[1] 秩父市
秩父市(ちちぶし)は、埼玉県北西部、秩父地方にある人口約6.4万人の市。面積は約578km²で、埼玉県内で最も広い市町村である。
二瀬ダム(ふたせダム)は埼玉県秩父市、一級河川・荒川の本流最上流部に建設されたダムである。
国土交通省関東地方整備局が管理する国土交通省直轄ダムで、荒川水系では初となる多目的ダムである。高さ95.0mの重力式アーチダム。荒川の治水と埼玉県北西部の既得農地に対する農業用水補給および県営の水力発電が目的である。浦山ダム(浦山川)や滝沢ダム(中津川)と共に荒川上流ダム群を形成している。ダムによって形成された人造湖は、秩父宮妃によって秩父湖(ちちぶこ)と命名された。秩父多摩甲斐国立公園に指定されている。
沿革 [編集]
荒川は名前が示す通り古くから氾濫を繰り返す河川であった。このため荒川放水路開削を始め様々な治水対策が行われてきたが、1947年(昭和22年)のカスリーン台風によって流域は更なる被害を受けた。建設省(現・国土交通省関東地方整備局)は荒川の治水を図るべく「荒川総合開発事業」に着手。この中でダムによる洪水調節を目論んだ。こうして計画されたのが二瀬ダムであり、1952年(昭和27年)より建設が開始され1961年(昭和36年)に完成した。
ダムの型式は重力式コンクリートダムとアーチ式コンクリートダムの利点を兼ね備えた重力式アーチダムであり、ダムの高さは95mである。荒川沿岸の洪水調節、荒川沿岸の既得農地に対する慣行水利権分の農業用水補給を図る不特定利水、および埼玉県企業局による水力発電が目的の多目的ダム(特定多目的ダムである。この後、荒川水系には浦山ダム(浦山川)、滝沢ダム(中津川)が完成し、この3ダムは近い位置にあり「荒川上流ダム群」と総称される。
秩父湖 [編集]
ダムによって出来た人造湖は秩父湖と呼ばれ、秩父多摩甲斐国立公園に指定されている観光地であり秩父市(旧秩父郡大滝村 (埼玉県))に位置している。ダムの天端には埼玉県道278号が通っており、国道140号と多くの観光客で賑わう三峰山・三峯神社を結ぶルートとして利用されている。秩父湖沿いの国道140号は秩父往還とも呼ばれ、かつては甲斐と秩父を結ぶ主要街道であったが、雁坂峠という難所があり、長い間点線国道となっていた。滝沢ダム建設に伴い中津川沿いに変更となり、さらに1998年(平成10年)には雁坂トンネルが開通。これに伴い秩父市から甲府市間の所要時間を大幅に短縮させることができた。
また、秩父湖からは和名倉山への
小池都知事が進める東京都の「無電柱化」は、先進国の都市として安全な街づくりを考えれば当然の提案なのかなぁと思います。
でも、でも・・・(笑)
懐かしい風景が目の前でどんどん変わっていくのがさみしくて、
せめて写真に撮っておこうと、日々撮り歩いております*
今回は、東京に限らず電線の似合う風景を載せたいと思います。
***
多すぎる電線(杉並区)
角の煙草屋にからみつく(杉並区)
呑兵衛をつなげる( 小伝馬町 )
商店街をはしる( 西荻 デパート)
縦横無尽( 立川市 )
近代建築を囲む電線(村林ビル)
旧街道の路地( 都留市 )
Y字路の電線には努力が見られる(中野)
広い道路にも電線( 秩父市 )
鐘と電線( 秩父市 )
松が先か、電線が先か( 武蔵野市 )
うさぎとパンダと電線(世田谷区)
好きな風景がこんな風にプリントされてると、いつでも懐かしい気分にひたれますね。
首都高では当たり前のトンネル内分岐…それが、山深い秩父・旧大滝村に! そんなトンネルへ、15年振りに♪
ここが、国道140号・駒ヶ滝隧道(トンネル)のある秩父湖(二瀬ダム)前。左手には、無料大駐車場…
15年前に来た時は、もう少し、活気があったような…。時代の流れっすなぁ…
このドライブインで、アイスキャンディを買って、元カノと食べたっけ…。今じゃ、現場事務所に…(/--)/
そんなことを思い出しながら、メインディッシュの駒ヶ滝隧道は、後の楽しみに取って、二瀬(ふたせ)ダムの散策から♪ 右上画像の矢印の部分が、そこへの道っす…。
トンネルを見たい方も、暫しのお付き合いを…(*^_^*)
秩父湖と名付けられた人造湖。観光名所にしているのでしょうが…(-_-#)
周辺道路工事中のため、民家の軒先のほうへ、誘導されます…(゚゚;)エエッ
人が住んでいるアパートの前かと思ったら、「官」所有の廃墟でした…(;゚゚)ウッ! ぜ、ぜ、税金が…(/--)/
歩行者専用の小さなのトンネル…二瀬トンネル。カビが生えてて、ちょっち嫌かも…(^o^;)
反対側は、こんな感じ。その下に、旧道?がありました。強行突破も考えましたが、管理棟から丸見えなので…(^O^;)
トンネルを抜けて、左側には、工事中の橋が…。完成すれば、トンネル不要で、ダム堤体上へ抜けられます…ってことは、トンネル内分岐は、廃止に? すると、分岐部は、廃トンネルと化して、マニアの訪問が増えるかぁ…(^o^;)
観光案内図と、しっかりとしたケースの中に、パンフレットが… 1枚戴きました♪ これが、後の悲劇に…(゚゚;)エエッ
遊歩道を下り、振り返ると、そこには、トンネル内で分岐した坑道の出口が…
二瀬ダム側の坑口です。建物の下に、トンネルの坑口があるって、微妙…(^o^;)
坑口は、小さく見えても、そこそこの大きさ。振り返ると、ダム堤体上…あっ\(◎o◎)/!
