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おいでやす~近江路へ 滋賀県の名所、旧跡を紹介しておられます。
大河ドラマの史跡を訪ねて(花燃ゆ 軍師官兵衛他) NHK大河ドラマの史跡を3名のライターが訪ねて記事を書いています。
綾部の文化財 故郷:綾部の文化財や訪問した名所、旧跡を紹介しておられます。
出石は、古事記、日本書紀にも出てくる古い街です。室町時代には、山名氏が但馬を制圧、そして城を築いた時より出石が但馬の中心となりましたが、戦国時代、織田軍に攻められ、城を落城しました。
小出秀家が東軍に属して関ヶ原本戦にて活躍した功績により戦後、徳川家康から6万石の所領を安堵された。
1706(宝永3)年、信濃国上田藩より仙石政明が入り、仙石氏の支配で明治時代まで至った。
1824(安政7)年、藩主仙石政美が死亡するとお家騒動が起こり、入国時、5万8000石あった石高も、久利(ひさとし)の時代に3万石となった。
1871(明治4)年)、廃藩置県により出石県となる。その後、豊岡県を経て兵庫県に編入された。
出石地図 (兵庫県豊岡市)
出石城
本丸 二の丸跡
三の丸跡
石垣 感応殿
この社殿は感応殿といい、出石藩主仙石氏の祖権兵衛秀久公をまつっています。公は美濃の人で、豊臣秀吉に仕えました。その豪勇のほどは大盗賊石川五右衛門を捉えた豪傑として伝説化されています。仙石氏は、公のあと子の忠政が信州上田に移り玄孫政明が宝永三年(1706)に出石に移封されて五万八千石を領し以来、廃藩まで七代百六十三年間続きました。明治に入って旧家臣らによって本丸跡に公をまつる感応殿が建立され今日に至っています。
『出石城跡案内板の内容』
辰鼓楼 (しんころう 明治初期の時計台 観光の街:出石のシンボルです)
出石観光協会は こちら
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