金光暦

金光暦

[1] 平成19年教学講演会講演記録_金光教教学研究所_Konkokyo Reserch Institute (金光教教学研究所_Konkokyo Reserch Institute著, ) http://www.konkokyo.or.jp/kyogaku/document_h19_iwasaki.html

翌明治九年になると、記述から旧暦ではなく、末暦の「一月一日」に願主として取り次がれたことが分かります。これまで改暦以降でも、教祖様は主に旧暦で生活されていたといわれてきていますが、少なくともこの明治九年の記述からは、年の始まりを末暦でおさえているのが分かります。また、「覚帳」でも、末暦の日付が他の年と比べて多く出て来るのがこの明治九年です。

翌十年は、新暦の「一月一日」が選ばれております。そして、御祈念帳が現存します明治十一年、十二年、十三年も新暦の「一月一日」に願主として記述があります。

[2] タイトル名 () http://www.ne.jp/asahi/konkokyo/fushimi/oboe/syougai3.htm

さらに旧暦12月10日の金光大神縁日に、「(金光大神は)天地金乃神(のおかげの世界を実現するために、人として)お差し向け(になったが、今年生まれ変わり)酉の年生まれ、1歳(である)」と申され、続いて「(今年酉正月20日に、月30日と決まり、閏月、大小なし、と知らせたが)甲戌年(来年)より、月30日に決まり、新旧日をくり、右(甲戌)の正月朔日にて改めよ、小なし、三通りに付け分けてみよ」とお知らせになつた。旧暦は勿論、新暦になつても、月の大小があるので、神は1ヵ月を30日と一定にした1年12ヵ月の末暦(金光暦)を作り、来る旧暦正月朔日を金光暦1月1日として、新暦・旧暦・金光暦の三通りの暦を日々つけることを申し付けられた。これは生神金光大神・天地金乃神の世界誕生の紀元1年である。それは金光教にとつても歴史的な1ペ-ジである。

[4] タイトル名, , http://web.archive.org/web/20040912134728/http://www.ne.jp/asahi/konko/fushimi/oboe/syougai3.htm#buntou

[3] 神愛会だより - 金光教合楽教会神愛会 () https://shinaikai.jimdo.com/%E7%A5%9E%E6%84%9B%E4%BC%9A%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A/

午後一時半より、教学研究所所員 岩崎繁之先生(大阪 大仁教会)をお迎えして、研修会が開かれました。

渕上先生の講師紹介後、岩崎先生より御自身が今日まで取り組んでこられた研究の概要説明が行われました。

教祖様が覚帳に記された「新暦、旧暦、末暦」の関係性と、その意味するところを語られ、明治6年酉二月十五日お知らせ「金光、生まれ変わり」の意味するところを学ばせて頂きました。