[1] 熊本城
熊本城(くまもとじょう)は、現在の熊本県熊本市中央区に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」。 加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後の江戸時代の大半は熊本藩細川家の居城。明治の西南戦争の戦場となった。西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は1960年の再建である。現存する宇土櫓などの櫓・城門・塀13棟は国の重要文化財に指定されている。また、城跡は「熊本城跡」として国の特別史跡に指定されている。
一連の地震で大きな被害を受けた熊本城で、崩落した石垣の石から戦国時代に彫り込んだとみられる観音菩薩が見つかり、インターネットで話題になっています。
熊本城で地震の被害があった石垣53か所のうち、北大手櫓門跡では、石垣が隣接する「加藤神社」の境内に崩れました。神社の宮司が被害を確認したところ先月24日、石に彫り込まれた観音菩薩を見つけました。観音菩薩は、背丈が40センチほどで、後光が差し、ハスの葉の上に乗っている様子が描かれています。 熊本城調査研究センターによりますと、この観音菩薩は、戦国時代に一般の人たちが先祖を供養しようと、「板碑(いたび)」と呼ばれる板状の石碑に彫り込んだものだということです。その後、江戸時代に、熊本城の石垣を造る際、急いで石を集めたために、身近にあった板碑を石垣の石に転用したものとみられ、およそ400年の時を経て今回の地震で出現したのではないかということです。 発見した加藤神社の湯田崇弘宮司は、フェイスブックを通じて「永い時を経て現れたこの観音様に思いをはせると胸が揺さぶられる」と思いをつづり、13日までの3日間に1600人以上の反響がありました。湯田宮司は「地震の被害が大きく、悲しいことばかりでしたが、観音様を見て自然と手を合わせました。私たちのことをこれからも見守ってくれると思います」と話していました。 熊本城調査研究センターの美濃口雅朗主幹は、「期せずして熊本城が造られる前の歴史をかいま見ることができる資料が見つかりました」と話していました。
一連の地震で甚大な被害を受けた熊本城が4万枚の写真などを基に最新のCG技術を使ってコンピューター上で復元され、22日から東京・上野の東京国立博物館で一般に公開されます。
熊本城総合事務所(熊本市)によると、天守閣の東西に載っていた二つのしゃちほこが天守閣上からなくなっている。地震の揺れで屋根から落下したものとみて、同事務所が捜している。
城に四つある入り口のうち、南の須戸口門につながる重要文化財の長塀(約242メートル)が長さ約100メートルにわたって倒壊。須戸口門近くの複数の櫓(やぐら)の壁がはがれたり、ひび割れが入ったりしているという。同じく重要文化財の宇土櫓は壁のしっくいの一部がはがれていることが確認された。
北西側にある頰当(ほほあて)御門の正面と右側の石垣が崩れ、城内に入る通路をふさいでいる。石垣の崩壊を計6カ所で確認しているという。このほかにも石垣の落石が城内の複数箇所で確認された。同事務所は「これまでも地震の際に被害は出ているが、ここまでの大きな被害はなかった」と話している。
熊本城の瓦が崩れているが、
日本建築の本来の発想としては『地震時には瓦は振るい落とされ、建屋の倒壊を防ぐ』のが正しいと元建築事務所勤務の父が言っておりました。
現代では固定してしまうが。
地震発生時の煙・埃はこれですね。
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一連の地震で石垣や建物などが大きな被害を受けた熊本城の復旧に向けて、国や熊本県、それに熊本市の担当者が話し合う初めての会合が開かれました。
熊本を中心とした地震の大きな被害は、遠方であっても心を痛める出来事です。
そして、こういう災害に乗じて起こるのがデマや流言と言った類です。すでに、「井戸に毒を流した」レベルのくだらないデマがTwitterなんかを席巻しているようですが、その中でも私が気になったのは、以下のものです。
grapee.jp
熊本城の天守閣の瓦が落ちている映像が随所で流れていましたが、それは「日本建築」が、「 地震時には瓦は振るい落とされ、建屋の倒壊を防ぐ 」ためにわざとそうしている、といった意味があるんだとか。
なるほど、調べてみるとそんな記述がネット上には転がっています。
瓦がズレ落ちるように、わざと瓦を固定していなかったのだと伝えられています。そして、瓦がずり落ちて軽くなった建物は、それ以上傾くことがありません。つまり、傾きはするが倒壊しない。
古人の知恵:地震でわざと落ちる日本瓦
地震が来ると屋根の瓦を落とすことによって建物を軽くし、家自体が倒れないようにと考えられていたというのです。
地震で瓦が落ちる理由 - 住まいづくりサポーター屋根係の瓦ブログ
業界の古老に言わせると、昔の土葺き屋根と土壁は、大地震にあったとき、家本体の構造部材や中に居る人たちを守るように自ら脱落するように作ってあるとのことです....。
涼しい家と「瓦屋根」:山本大成 「かわら屋の雑記帳」:So-netブログ
しかし私が気になるのが、いずれも「伝えられています」「考えられていたという」と、伝聞書きなところです。 いったいどこの「古人」が言い出したことなのか?