堤体上は、県道になっていて…歩いているのは、私だけ…(^o^;)
下流側の眺望…
ダム湖側の眺望…広さよりも、深さのダム湖なんでしょうか?
私と、ほぼ同世代のゲートが、新品のように…私は、既にボロボロ…(゚゚;)エエッ
すげー高さです…(@_@) ○玉が、縮み上がります…(^O^;) ちなみに、黒部ダムと同じ、アーチ式のダム…と思っていたのですが、編集中に調べてみると
国道140号線 駒ヶ滝隧道〜栃本不動滝〜雷電廿六木橋♪@埼玉県秩父市 2011年1月
そんなわけで、真冬の奥秩父(旧大滝村)へ 今回は、全編動画で♪ 過去ネタは→2010年5月
大雪の影響で、関東地方の山間部では十九日も孤立状態が続いた。被害が深刻な埼玉県秩父市の大滝地区のうち、中津川・中双里(ぞうり)の二集落では、計三十七世帯五十三人が孤立したままだ。集落へ続く道には降り積もった雪に雪崩が重なり、高さ五メートルにも達している。土木業者が除雪作業を続けているが、孤立解消の見通しは立っていない。 (羽物一隆)
この二集落は北が群馬県境、南西が長野県境という埼玉県最西部にある。集落まであと約八キロという地点にある「大滑(おおなめ)トンネル」付近で、除雪を進めている土木業者の作業を取材した。
トンネルまでの県道は、車一台が通れるようになっていた。しかし、トンネルに入っても、集落側の出口は高さ五メートルの雪の壁にふさがれていた。現場の除雪を担当するサンセイ(本社・秩父市)の斎藤収(おさむ)さん(48)が十八日、雪の壁を歩いて登り、集落方面の様子を調べたところ、三百メートル先まで同じ規模の雪が積み上がっていた。「そこまで除雪するには順調にいっても三日はかかる」。除雪が済んでも、山の斜面に残る雪が雪崩となって再び道をふさぐ可能性が高い。「実際には作業がいつ終わるかは分からない」
動画の説明文: 全文を表示
2015年8月15日、 ホラーゲームの舞台となった埼玉県秩父市の廃村集落を訪れました。 ここはゲーム「SIREN」に登場する「羽生蛇村」のモデルの一つになり 平安時代の豪族、平将門一族が隠れ住んだとされています。...
なにやら秩父の山奥には、現役の国道でありながら一風も二風も変わったトンネルがあるらしい。
以前、当サイトで大々的に読者様から情報を募った際にも、そのトンネルの情報は複数の方から寄せられた。
いずれも関東近郊の方からの情報で、「関東に来たならぜひ」とか、「こちらの名物です。ぜひ見てくれ!」というような熱い内容だったと記憶している。
そして今回私は、初めて自転車でこのトンネルを通った。
その結果、現役のトンネルとしては特別に強烈なインパクトを有するものであると、そう認識するに至った。
故に、ここ1年間ではたった1例しか前例のない、現役でありながら隧道レポに登場という(きっと名誉でもなんでもない)快挙となったのである。
前置きはこのくらいにして、早速レポを始めよう。
いきなり隧道というのではそのインパクトを伝えきれないので、少し手前から始めたい。
2007/9/3 6:24 【埼玉県秩父市大滝 落合交差点】
秩父市街から国道140号を大滝・甲府方面に進み、駒ヶ滝隧道の約4km手前にある落合交差点。
数年前まではこの辺りは大滝村といったが、今は秩父市の一部となっている。
この交差点はT字路になっており、秩父方面から来ると左右のどちらかを選択して曲がらねばならないのだが、直近には右の青看が設置してあるから、甲府を目指す殆ど全ての車は右折することになる。
しかし、この青看には嘘がある。
国道140号は右であるとされているが、左も同じ国道140号なのだ。
この交差点、右へ行っても左へ行っても、ともに国道140号なのである。
左右の写真はそれぞれこの交差点から左右を見た景色だが、どちらの道も雰囲気的には大差がない。
もし青看が無ければ、土地勘の全然無い人なら五分五分、甲府がどの方角にあるかを知っている人ならばきっと左折するだろう。
この両者がともに国道140号であり、どちらも現役の国道である。
地図で説明しよう。
現在地は「落合」である。私はここへ秩父方面からやって来た。
市販の地図にも、ちゃんと両方ともが国道の色で塗られているのがお分かり頂けるだろう。
ただ、いずれも現役で国道に指定されてはいるものの、青看が示すとおり、右の道のほうがよりよく整備されている。
入口こそ新しくは見えないが、この数キロ先からはループ橋を絡めたバリバリの新道「大滝道路」が
地震 大国であることから古い建物がどんどん建て替えられ、懐かしい街並みが失われつつありますが、あって当たり前と思っていた路地から見た電線の空も無くなるのかと思うと、ちょっとつまらないですね。
ということで、前回に続き、 「無電柱化」前に撮っておきたい電線のある風景をまとめてみました。
***
夕方の下り坂と空(杉並区)
木造 モルタル ともじゃもじゃ(神田)
鉄道と踏切と電線とおばあちゃん(新宿区)
物干し台との接近戦( 墨田区 )
戦前からの下宿を囲む(日本館)
縦横無尽(新宿区)
屋根、雲、電気( 秩父市 )
旧大月旅館別館と川のような空( 秩父市 )
一軒一軒に繋がる電線(新宿区)
銅板張りの看板建築を見上げて(高円寺)
空も地上もノスタルジック(田無)
神様に向かって( 秩父神社 )
