JR飯田線城西駅通過から,渡らずの鉄橋として有名な第六水窪川橋梁まで。2011年6月18日撮影。
Passing Shironishi Station in JR Iida line, approach to No.6 Misakubo River Bridge, which crossing the river twice, namely not crossing the river.
JR飯田線・急行「飯田線秘境駅号」からの、第六水窪川橋梁(S字橋・渡らずの橋)を渡る様子の前面展望です。ゆっくり走ってくれているため、ゆっくり鑑賞できると思います。
2011/09/25撮影。
JR東海 飯田線 第6水窪川橋梁 (城西‐向市場駅間)
静岡県浜松市佐久間
橋長 400.7m(22.3m×10連、34.0m×5連)
構成 デッキガーダ 15連
総重量 570.735t
開通 昭和三十年(1955) 十一月十一日
総工費 76,031,907円
「第2節 地質
水窪を中心とする地域は、我が国において地質構造の縮図であるといわれ、複雑多岐を極めている。特に水窪線の経過地の大部分は結晶片岩地帯を通過しており、また峯、大原の2大ずい道は大断層に接近している。
(中略)
(この)地域にはニの著しい断層線が存在し、この断層線を境として、地質は大別して三の地域に分けられる。すなわち水窪より北条(ほうじ)峠経て佐久間、中部天竜を通る著しい断層線があり、これは中央構造線と呼ばれる大構造線に沿うものである。
(中略)
更に水窪川のやや東寄り山腹を通る南北の断層線を境として、東側は古生層に属する水成岩で、珪岩、砂岩、粘板岩である。
第2章 向皆外ずい道の崩壊と代替線
第1節 概要
向皆外ずい道は、水窪川左岸の山端を貫く、延長45mの被りの薄いずい道である。豊橋方坑口より23mのアーチを畳築したとき、たまたま第12,14号台風が連続して襲来し、地表が崩れ、これにつれ、ずい道もまた一部崩壊した。この地山の移動は大規模なもので、既定の線路を建設することは、ほとんど不可能なため、線路を変更して第6水窪川橋りょう 400.7mを新設した。」
「飯田線 中部天竜 大嵐間線路付替工事誌」より
編纂 飯田線工事事務所 昭和31年8月1日発行
飯田線の車窓風景の中で楽しみの一つがこの第6水窪川橋りょうです。下り列車に乗ると城西駅を過ぎたところからその橋りょうは始まり、鉄橋を渡るレールの響きが狭い谷あいに轟きます。列車は対岸の右岸に渡るのかと思ってるうちに、また踵を返しもとの左岸に戻ります。通称「渡らずの鉄橋」とも、その形から「S字橋」とも呼ばれています。この橋は最初から計画されたものではありませんでした。水窪川の左岸をそのま
相月から水窪にかけて、電車は国道152号線と並行して北上して行きます。この城西は国道に面した駅で、駅周辺にも意外と民家が多く見られます。もともと交換駅であったため駅員が配置されていましたが、1984(昭和59)年2月24日の南部CTC化と共に無人化されました。しかし今昔を通して花の美しい駅で、とりわけ春の桜とツツジがきれいです。
さて城西といえば飯田線名物と呼ばれる「S字橋」こと第六水窪川橋梁の話が欠かせません。
この橋は「渡らずの鉄橋」とも呼ばれる全長400.7mの飯田線最長の橋梁で、水窪川に沿って掘削中だったトンネルが、中央構造線の断層による地殻変動で工事を進める傍らで次々と崩壊したため、危険回避の為にトンネル掘削をあきらめ、水窪川の上を橋梁で迂回する形で竣工にこぎつけた苦心の賜物だったのです。掘削途中で放棄されたトンネルは地殻変動で完全に崩れ去り、落石覆いの一部が残るのみです。鉄橋の写真を撮りに訪れる鉄道ファンは昔から多く、駅無人化前はファンの作品が待合の中に飾られていました。
駅前を通る国道のやや相月寄りには、地元の特産品を売る売店が建てられ、地元の人やドライブ客の人気を集めています。
※2005(平成17)年6月30日まで駅所在地は「静岡県 磐田郡
佐久間町」でしたが、2005(平成17)年7月1日の静岡県西部12市町村の広域合併により浜松市、さらに2007(平成19)年4月1日の政令指定都市移行により浜松市 天竜区 佐久間町となりました。
●S字橋撮影地:駅前の国道を水窪方向へ徒歩約5分
【駅写真撮影:2002/09/08】
【周辺図】
JR飯田線の向市場駅と城西駅の間には、“世にも珍しい”橋が架かっているという。
その名も「第六水窪川橋梁」。
