彩色が施されていますが、回廊が増設されたため陽の当たらぬ日時計になっています。視太陽時、不定時法、イタリア時法(日の入を日始とする定時法)、バビロニア時法(日の出を日始とする定時法)、黄道12宮、太陽高度、太陽方位、の七種類の線が描かれています。
ペトルス・アピアヌス
ドイツの数学者で天文学者・宇宙誌家として知られる、ペトルス・アピアヌス(Petrus Apianus 1495~1552)の作品と云われています。鮮やかな彩色が施されていますが、回廊が増設されたため陽の当たらぬ日時計になっています。視太陽時、不定時法、イタリア時法(日の入を日始とする定時法)、バビロニア時法(日の出を日始とする定時法)、黄道12宮、太陽高度、太陽方位、の七種類の線が描かれています。
真ん中の天文時計には四つの時間が一緒になっている。外周のラテン数字がここ中央ヨーロッパの普通の時刻。金色のゴシック数字が古代ボヘミア時間と云われるもので、よく見ると日没時から24時間が始まっているのがわかる。バビロニア時間は昼間を12等分するので、したがって毎日一時間の長さが違うので、昼の青色、夕暮れの蜜柑色、夜の黒の三色に色分けされた表面に、目盛は曲線で描かれ、針を上下する太陽のマークが、冬から夏至に向っては針の先の方へ、夏から冬至に向っては中心部へ、徐々に移動することになる。更に天文時計中央部には星占いでお馴染みの十二の星座、牡羊座、射手座、魚座などのシンボルマーク、黄道十二宮が輪を成し、天球における地球の位置を示している。
プラハ旧市庁舎にある天文時計は、1410年に、時計メーカーのミクラス・カダン(Mikulas of Kadan)と、天文学者ヤン・スィンデル(Jan Sindel)によって製作されました。作者には様々な言い伝えがあります。 天文時計は中央ヨーロッパ時間、古チェコ時間、古代バビロニア時間、それに世界でも他に類のない恒星時を示しています。
プラハ旧市庁舎にある天文時計は、1410年に、時計メーカーのミクラス・カダン(Mikulas of Kadan)と、
天文学者ヤン・スィンデル(Jan Sindel)によって製作されました。作者には様々な言い伝えがあります。
天文時計は中央ヨーロッパ時間、古チェコ時間、古代バビロニア時間、それに世界でも他に類のない恒星時を
示しています。
バビロニア時間・中世時代チェコ時間(イタリア時間)・ドイツ時間(市民時間)・恒星時間の4つの時間を、1つの時計にまとめた上に、毎時0分にはカラクリが動きます。
この時計は3種類の時間を表示しています。外側のリングには中世のアラビアの数字が描かれていて、昔のボヘミアの時間を表しています。24時間の始まりは日の入りからスタートします。ローマ数字が描かれているリングは私たちが知っている時間。そして、時計の青い部分は日中の空を表現していて、ゴールドの線で12分割されていてます。ガイドブック曰く、バビロニア時間(so called Babylonian time)では、日中は12に分割できるそうです。
この時計は3種類の時間を表示しています。
外側のリングには中世のアラビアの数字が描かれていて、昔のボヘミアの時間を表しています。24時間の始まりは日の入りからスタートします。
ローマ数字が描かれているリングは私たちが知っている時間。
そして、時計の青い部分は日中の空を表現していて、ゴールドの線で12分割されていてます。ガイドブック曰く、バビロニア時間(so called Babylonian time)では、日中は12に分割できるそうです。
外周部で黒色の背景に金色のドイツ文字 (Schwabacher) で描かれた数字は古チェコ時間(Old Czech Time, 別名イタリア時間)である。これは日没から始まる時間である。古チェコ時間が記された環は日没が0時になるよう、一年を通して動く。
At the outer edge of the clock, golden Schwabacher numerals are set on a black background. These numbers indicate Old Czech Time (or Italian hours), with 24 indicating the time of sunset, which varies during the year from as early as 16:00 in winter to 20:16 in summer. This ring moves back and forth during the year to coincide with the time of sunset.
It was already widely used in Italy by the 14th century and lasted until the mid-18th century; it was officially abolished in 1755, or in some regions, customary, until the mid-19th century.[f]The system of Italian hours can be seen on a number of clocks in Europe, where the dial is numbered from 1 to 24 in either Roman or Arabic numerals. The St Mark's Clock in Venice, and the Orloj in Prague are famous examples. It was also used in Poland and Bohemia until the 17th century.
It was already widely used in Italy by the 14th century and lasted until the mid-18th century; it was officially abolished in 1755, or in some regions, customary, until the mid-19th century.[f]
The system of Italian hours can be seen on a number of clocks in Europe, where the dial is numbered from 1 to 24 in either Roman or Arabic numerals. The St Mark's Clock in Venice, and the Orloj in Prague are famous examples. It was also used in Poland and Bohemia until the 17th century.
キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられる。
イタリアで 14 世紀前半から 19 世紀ごろまで使われていた 「イタリア時」は日没後約半時間のころを一日の始まりとして、 そこから一時、二時、……、二十四時と数えたそうです (参考:山口隆二「時計」(岩波新書、1956))。