関係ないけど、なんかこのニワトリ 電線っぽい(笑)
来年の干支はトリですし♪
とある街道近くの路地裏を散策していて遭遇したレトロな電信柱。
もう随分前のことですが、この家のおじいちゃんが出てきて「かなり古い電柱。今は使っていないが残っているのは珍しい。」と話してくれました。
下調べをせずに路地裏散歩をすると、偶然の出会いは貴重です。
かなり歩いてもピンとこない場合もありますし(笑)
これからも、いつか無くなるであろう電線のある風景、そして古い電信柱に焦点を当てて探索してみようと思います。
最近の万歩計は、色んな機能がついているんですねぇ(*3*)
交通:西武国分寺線小川駅から徒歩5分又はたかの台駅から徒歩15分
所在地:小平市小川東町~津田町~上水本町付近 地図
小平市内を通る鎌倉街道は、九道の辻から現在のブリジストン工場内を通り、小川東町から津田町へと直線で抜けていたと推測されます。この部分は現在も道筋が残されています。(耕地区画により若干道が食い違っている部分があり)小平市により鎌倉街道の説明板や標柱も建てられていて、判り易くなっています。久米川宿(東村山)から恋ヶ窪までの間、当時は無人の荒野であったと考えられ、水も容易には得られず旅人はひどく難儀したことでしょう。現代の風景からは想像も出来ませんが。。)だだっ広い荒野であったため、江戸初期(寛永年間)から小平市一帯は徳川将軍家・ 尾張徳川家の鷹狩場に指定され、現在も幕張り(鷹狩の際の陣場)や鷹の街道などの呼び名が残されています。一面荒野の小平市(小川村)の開発が始まったのは、玉川上水・野火止用水が完成した後の明暦2年(1656)小川九朗兵衛(武蔵村山の岸村出身。玉川上水より分水を願い出て許可される。祖先は小田原北条氏の家人で武蔵七党のうち西党小川氏の末裔。鷹場の鳥見役も務める。)により開墾が開始され、青梅街道の宿場が作られた事に始まります。(この時、最初に開墾を始めた地が石塔ヶ窪と伝わる。江戸末期までこの地に秩父青石の大きな石碑が在ったことに由来する。現在もわずかに低地となっている。)新編武蔵風土記稿の小川村の項に”村内古街道あり道幅二間許・・・”とあります。
津田町に出た鎌倉街道は、玉川上水を鎌倉橋(昭和52年に架けられた)を渡り、上水本町へと入ります。その後は五日市街道にぶつかり、住宅地となり道は途切れてしまいます。五日市街道に交差する少し手前辺りを二ツ塚と呼び、道の左右に一対の塚があり鎌倉街道の一里塚であったと伝えられています。(塚は昭和の初め頃まで存在していたという。但し、鎌倉街道に一里塚が存在したかどうかは疑問。)鎌倉街道の道筋が再び現れるのは、府中街道西武国分寺線の踏切(東恋ヶ窪)手前になります。
玉川上水(鎌倉橋)
三峯神社が在る場所は、埼玉県秩父市である。古くから参道が整備されており、眺望の良さからハイキングに訪れる観光客も多い。神社周辺に、三峰山博物館、三峰ビジターセンターがある。
交通 [編集]
三峯神社脇に大型駐車場があり神社参拝以外でも利用できる。 また西武観光バスの路線バスが西武秩父駅・三峰口駅から駐車場まで運行されている。
かつては麓の大輪から山頂まで三峰ロープウェイが運行されていたが、施設老朽化のため平成19年(2007年)で廃止された。
雲取山に至る道 [編集]
三峰ロープウェイの三峰山頂駅から雲取山に至る道は、「三峰・雲取自然研究路」(登山道、約10km)となっている。一帯は霧が多く、野口雨情が「朝にゃ朝霧、夕にゃ狭霧、秩父三峰霧の中」と歌った。
周辺にある小屋 [編集]
霧藻ヶ峰休憩所
白岩小屋
関連項目 [編集]
奥秩父山塊
妙法が岳
白岩山
雲取山
外部リンク [編集]
国土地理院 地図閲覧システム 2万5千分1地形図名:三峰(南西)
国道140号は埼玉県と山梨県を結ぶ国道です。 かつては途切れ国道で、通行不能区間は登山道でした。 途中で便所内を横切っていたのも有名です。 現在は立派なトンネル(雁坂トンネル)が開通し、埼玉と山梨がグッと近づきました。 開通するまでは両県の行き来ができず、かなり大回りしていたのでこのトンネルは大きな存在です。 R140には彩甲斐街道という愛称があります。 なかなか良いネーミングだと感じました。 今回、R140を秩父から甲府まで走行してきました。 雁坂トンネルの埼玉側に面白いものがありましたので数回に分けてアップします。 今回と次回は秩父市内にある『駒ヶ滝隧道』編です。 現在の場所は埼玉県秩父市。 国道140号を甲府方面へ走行中です。 この交差点、右方向がR140・・・ではなく、左右両方向ともR140なんです。 大きな地図で見る 現在は地図の緑矢印の交差点です。A地点側から左方向へ進んでいます。 上のR140が広くて快適なバイパスで、甲府へは通常こちらを通ります。 下のR140は皆さまお解かりかと思いますが"旧道"です。 そして旧道の先にはなにやら怪しいトンネル、分岐点・・・ と、いうわけで早速先ほどの交差点を左折し旧道へ。 しっかりとおにぎりが立っており国道で間違いありません。 沿道にはトンネルまでの距離が書かれていました。 トンネル自体が観光地なのか!? しばらく進むと広い駐車場のあるパーキングエリアと信号機が出現。 ・・・もう見えていますねw 駒ヶ滝隧道出現!! これで国道、しかも隧道内で県道と分岐・・・素晴らしいです。 はるばるここまで来た甲斐がありました。 なんてことを考えながら隧道を見ていると・・・ うお!!∑(゚Д゚〃) 次回、駒ヶ滝隧道の周辺をアップします。 最初に断っておくと、隧道内の写真はありません。 撮っている余裕がありませんでした(汗 Part2へすすむ 探索日:23.10.23