しかしこれ、“珍形式”の橋かと言えばそうではなく、よくあるディックガーダー(上路プレートガーダー)らしい。
それが15連も連なっていて全長は400.7mあると言うから、山中の橋としてはかなり長いのだが、その理由が“珍”なのである。
この橋が変わっているのは、地形図で見て一目瞭然であるとおり、水窪川を渡るように見せかけてそのまま戻って来るという“珍線形”だ。
一名、「渡らずの鉄橋」というそうだ。
道路橋でもたまにこういう線形を見ることがあるが、なるほど鉄道では初めて見るかもしれない。
そしてこの“珍線形鉄橋”(←この言葉10回言ってみれ)にも、その建設に関わる旧線が放棄されているとの情報を読者さんから頂いていた私は、前回の「第一久頭合隧道」解決後、すぐこの場所へ向かうことにした。
両者は最短で300mほどしか離れていない、同じ駅間の物件である。
2009/1/25 7:25
実はこの探索、前回の「第一久頭合隧道」と共に、当初は今回やる予定のなかったものだ。
自転車が昨日故障しなければ、朝一で飯田方面へと向かうつもりだった。
それゆえエスクード常備の僅かな資料と、ノートパソコンに補完してある読者諸兄による「情報提供メール」とが、この日の計画変更の材料となった。
そんなわけで、いつも以上に未知を切り開いていく感覚をもっての探索となったのは、幸か不幸か。
そのファーストタッチとなる向皆外(むかがいと)橋へ立った私の前に、地形図のイメージよりも遙かに壮大な鉄道風景が広がった。
これが、“渡らずの橋”か。
なるほど、その通りの姿をしている。
ちょうど対岸が中芋掘の、意外なほど密集した市街地になっているため、
余計に線路が入りがたく曲がってしまったような印象を受ける。
そして、この橋に対する旧線が有るとしたら、それはもう一箇所しか考えられない。
私は、速やかに“そこ”へ向かった。
【現在地】
きたきた…、早速見えてきた…。
線路が二叉に分かれていたような雰囲気が、ありありと見て取れる一角が現れた!
まずは順調なファーストコンタクト。
ちなみに、ここへ直接来る車道はないので、50mほど離れた道から段々畑の畦を下って、さらに民家の
あの夕暮れまで続いた激戦のあと、佐久間駅に降り立った私は手負いのチャリを車に収め、空腹を満たすべく移動を開始した。
佐久間にはおそらくコンビニというモノはなく、閉店間際の小さなマーケットで買い込んだ魚肉ソーセージと塩焼き鳥の缶詰をおかずに、車に積んであるガスコンロで作ったカップラを主食にするという、侘びしい夕餉をとった。
それから午後8時頃までに車で水窪付近へ移動してから、翌朝の探索を考えて飯田線の向市場駅前を車泊場所に定めた。
上の写真は、その向市場駅だ。
今度は右の地図を見てもらいたい。
JR飯田線は、国鉄時代の昭和30年に大規模な路線付け替えを経験している。
電源開発株式会社による佐久間ダム建設によるもので、中部天竜〜大嵐間の13.3kmを水窪川沿いに迂回する新線(17.3km)へ切り替えたのだ。
そうして生まれた現在の”水窪新線”だが、こちらにも部分的な旧線があることは、巨大な水没旧線に較べてあまり知られていない。
それは、城西(しろにし)〜向市場(むかいちば)間にある、
・第一久頭合(くずごう)隧道
・第六水窪川橋梁(向皆外(むかがいと)隧道)
の2箇所である。
この新線全体の工事はダム着工翌年の昭和28年8月に始まり、ダム完成前年の30年11月に完成した。
国策であるダム工事に関わる路線の付け替えは、国鉄の威信をかけての突貫工事とならざるを得なかった。
右図にカーソルをあわせると「地質図」に切り替わる。
それを見て頂ければお分かりの通り、新線は「中央構造線」と「天竜川断層」という2本の巨大な断層帯に挟まれた地域に敷設されている。
一般に断層地帯の地質は劣化していることが多く、土木工事には不適である。
それゆえに新線工事は、想定外の苦難を数多く乗り越えねばならなかった。
2つの“新線の旧線”もまた、それと無関係ではない。
それでは、まず「第一久頭合隧道」を紹介しよう。
事前情報となったのは、『鉄道廃線跡を歩く�[
』巻末の資料「全国線路変更区間一覧」だ。
個人的にこの資料は、旧線ファンにとってバイブル的な価値のあるモノだと思う。これのためだけに�[号は買う価値があると思う。
「全国線路変更区間一覧」の「飯田線」の部には10の「付け替え」が記録されているが、その4番目を次に引用しよう。
[11] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054549394585