街区符号

街区符号

[1] 街区 - Wikipedia ( ( 版)) <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%97%E5%8C%BA>

[2] 住居表示 - Wikipedia ( ( 版)) <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%B1%85%E8%A1%A8%E7%A4%BA#.E8.A1.97.E5.8C.BA.E7.AC.A6.E5.8F.B7>

[3] 戸籍法施行規則 ( ( 版)) <http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22F00501000094.html#1000000000000000000000000000000000000000000000004500000000000000000000000000000>

[4] 位置参照情報ダウンロードサービス ( ( 版)) <http://nlftp.mlit.go.jp/isj/>

[5] 渡辺 - Wikipedia ( 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA>

「渡辺」のルーツで有名な神社が坐摩神社である。(社号は「いかすり」と読むが、通常は「ざま」)現在地の住所は大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺3号と言うが、1988年の地名変更まではここを渡辺町と言っていた。渡辺の名のルーツが消えるのに反対する運動が渡辺姓の末裔の間で起こり、結局は丁目○番○号の○番の部分に渡辺の名が用いられることになった。

大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目1番、2番、3番、渡辺の順で街区符号が設定されている。

[6] 地番も参照。

[7] 坐摩神社 - Wikipedia ( 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%90%E6%91%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE>

1988年(昭和63年)に旧南区・東区の統合に伴う地名変更の際、「渡辺町」は統合されて消えることとなった。そこで、渡辺姓の末裔で作る「全国渡辺会」が渡辺の名のルーツである渡辺町の消滅に対し反対運動を起こした。結局市は苦肉の策により、丁目の次の街区番号に「渡辺」の名を残すことで決着をみた[2]