奥秩父にある国道140号線の「駒ヶ滝トンネル」です。国道のトンネルらしからぬ独特な雰囲気や関東圏にあることから分岐トンネルの中でも知名度が高いトンネルです。秩父と甲府を結ぶ国道140号線に三峰神社に向かう埼玉県道278号秩父多摩甲斐国立公園三峰線がトンネル内で合流する形になっています。
秩父市街より国道140号線を甲府方面に車を走らせ二瀬ダムの手前までやってきました。
…訪問時は夏休みのうえお盆休みが重なった時期だったのですが閑散とした雰囲気でした。90年代に何度か来たことがあるのですが当時はいつ来ても写真の辺りは信号待ちの車で大渋滞してたのでちょっと意外でした。
「駒ヶ滝トンネル」東側の坑門です。坑門と書きましたが、民家と民家の間の石垣にトンネルが口を開けているような感じです。(扁額があるのか見てくるのを忘れていました…)
トンネルを通行する自動車は写真左の信号機に従うことになります。
概要 [編集]
池袋線の事実上の延伸区間であり、池袋線とともに池袋 - 西武秩父間を結ぶルートを形成している。池袋線の飯能 - 吾野間と直通運転している(特急・快速急行は池袋駅まで)。池袋線の運行系統が飯能駅で分割されているため、起点が飯能駅であると思われたり、地図などで飯能 - 吾野間も西武秩父線とするような表記が見られる。
当路線は西武有楽町線と同様に、「西武」を含めた「西武秩父線」という路線名である[1]。これは、秩父地方に当路線より先の明治・大正時代に建設された秩父鉄道秩父本線(通称「秩父線」)との区別のためである[要出典]。各駅の路線図などでも「西武」が省略されることはなく、「西武秩父線」と表記されている。
武甲山から産出する石灰石を原料とするセメントの輸送と沿線の観光開発を目的に建設され、1969年(昭和44年)に開業した路線である。正丸 - 芦ヶ久保間で正丸峠を越える山岳路線で、同区間に存在する正丸トンネル(延長4,811m)は、山岳トンネルとして建設当時日本の私鉄最長であった。
西武ホールディングスの筆頭株主であるサーベラスからはリストラ策として本路線の廃止が提案されている。これに対し、2013年3月25日に上田清司埼玉県知事や沿線の首長は「生活鉄道」であるとして存続を要請した[2]。
路線データ [編集]
路線距離(営業キロ):19.0km
軌間:1067mm
駅数:6駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V架空電車線方式)
橋梁:計35か所 (1960.26m)
橋梁:21か所 (1,565.51m)
高架橋:1か所 (307.73m)
架道橋:13か所 (87.02m)
隧道:計16か所 (7,749.78m)
正丸隧道 (4,811.42m)
その他15か所 (2,938.36m)
芳延隧道、猪狩隧道、三社隧道、
山崎隧道、北川第一隧道、北川第二隧道、
北川第三隧道、北川第四隧道、南川隧道、
芦ヶ久保第一隧道、芦ヶ久保第二隧道、芦ヶ久保第三隧道、
川地隧道、横瀬隧道、羊山隧道。
歴史 [編集]
戦前に吾野まで達していた池袋線を1969年(昭和44年)に武州鉄道との競合の末、延長したものである。
西武秩父線の開業により、西武鉄道では従来にない列車の運行を開始した。開業と同時に特急専用車両5000系「
目の前の橋は観音橋という名が付いているが、下は川ではなく、道路である。
日川の対岸の集落へ向かう車道でもある。
東京都心にある旧江戸城外濠(そとぼり)(千代田区など)の水質を抜本的に改善しようと、東京大や中央大など5大学の河川や環境工学の専門家が、荒川上流の水を活用する構想をまとめた。
荒川上流から多摩川や玉川上水を経て外濠に導水する大がかりな構想で、12月3日に東京都文京区の中央大学で開くシンポジウムで発表する。
外濠は神田川とつながっているものの、水の流れがほとんどなく、大雨が降ると下水が流れ込む。夏場にはアオコが大量発生して水面が緑で覆われ、悪臭を放つこともある。
構想では、荒川上流の水利権がない水を活用する。荒川上流にある滝沢ダム(埼玉県秩父市)付近から多摩川に向かって長さ約20キロ・メートルの導水管を新設、荒川上流の水を多摩川に流す。多摩川につながっている玉川上水を経由して、外濠に導水する。
こうした方法により、冬場の渇水時を除けば、最大で毎秒約10トンの水を外濠に流すことができ、水質の浄化が期待されるという。
待ちに待った春が到来!
この4月から、大きな希望で胸をいっぱいに膨らませ、あこがれの東京で新生活を始める人も多いことだろう。
そんな皆さんに贈りたい。かつてこの地で覇を競い、繁栄を願いながら志半ばに散って行った多くの人々の夢の跡を。
(わかみこだんそうどう)
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埼玉県秩父市 (深さ10数mくらい?)
