[1] 江の島道
江の島道(えのしまみち)は旧藤沢宿から龍口を経て江の島に至る旧道。また鎌倉街道を小袋谷から分岐し龍口を経て江の島にいたる旧道も江の島道と呼ばれた。いずれの旧道も江の島へ向かう遊山客や地域住民の生活路としてにぎわい、多くの寺社・旧家が立ち並んでいたが、明治時代以降になると鉄道・新道の開通によって廃れていった。現在では要所要所に残されている道標などが往時の姿をしのばせている。この道標の中には江の島と深い縁を持つ杉山検校が建てたものが多い。
2008/6/27 11:46 【現在地】
隧道より脱出した私は、改めて周囲を観察してみた。
すると坑口向かって右手の茂みの中に、一基の石碑を発見した。
前回、坑口左側に常夜灯らしきものの残骸を見つけているが、右側にも遺物発見ということになる。
こいつめ〜。
私に小出しの情報を与えて、何が目的だー?
はたして気になる石碑の正体は?!
“堅牢地神塔”
うおわぁあ!!
これまた、興奮しちまったよ!
隧道のとなりに「“堅牢”地神塔」って、なんてお似合いなんだろう!
今回初めて調べて知ったのだが、堅牢地神というのは仏教の神の一柱で、文字通り大地を堅牢ならしめる神(女神)であるそうだ。
まさに土木工事の守り神のように聞こえるが、一般的には農耕の神として信仰されていて、神奈川県や群馬県などに多く祀られているという。
とはいえ今回この場所に限っては、やはり豊作祈願よりも、隧道の安全を願って安置されたのではないかと思うし、そうであって欲しい!
次に注目したのが、台座石に刻まれた文字だ。
そこから本碑建立の経緯や時期が判明するのではないかという期待があった。
が、だめ。
台座石には「世話?人」として「當(当)村」(ないしは「寄附」)の人名が20ばかり列記されているのみで、建立年は書かれていない。
ちなみに世話人筆頭は「内海」某という人物であった。
せめてこれが寄付者の名簿で金額でも書いてあれば、そこから年代が予想出来たかも知れないが…。うむぅ…。
【解読してやろうという方は、こちらから原寸大画像をダウンロードして下さい】
立地的にみて、この堅牢地神塔が隧道と何らかの関係を持っている可能性は高いと思うが、決定的な証拠は掴めず。
というか、どの碑(いしぶみ)も読みにくいよぉ(涙)。
念のため隧道の直上にも上ってみた。
隧道の土被りはわずかであり、洞床との高低差は6m程度であろう。
地中の隧道をイメージした状態で、地表をその出口方向へ向かって進むと、まもなく予想どおりの光景にぶち当たった。
県道304号の切り立った法面に、行く手を阻まれる。
おそらく隧道も内部は多少下っていたのであろうが、県道はそれよりもだいぶ勢いよく下っているので、高低差が想像以上に膨らんでいた。
結構怖い。
そして県道の向こう側には、本編初回の写真に山門が登場し、隧道の扁額にも名を掲げられた「鎖
源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、中世鎌倉の伝説、文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
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青蓮寺の本尊:「木造弘法大師坐像」は、鎌倉時代特有の裸形彫刻の一つ(国重文)。
足の関節が鎖で繋がれているような細工が施されているため、自在に動かせることから「鎖大師」と呼ばれる。
「大師様を信仰する人と大師様が、鎖のように強いご縁で結ばれますように」との願いが込められているという。手指の爪は水晶でできている。
四臂の木造十一面観音立像は鎌倉時代の作。
その5からの続きです。
国道418号 達原トンネル廃道 その1
国道418号 達原トンネル廃道 その2
国道418号 達原トンネル廃道 その3
国道418号 達原トンネル廃道 その4
国道418号 達原トンネル廃道 その5
それではここから先は、資料でこの道路とトンネルの状況を振り返ってみましょう。
まずは地形図で、被災前とトンネル開通後を比較します。
国土地理院発行 1:25000 「横道」 (平成13年7月発行) より引用
こうしてみると、海集落の周辺はかつての堰止湖の名残りなのか川幅が広いですが、崩壊区間では急激に川幅が狭くなっています。
そのことにより、豪雨時には恐らくこの渓谷部分に急激に大量の水が集中し、崩壊しやすい地質の地山からの地すべりと相まって、土石流となって圧倒的な破壊力で道を押し流して行ったものと思われます。最後の崩壊の箇所は上流から比べると川幅はいくらか広がっていますが、地形的にちょうど川の流れが突き当たるような形になっているため、水流の直撃を受けて削り取られたのでしょう。
国土地理院 地理院地図より引用
現在の状況です。薄く赤いラインを引いた部分が達原トンネルです。
旧道については比較的状態よく残存している下流側の廃道区間は道として描画されていますが、崩落地で何の予兆もなく途切れてしまっています。
トンネルを達原側から海側へ入ってすぐの状況です。
最近の高規格なトンネルにしてはカーブがきついように思えます。地形図からもわかるように、トンネルは下流側最後の崩壊部分を避けるような線形を描いています。
達原側坑口と海側坑口には約70mの比高差があるため、平均7%の片勾配となっています。
壁に水平に取り付けられた消火器と路面を比べると、そこそこの上り勾配になっていることが分かるかと思います。
上矢作町では、豪雨災害の翌年2001年に、 その2 で引用した「恵南豪雨災害記録誌」を編纂していたため、2008年発行の「上矢作町史」では豪雨災害については記録誌の内容を要約するに留められています。
また、「道路・交通」の項でも町内の他の改良区間については紙面を割いて紹介していますが、本道については言及されていません。しかし、トンネル開通時の写真だけは掲載されていたので引用いたします。
上矢作町史 通史編(2008年3月 上矢作町史編纂委員会編 岐阜
大船(山崎)ー江の島(腰越)を結ぶ県道304号線
鎖大師付近はいつも通過するだけで立ち止まったことがないが
前から県道法面にぽっかりと空いた短いトンネルが気になっていたが疑問を解決すべく近づいてみた
坑口に取り付けられていた「ヤマノイハイツ手広」の看板はみなさん気になって仕方がないはず、
本件こちらに丁寧な詳細レポートがあるのでご覧いただきたい
私はもっぱら絵になる景色を探しているとこれは圧巻
鎌倉には隧道・切通ししがいくつもあるがこの絶壁は見る価値充分
できれば足を踏み入れたいが落石のため「通行止め」
今回は外から写真を撮ってお終い
[10] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054521834833