[1] 近年、ライトノベルやアニメで人気を博す「異世界転生」ジャンルは、事故や病死などを契機に主人公がファンタジー世界に転生し、新たな人生を歩むという物語類型を中心に展開している。このジャンルは、しばしば娯楽的・逃避的なコンテンツと見なされがちであるが、現代社会における物語需要という観点から見ると、より深い文化的意味を持つと考えられる。
日本の伝統的な童話・おとぎ話には、村落共同体・神仏・妖怪といった要素が身近なかたちで描かれていた。これらの物語は、基本的に前近代的な生活世界を舞台とし、自然や共同体とのつながりの中に奇跡や道徳を織り交ぜていた。
しかし、現代において、都市化や産業化が進んだ日本社会では、そうした世界観はすでに遠い過去のものとなっている。現代の子供たちにとって、御伽草子や昔話に描かれる世界は「昔のこと」として距離を感じるものであり、現実感覚と物語の世界観とが接続されにくくなっている。
つまり、物語が現実を滑らかに象徴する力を失いつつあるという状況が生じているのである。
このような状況の中で登場したのが、異世界転生という物語類型である。異世界転生では、多くの場合、中世ヨーロッパ風の封建社会や魔法のある前近代的な世界に、現代日本の知識・倫理・技術を持ち込む主人公が描かれる。
この構造は、単なる願望充足ではなく、現代社会と前近代的世界観とを接続する装置として機能している。すなわち、現代的な感覚を持った読者が感情移入しやすい主人公が、前近代的世界で活躍することにより、古典的な物語空間を再活性化しているのである。
また、このような物語においては、「ステータス」や「スキル」「アイテム」といった、ゲーム的で近代的な記号体系が、前近代的世界に導入されることが多い。これは、単にファンタジーを便利に構築するためだけでなく、現代人が理解可能な秩序を物語の中に築くための工夫とも言える。
さらに、異世界転生の物語構造は、現代的な価値観や制度が非現代的な世界に移植されるという点において、どこか日本近代化の過程そのものを寓話化したもののようでもある。
たとえば、明治維新における西洋制度の導入や、高度経済成長期に見られた急激な社会変化は、それ以前の共同体的生活や自然観を大きく変容させた。このような大きな断絶は、歴史的事実として学ぶことはできても、生活感覚として実感を伴って継承することは難しい。
異世界転生物語は、まさにそうした断絶の記憶をフィクションのかたちで再構成し、語り直す手段として機能している可能性がある。現代の若年層にとっては、実在の歴史を舞台にした物語よりも、異世界を舞台にした転生譚のほうが、より「現実味のある変化の物語」として受け入れやすいかもしれない。
つまり異世界転生は、急速な近代化の過程を説話的に語り直すための安全な枠組みを提供しているとも解釈できるのである。
異世界転生の物語がもつこのような社会的機能を考えると、将来的にこれらの作品群が、かつての昔話や童話のように、一つの民話的・説話的な体系に組み込まれていく可能性も見えてくる。
実際、若年層の中には、タブレットを通して最初に接した「物語」が異世界転生作品となる者もあるだろう。かつて童話や昔話が、時代の価値観や社会構造を寓話として描いていたように、異世界転生もまた、現代という時代を映す鏡であり、やがて語り継がれる「新しい昔話」の一形態となる可能性を秘めている。