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秩父の橋立鍾乳洞に行った帰りに近辺の札所などを散策して、付近にある「若御子断層洞」というのを見物してきました。
鍾乳洞ではありませんが、断層面の破砕帯によって生じた小さな洞窟ということで、県の天然記念物となっています。
このあたりにある「日野断層群」の一部で、断層の境目にある破砕された岩石が地下水などで流れだして空洞ができたと考えられています。
秩父札所巡りのひとつともなっている清雲寺というお寺の裏手に有る、若御子神社の裏山の薄暗い杉林の中にひっそりとあり、やや不気味な雰囲気。
入口は大きく、すぐに断層面が出ていて奥行き1-2mしかないのですが、ライトで照らしてよく見ると、脇の奥の方に真っ赤に錆びた鉄バシゴが。
独りなのでかなり不気味ですが意を決してハシゴにとりついてみます。
2-3mぐらいの一段上に恐る恐る登って、ライトで覗き込むと目の前にぶら下がる5-6匹のコウモリ。
ライトを感じて眼を開けたコウモリと眼が合ってしまいました。
一瞬後に、彼らは狭い穴の中を一斉に飛び立ち、バサバサバサと飛び回って出て行きました。
思わずハシゴから落ちそうになりました(^^;;
気を取り直して、しゃがんで通れる高さの曲がった穴をさらに2mぐらい行くと、狭い穴が開いていて、入れないように鉄棒が打ち込んでありました。
その向こうの暗闇のずっと下の方からかすかに水滴の音が響きます。
外の看板によると、この向こうは深さ10m以上の縦穴のようです。
だんだん怖くなってきて、慌てて脱出してきました。
白く滑らかな石灰岩の鍾乳洞と違い、風化したチャートの赤茶の岩肌にカビが白く浮かんで何とも陰惨な雰囲気なのでした。
子供の頃によくやった、赤土の防空壕探検を思い出しました。
しかし、あのコウモリにはさぞ迷惑だったでしょう。
悪いことをしました(^^;
奥秩父の険しい山中にある「瀧谷洞(ろうこくどう)」。関東最大級の洞窟といわれるが、容易に人が近づけず、未知の部分も多い。洞窟内からはクマの全身骨格やニホンオオカミの歯と類推される化石が見つかるなど学術的価値も高いとされ、全容解明へ埼玉県が本格調査に乗り出す。
この洞窟は1989年、旧大滝村(現秩父市大滝)で民間の探検グループが発見した。形成期は数十万年以上前とみられ、洞内全体に鍾乳洞が広がる。大きさは推定で全長2・7キロ以上、高低差160メートル。関東では日原三又(にっぱらみつまた)洞(東京都奥多摩町)と並ぶ規模という。名前の由来になった高さ約50メートルの滝や深さ約30メートルの谷も確認されている。
元同市大滝総合支所長の山中和則さん(62)は計10回、洞内に入ったことがあると話す。「それはもう神秘的な白さで、きれいで、自然の創造力に圧倒されっ放しでした」
異例のスケールと幻想的な美し…
埼玉県道278号秩父多摩甲斐国立公園三峰線(さいたまけんどう278ごう ちちぶたまかいこくりつこうえんみつみねせん)は、埼玉県秩父市荒川地区から同県秩父市大滝地区に至る県道である。
終点近くでは二瀬ダムの天端を通り、この付近では信号機による交互一方通行となっている。終点の国道140号との交点はトンネル内にある。
2010/2/25 16:16
秩父市から西北西の方向に荒川支流の赤平川をさかのぼり、志賀坂峠から群馬上野村へ、さらに信州へ続く国道299号。
その途上の小鹿野(おがの)町三山(さんやま)地区旧国道脇に、珍しい形をした廃吊橋がある。
今回はそれを紹介したい。
右の地図にカーソルオンで拡大する。
田ノ頭と久月の間の国道は、新旧道が赤平川を挟んで並行している。
途中、北岸の旧道から南岸の現道に向けて一本の橋が架けられているが、これが今回見つけた橋だ。
最新地形図に描かれてはいても、これが廃橋なのだった。
なお、探索を終えた現在でも、この橋の素性は不明のままである。
正式な名前さえも分からないので、地区名を取って「田ノ頭吊橋」と仮称することにする。
目の前を流れる川は赤平川。
奥は下流方向となる。
谷幅の割に水量が少ないのが目に付くが、その理由は分からない。
そして左岸の1車線の道路は旧国道で、それと川を一挙に跨いでいるのが、現国道の「田ノ頭橋」である。
今回紹介したい橋は、この場所で見つかった。
反対の上流方向に目を向けると…。
乾いた川原を渡る、ミイラのような吊橋。
この距離でも、それが既に廃橋であることは容易に判別できた。
その一番分かり易い“変異”は、
橋桁となる部分が骨組みばかりになっていたことだ。
それでも“髑髏(どくろ)”ではなく“ミイラ”との印象を持ったのは、
所々に朽ちた床板が残っているのが見えたからだ。
それは、私が最も苦手とする、危険度の高いコンディションだ。(←渡る場合)
廃橋ゆえやむを得ないが、
橋はシルエット自体からして、既に尋常の状態ではなくなっていた。
普通、吊橋の主索と床板と耐風索の描くカーブの頂点は、一直線上にある。
それが構造的なバランスが整っている状態であり、最も安定している。
これまで色々な廃吊橋を見てきたが、
架かっていながらにして、このバランスが大きく崩れているものは珍しい。
確率論的に見るならば、落橋が相当に近付いていると言うことになるのだろうか。
よく見ると、耐風索は2本とも緊張を解かれ、全く遊んでいる状態だった。
直接の耐荷重性には影響はしないが、橋の寿命を短くする“異常”に違いはない。
