隣接している自治体 [ 編集 ]
埼玉県の自治体では唯一、南隣の 東京都 と北隣の 群馬県 の両方に接している。他の4つの都道府県と接する市町村としては、秩父市以外には 岐阜県 高山市 と 京都府 南丹市 のみであり、大変珍しい。
埼玉県
飯能市
比企郡 ときがわ町
秩父郡 小鹿野町 、 東秩父村 、 皆野町 、 横瀬町
児玉郡 神川町
群馬県
藤岡市
多野郡 上野村 、 神流町
東京都
西多摩郡 奥多摩町
山梨県
甲州市
山梨市
北都留郡 丹波山村
長野県
南佐久郡 川上村
歴史 [ 編集 ]
708年 ( 和銅 元年)に、現在の埼玉県秩父市黒谷にある 和銅遺跡 付近から、和銅(にきあかがね、純度が高く精錬を必要としない 自然銅 )が産出し、 朝廷 に献上された事を記念して、「 和銅 」に 改元 するとともに、 和同開珎 が作られたとされる。
秩父盆地 の中央にあることから古くから物資の集散地として、また 秩父神社 の 門前町 として栄えた。そのためかつては 大宮郷 (おおみやごう)と呼ばれ、 自治体 名も 1915年 までは 大宮町 (おおみやまち)であった。
1884年 ( 明治 17年)に 秩父事件 が起こる。同事件は、負債に悩む秩父の 農民 たちが結成した「 困民党 」と呼ばれる組織を中心とした武装蜂起であり、最盛期には小鹿野・吉田、さらには郡都大宮郷(現在の秩父市)等を武力占拠した。これに対し 政府 は、 警察 ・ 憲兵隊 、最終的には 東京鎮台 まで動員し、徹底的な武力鎮圧を図った。事件後の 裁判 の結果、 死刑 7名を含む4000名余が 処罰 された日本史上最大規模の民衆蜂起とされる。
1873年 ( 明治 6年) - 大宮学校(秩父第一)・郷平学校(太田)・浦山小学校が開校する。
1874年 (明治7年) - 久那学校が開校する。
1875年 (明治8年) - 影森学校が開校する。
1878年 (明治11年) - 市街地 にて 大火 がおこり44軒が焼失する。
1884年 (明治17年) - 大宮学校の 校舎 (現:民俗博物館)が竣工する。
1885年 (明治18年) - 知新学校(尾田蒔)・旭小学校(原谷)・高篠小学校が開校する。
1886年 (明治19年) - 秩父新道(本庄 - 大宮郷間)が開通する [1] 。
1889年 (明治22年) 4