我ながらこんなところまでソースを求めるのはどうかと思うのですが、調べてみるとなかなか興味深い話だったので、「瓦が落ちるのは地震のためである」かどうかについて、検証してみたいと思います。今回は久しぶりにネット情報だけでなく、ペーパー類を使用したので、なかなか長く、読むのが面倒という人は結論だけどうぞ。
1.熊本城は「土葺き工法」なのか。
上記のソースによれば、本来瓦は「葺き土」の接着力だけで屋根についているんだとか。
「土葺き工法」というやつですね。これならば確かに、地震などの大きい揺れのときは落下しそうです *1 。ということは、まず熊本城の屋根瓦がこの「葺き土」の工法で作られていたのかを調べる必要があります。
現在の熊本城の天守閣は、1877年の西南
一連の地震で大きな被害を受けた熊本城で、崩れた石垣は53か所に上るほか、すべての石垣を修復するには全体のおよそ3割を積み直す必要があることが、熊本市の調査で分かりました。
一連の地震で石垣が崩れるなどして立ち入りが規制されている熊本城で、天守閣の近くにある加藤神社に通じる道路の規制が8日に解除され、参拝する人たちが訪れていました。
一連の地震で石垣が崩れるなどした熊本城の被害の状況を詳しく確認するため、22日、文化庁の調査官が現地で調査を行いました。
熊本地震のあと、立ち入りができなくなっている熊本城の桜の名所「行幸坂」が桜の開花に合わせて、先週に続いて9日も特別に開放され、大勢の人たちが訪れています。
政府は、28日の閣議で、熊本地震に対応する補正予算に盛り込んだ予備費のうち、新たに210億円の使いみちを決定し、地震で大きな被害を受けた熊本城や南阿蘇鉄道の復旧などに充てることになりました。
震度5強を観測した熊本市中央区の熊本城三の丸広場の近くでは熊本城の石垣が大きく崩れ、落石が道路に散乱していました。
熊本城にある建物で、下の石垣が地震で大きく崩れ、残った石でかろうじて支えられている「飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)」の倒壊を防ぐ工事が、早ければ来週にも始まる見通しになりました。
スマートフォン向けのゲームアプリ、「ポケモンGO」の日本での配信が始まるなか、一連の地震で被害を受けた熊本城で、男性が、立ち入り規制区域に入ってプレーしたいと警備員に申し出ていたことが分かり、熊本市は、規制区域をゲームの対象から外すよう任天堂に抗議しました。
熊本城総合事務所から任天堂が抗議を受けたことについて、任天堂が出資している「株式会社ポケモン」と、「ポケモンGO」の開発を行ったアメリカのゲーム会社「ナイアンティック」の広報担当者は、事実関係は今のところ確認できていないとしています。一方で、特定の地域について、ユーザーなどからモンスターが出現する対象から外してほしいなどという要請を受け付けるとしたうえで「削除の対応を取ることはありえる」と説明しています。
[20] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926385115889