さらにいえば、耐風索が切れたために橋全体のシルエットが歪んだのかもしれない。
…こんな具合で、
平成27年04月24日
発注情報
一般競争入札の公示(物品・役務)「H27自動車(1500CC級、4×4D 5人乗り)交換購入」を追加しました。
平成27年03月24日
その他
平成26年度(26年4月-27年3月)水質調査データを公開しました。
平成27年03月18日
公表・報告
船舶の放置行為に罰則が適用されます! 〜荒川水系の国が管理する区間で指定〜
平成27年02月16日
その他
荒川ふれあいログハウスの使用について
平成27年01月19日
その他
秩父湖の水辺から… 雪が降りました。(H27.01.19)
平成27年06月10日 �荒川上流河川事務所/大宮国道事務所 /二瀬ダム管理所
その他
〜大規模地震、洪水などの災害に備えて〜 「災害対策用機器の操作講習会」を実施します。
平成27年05月08日 �二瀬ダム管理所
河川
第26回「みどりの愛護」功労者国土交通大臣表彰の受賞について
平成27年04月20日 �荒川上流河川事務所/荒川下流河川事務所 /二瀬ダム管理所
河川
第3回荒川河川整備計画有識者会議の開催について
平成27年03月23日 �荒川上流河川事務所/荒川下流河川事務所 /二瀬ダム管理所
河川
「荒川河川整備計画(骨子)」に対する意見募集の実施について
平成27年03月23日 �荒川上流河川事務所/荒川下流河川事務所 /二瀬ダム管理所
河川
第2回荒川河川整備計画有識者会議の開催について
携帯版 二瀬ダムホームページ
二瀬ダムの様々な情報を、携帯からもご覧いただけます。お手持ちの携帯電話でQRコードを読みとってアクセスしてください。
本日のダム諸量
二瀬ダムの今日の諸量情報を掲載しています。
二瀬ダム管理所移転のお知らせ
二瀬ダム管理所は平成24年4月23日をもちまして移転いたしました。 二瀬ダム脇トンネルの手前へ移転しましたので、ご来所の方はご注意下さい。 駐車場は管理所の道路を挟んだ向かい側をご利用下さい。 住所:秩父市大滝3931−1
度重なる浄化作戦が進められ見た目には観光客も闊歩する健全な繁華街となっている歌舞伎町も、まだまだ暗黒面とも言える場所はそこかしこに残っている。歌舞伎町の旧コマ劇場を過ぎたところにある「東京都健康プラザハイジア」裏手の「新宿区立大久保公園」を見ると、公園の外周部分が全てフェンスで覆われている。夜間早朝は立ち入る事ができず、午前9時から午後7時(冬季は夜6時)までゲートが開放されて出入り可能になっていて、定期的にイベント会場にもなるので、もはや公園と呼べるべき場所ではなく、多目的スペースと言った方が近い。
何故大久保公園がこうなったかというと、以前この場所は立ちんぼや違法なホニャララを販売する裏稼業の連中が集まる曰くつきのスポットとしてあまりに有名になってしまったせいだ。浄化作戦の一環でフェンスで覆われてしまい、夜間は一切出入り禁止。未だに大久保公園とハイジアの間の道や周辺で「客待ち」をしているババアの姿を目にする。周囲には歴史を感じさせる連れ込み旅館やラブホテルが密集しており、現代においても街の役目は変わっていない。ハイジアの前の道には「座り込み・立ち止まり禁止」の張り紙と共にロープが張られていて、立ち止まる事すら許されないのかと突っ込みたくもなる。
ちなみにこの大久保公園向かいに「公益社団法人日本駆け込み寺」の事務所があり、DV・家出・ストーカー被害者の相談サポートをしている傍ら、刑務所から出所後、社会復帰に困っている元受刑者及び元暴力団員の就職サポートを兼ねた飲食店「新宿駆け込み餃子」を近くで経営している。
【東京=トンキン】アイヤー!タワマンバブルに湧く江東区「豊洲」で中国人が急増している件
2016/7/1
2016/7/1
江東区
少子高齢化を基に容赦なく進む日本の人口減少社会、その反面どんどん外国人人口が増えまくっているのが今の東京都である。そんな中で先日、 「23区ではどこの国籍の人口が多いのか?」 というタイトルの記事が出てきた。この記事では6月27日に東京都が公表した 「東京都の人口(推計)」の概要 に基いて、23区の中で外国人人口が増加した区、特に中国人が増加した区をグラフや地図上にプロットするなどして可視化したデータを掲載している。
記事では外国人人口の割合を国別に円グラフでまとめているがその中でも「中国」が42%(台湾・香港も含む)で見るからにダントツなのだが、そんな中国人が多い区を上位4区で新宿、江戸川、江東、豊島と挙げているのだ。新宿区は極東最大のエスニックタウン新大久保があるし豊島区は東京最大のチャイナタウン池袋があるのでまだ分かる。しかし気になるのが東京東側の江戸川区と江東区だ。
江戸川区も江東区もJR総武線及び地下鉄東西線沿線が軒並み大陸系の本格大衆中華料理屋と怪しいマッサージ屋に中国小姐が夜な夜な「オニイサンマッサージキモチイイヨ」と片言で客引きする光景が当たり前になっているアレな街ばかりなのだが、とりわけ街並みがドラスティックに変貌を続けているのが江東区豊洲・東雲・有明といったタワマン建設ラッシュに湧く湾岸エリアである。
元々は工場地帯の埋立地だったのに今では富裕層がこぞって集まる街に
元々、豊洲・東雲・有明一帯は関東大震災後の瓦礫処理の際に埋め立てられた土地で環境汚染や公害といった悪しきレッテルが付きまとっていた工場や倉庫街でしかなかったが、都心に程近い故に再開発によって高級タワーマンションが続々建てられて富裕層が続々と入居し、特に豊洲地域は子供の人口も急増した為に2007年に豊洲北小学校、2015年に豊洲西小学校が相次いで増設される羽目になっている。
