[1] 大金いかんべ共和国は、 日本国栃木県那須郡南那須町にあったミニ独立国でした。
[4] に日本国栃木県那須郡南那須町は合併で那須烏山市となりました。 それを機に解散しました >>3。
[5] 「大金」という名のミニ共和国でリッチな気分に (2005年3月8日) - エキサイトニュース, 谷和原のぞみ, 2005年3月8日 00:00, https://www.excite.co.jp/news/article/00091110167322/
[6] 龍門の滝 大金駅 消滅いかんべ共和国 那珂川 那珂川大橋, , http://watanabekikaku.com/phot/kimagure/E_karasu.html
[14] いかんべというミニ独立国の元号 (私年号) があったようです。
[10] にJR東日本が販売した大金駅のスタンプ台紙掲載の “大金ものがたり” に、次のようにありました。 >>12
時は移り、人は変わり21世紀も間近に迫ったいかんべ11年の夏、ここらの若者たちは大金 王国を造るベエーと言いだした。或る晩八百万の神々(若者)が天の岩戸の広場に集まり、 王国がいいか、共和国がいいか、と神はかりにはかったところナカナカ結論が出ず、とうと う一番鶏が鳴き出し始めた。「このままじゃ国は出来ネーゾー」「ンダナ、ホンジャ、何でも イカンベヤ」「ソンジャ大金いかんべ共和国とスッカー」「イカンベ!イカンベ!」と・・・。
ここに大金いかんべ共和国が出来上ったのである。建国宣言は8月23日、第11回いかんべ 祭の日と決めたのである。大金いかんべ共和国は古ーくて新しーい国であり、こうして見果 てぬ夢の国が誕生することになったのである。
[13] この文章を紹介しているWebページがあります >>12。 「記念台紙裏面の原文ママ」と注釈されており、実物の写真も掲載されています。 写真は解像度が低く判読困難ですが、 Webページ上の翻刻文と比較するとおおむね同文と推測できます。
[15] 大金いかんべ共和国提供の原稿をJR東日本が発行販売していたのでしょう。
[16] 「いかんべ11年」と何の説明もなく使われていますが、 第11回いかんべ祭とありますから、初回の祭を元年としたものと推測できます。
[17] いかんべ祭は共和国より歴史が深く、共和国の解散後も継続しているようです。 いかんべ祭が共和国の母体のような存在で、 元期も建国ではなく祭に因んで設定されたのでしょう。
[18] 第40回はに開催されました。 逆算すると第1回は、 第11回はとなります。 現在知られている共和国の建国日、 祭の回次、 そして当文章に記載された建国と祭の年数と日付のすべてに辻褄が合います。 従っていかんべ元年はとなります。
[20] 現在知られている用例はこれ1例のみです。 他にどれだけ使われたのかまったく不明です。
[21] ただの祭で建元することは考えにくいですから、 ミニ独立国の建国のために遡って元年が決められた可能性が高いでしょう。
[7] FLand-Web, , http://furusatotabi.com/kantou/tochigi/tochig02_11.html