[1] 西山
左の地形図は、西山地区を描いた最新版のものである。
ぽつんと「西山」という注記はあるものの、そこには一切家屋や田畑が描かれておらず、ただ荒れ地の記号が点在しているばかりである。
この様子では、いよいよ次に地形図が改訂される際には、「西山」という表記が消えていても不思議ではない状態だと思うが、このような表記のお陰で私は出発前から西山が廃村である事を知ったのである。
前回までに紹介した中上保集落も廃村寸前であったが、そこにはまだ多数の家屋が描かれていた。
しかし西山にはそれさえもないのだから、相当昔に廃村になっていたのではないかと想像した。
それでは、西山にはいつ頃まで人が住んでいたのだろうか。
手元の新旧地形図を数枚見較べてみたところ、少なくとも昭和50年当時には6軒の家屋があった(うち1軒は神社)。
そして集落の周囲には、山腹を切り開いたような水田が多数存在していたようだ。
また、この頃から道路の線形は現在と変っていない事も分かった。既に車道化していたのだろうが、県道であったかまでは分からない。
そしてさらに時代を遡って昭和5年版を見て見ると、西山には15,6軒もの家屋が軒を寄せ合っていた。道も現在の県道の前身と見られる東西の1本だけでなく、「神社」を通って南の姫川の谷底へ通じる道もあった。その行き先には大糸線の線路があるだけで駅も橋もない(描かれていない)のであるが、実はさらに旧い明治44年版では現在の大糸線の位置が道路(松本街道)であるので(この話はレポートを改める)、その名残りなのだろう。
ともかく、歴代地形図から見る西山集落の歴史は、昭和時代から徐々に衰退化をはじめ、そのまま廃村化という、ひたすらに斜陽の歴史であったと見える。
西山のように孤立した環境にある集落の場合、ある程度の規模を維持できないと、村落の共同作業である道路の維持や屋根の雪下ろしなどが困難になり、集落全体の生活の維持が難しくなる部分がある。現代でこそ行政がその一部を肩代わりするが(県道の除雪もその一つだ)、西山が中上保集落よりも先に命脈を閉じたのは、単純に奥地であったからと思われる。
なおこれは余談だが、西山は単一の集落名であると同時に、周囲に相当広大な区域を有する糸魚川市大字西山の中心でもある。だが、この大字には現在、人口が一人も居ないようだ。
この大字のもとを辿れば、明治2
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