5年前の東日本大震災の記憶も薄れ、地震がひと度起きて停電でもすればエレベーターが止まって日常生活もままならなくなるような埋立地のマンションをポンポンと億単位も払って買ってしまうお目出度い人々がそれほどまでに大勢居るのかという驚きもあるのだが、富裕層と貧困層の二極化がそれだけ進んでいる
凄まじい勢いで再開発の進み、首都圏の住みたい街ランキング(笑)上位にも加わる「豊洲」なのだが、有楽町線の豊洲駅から少し北東に歩くと見える豊洲運河を渡ると、そこは枝川一丁目というエリア。
ここは戦前の1940年に当時の東京市が幻のオリンピックを誘致するため、会場確保の名目で江東区内に住んでいた在日朝鮮人約千人をこの地に集団移住させた場所である、と言われている。
豊洲駅から枝川一丁目に入ると、大きな都営住宅の建物が現れる。
枝川一丁目交差点をはじめ周辺道路はコンテナ車など大型車の通行も多く決して良い住環境とは言えない。
たまたま訪れた日には、団地の入口の公園に盆踊りの櫓が組まれていた。
再開発著しい豊洲とは一転して、運河の向こうの枝川一丁目は静けさを残す古い住宅街だ。
都営住宅の多さを見るとやはりこの地域が港湾労働者と工場労働者が住むダウンタウンであるということがよくわかる。
白山湯という銭湯が一軒だけ、営業を続けているようだ。
小さな島のようになっている枝川一丁目地区の西側は都営アパート群と倉庫街、東側は低層住宅地と工場群が目立つ。団地は高齢化が進んでおり、介護施設が併設されている箇所もある。
商店街というような洒落たものは枝川一丁目には存在せず、肉屋だけが辛うじて営業を続けている小さな市場など数店舗が残っているのみ。
割と最近にできたと思われる焼肉屋が一軒。寂れた地区ではあるがやはり数世代に渡る歴史を持つコリアタウンだけあって焼肉屋の数だけは結構多いのだ。しかしよく見ると店の前に変な張り紙がしているぞ。
そういえばさっきからプーンと臭い匂いが店の前を漂っていて気になっていたのだが、実のところは隣のアパートの大家が飼育するペットの悪臭だと、店主が主張している張り紙だった。
「この悪臭の発生源は、当店ではありません」と必死の書き込み。まあ、八百屋とかならまだしも扱っているものが肉なので誤解を受けるのも無理はない。
で、隣の「赤い階段のアパート」はこれまた物凄く新しいわけだが、最近豊洲地区の発展の煽りを受けて隣接する枝川一丁目も新しくマンションやアパートが増えだしている。しかし隣人トラブルの火種になっていたりして宜しくありませんな。
地区東側の枝川橋からこの地区に渡ってくると、交差点の角に韓国物産専門の「コリア物産」の店舗があり、コリアタウンであることが分かる。この店の
三浦 展
:カルチャースタディーズ研究所主宰
三浦 展 Atsushi Miura
カルチャースタディーズ研究所主宰
1958年生まれ。1982年に一橋大学社会学部卒。パルコに入社し、マーケティング誌『アクロス』編集室。90年に三菱総合研究所入社。99年に「カルチャースタディーズ研究所」を設立。消費社会、家族、若者、階層、都市などの研究を踏まえ、新しい時代を予測し、社会デザインを提案している。 著書に、80万部のベストセラー『下流社会』のほか、『第四の消費』『データでわかる2030年の日本』『日本人はこれから何を買うのか?』『東京は郊外から消えていく!』『富裕層の財布』『日本の地価が3分の1になる!』『格差固定』などがある。
【首都圏最後のフロンティア】「八潮市」がNIMBYでヤクザな街からニュータウンへ脱皮する時
2017/4/6
2017/4/6
八潮市
東京都心からたったの15キロ、足立区に隣接し、2005年に開通したつくばエクスプレス線で秋葉原から最短17分で来ることができる「埼玉県八潮市」…21世紀に入り初めて鉄道が開通したこの街は、これまで工場や産業廃棄物処理業者が乱立する工業地帯として発展してきた反面、住宅地として発展することもなく、足立区に隣接するお土地柄だけあって暴力団構成員やDQNなどガラの悪い人種が大量に流入し、治安の悪さでも頭角を現していた街でもあった。
前回この街を訪れた のは2010年、それから6年以上が経過して少しは駅前の風景も変わったのだろうかと気になって再度八潮の地に降り立ったんですが、以前より心なしか駅の利用者も増えた気がする。
つくばエクスプレス線開業直後の2005年には約7万5千人だった八潮市の人口も今では約8万7千人(2017年4月時点)に増えている。駅前ロータリーから見える周囲の街並みもマンションや商業施設が以前よりも明らかに多くなっている。まあ当然っちゃ当然なんですが、やはり沿線住民の人気は千葉県内に集まり、快速が通過する埼玉県区間は超絶不人気なのだ。
八潮駅開業の翌年2006年にオープンした駅前商業施設「フレスポ八潮」も健在である。これまで工場地帯と農村しか無かった八潮に初めて誕生した大型商業施設であり、近隣から車でやってくる現地民と、これまで他の街でたまるしかなかった中高生や不良DQNの姿で活気に満ちている。
ここの駐輪場で2010年11月に近くの オウム真理教(現・アレフ)八潮大瀬施設 に暮らす出家信者だった元妻を刺殺した男が逮捕された事件があったことはよく覚えていますよ、ええ。
八潮駅南口には何も無かったが今では商業施設が次々と誕生している
以前は原っぱしか無かったはずの駅南口ロータリー付近も続々と商業施設が出来ている。駅を出た真正面にある「BiVi八潮」は2013年11月オープン。まだ真新しい印象を受ける。郵便局やサイゼリヤやら学習塾、クリニックなどがちょこちょこ入居しているこじんまりしたモールである。出来て間もないせいか空きテナント多めですね。
そんなモールよりも圧倒的に大規模なのがパチンコ・パチスロ総台数1000台と大型立体駐
警察署設置はいつ?足立区辺縁、オウムも巣食う治安最悪な街「埼玉県八潮市」はどんなとこ? (全3ページ)
2010/11/26
2017/4/5
八潮市
東京23区最強のDQNスラム地帯とかねてから評判の高い「足立区」に隣接する埼玉県八潮市は、近年つくばエクスプレスの開業でベッドタウンとしての開発がいよいよ始まろうとしている東京近郊最後のフロンティア。
つくばエクスプレスの区間快速で秋葉原からわずか17分、さらに首都高三郷線が通じている為にクルマでも電車でも交通の便が良くなった。当取材班は、この一見何にもなさそうな東埼玉の辺境地帯である八潮の街を訪れた。駅だけはやたら立派であるが周囲は殆ど宅地化されておらず、だだっ広い印象を受ける。
八潮駅を出ると、駅の南側にはひたすら原っぱが広がっている。これからマンションが続々建設されて、さぞかし近代的な街が生まれるに違いない。つくばエクスプレス沿線の駅前はどこもこんな感じでフロンティア感が凄まじい。
八潮駅南口ロータリー。実はここから亀有行きのバスが出ていたりする。北関東の田舎にでも来たかのような印象を受ける駅前のスカスカっぷりにあんぐりしてしまうが、車があると足立区や葛飾区は目と鼻の先。首都圏ってまだまだ土地が余ってるんですね。
足立区に接する八潮は、膨張する首都東京から溢れ出た「人」ではなく「工場」を受け入れて成長してきた街である。人口8万2千人という街の規模に対して工場数はさいたま市・川口市に次ぐ県内第三位。八潮にある工場の多くが狭い都心を離れて広い土地を求めて移転してきた。
23区に隣接しているとは思えない広大な田園地帯に、都心から移転、または退けられた工場や建設資材・残土置き場、産廃業者、葬儀式場、ラブホテルなどが点在する特異な風景が見られる場所、それが八潮だ。
この土地には不動産用語的に言う所の「嫌悪施設」が寄せ集められている。江戸時代の浅草・南千住小塚原よろしく東京の鬼門とされる右上部分にそうした施設が集まってしまうという土地の因縁は平成の世となった今でも受け継がれているようである。
中小企業の工場や事務所と思しき建物を見ても、殆どが工事関係の業者や塗装業といったガテン系職種のものであることが分かる。周りに何もないので余計に目立って見える。
ちなみに東京各所にいる塗装や土木など色んな現場作業の車両を見てみると
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八潮市
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すっかりニュータウン臭くオシャレに変貌したつくばエクスプレス八潮駅前の風景を抜けると、その先には田園地帯に建設資材置き場が散在する、どこか殺伐とした独特の街並みが広がっている。現場作業のトラックや工事車両などはこの場所から東京都心に出て仕事をしているのだろうか、巨大なユンボのアームがいくつも錆びた鉄のフェンスから頭を覗かせている。土建屋と工場だらけの街、それが八潮である。
八潮駅から少し離れた首都高三郷線沿いに建つ、何の変哲もない3階建ての貸し倉庫。
ここがどうやらオウム施設として使われているらしい。
首都高の高架に沿って走る下道も大型車が引っ切り無しに通り抜けるような場所で排ガスだらけ、周りは工場地帯、住む環境としてはよろしいはずもないのだが、こんな場所をわざわざ選ばなければならない程、彼らは生活の場に不自由している訳だ。
見れば分かるが、ここは本来は工場関係の貸し倉庫として使われる為に建てられたはずのもの。そこにわざわざ生活の場を作り上げているのである。殆ど窓もなく、辛うじて見える窓はことごとく目張りがされていて中の様子を伺う事が出来ない。凄まじい住環境だ。
だがそこに人が暮らしている形跡は確かにある。住人の自転車置き場が建物横にあるのだ。元夫に刺されて亡くなった被害者女性もこの場所で生活していたことであろう。
一体この建物の中でどれだけの人間がどんな日常が繰り広げられているのか。迫害されながらもオウムの残党として暮らす方がマシだという日常は我々平凡な人間には理解出来る世界ではない。
そして当然のごとく貸し倉庫の周囲には地域住民による抗議の立て看板がずらりと並んでいて一目に見て異様さが伝わる。
「ここにオウムの巣があります」 だなんて書かれているので事情を知らないよそ者でも一発で事態が分かってしまう訳だ。 「出て行け出て行け出て行け」 と三連呼されたりして凄まじい嫌われっぷりだ。それでも信者達は「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」とこの場所に居座り続けているようだ。
オウムの教団施設はここ八潮市大瀬の貸し倉庫の他、足立区辺縁部の環境の劣悪な工業地帯に何箇所か点在していて、今も活動を続けて
[38] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24140404086781509