近くの集落・・・といっても、二股トンネル付近には人が住んでいないため、かなり遠くにはなるのだが、住民を見つけて早速調査を開始した。
畑で作業をしていたお婆さんを皮切りに、「どなたか知ってそうな人を教えてください。」と、色んな家や店を回った。
遠方からお嫁に来た人もいて、意外と戦時中からずっとこの地に住み続けている人は少なく、調査は難航した。
しかし、粘り強く多くの人たちから話を伺っているうちに、徐々に真実を知る人に近づいていった。
そして、ついに「二股トンネルは昔、内部で二つに分岐していた」という証言が得られた。
その証言によると、二股トンネルは、やはり丸山ダムの建設に絡んでいたようで、ダムの資材を運搬するルートになっていた。
その関係で、トンネル内部で二股に分岐させる必要があったようだ。
「今と違って小さいトンネルで、男の人なんかは背を屈めないと歩けなかった」との証言も、現実と矛盾しない。
なぜ分岐していたのか、理由ははっきりとはしなかったが、木曽川の水運と、この418号の陸運のハブとなる施設が、
ここ二股トンネルの直近にあったことと、関係があるようだ。
これで、一つの謎は解決したが、せっかくなので、さらに聞き込みを続けることにした。
さらに幾人かからお話を聞き、最終的には丸山ダムの建設に携わったという人にまで辿り着いた。
そして、ダム建設当時の作業環境や町の様子など、貴重な話を聞くことが出来た。
とても興味深い話ばかりだったが、丸山ダム及び二股トンネルについて、人柱説についても切り出してみた。
その方によると、ダムもトンネルも完成したのは戦後の話で、さすがに人柱なんて話は聞かなかった。
朝鮮人もたくさん働いていたが、終戦間際に強制連行を隠蔽するために虐殺したなんて話も聞いたことがない。
そんな事実があれば、少なからず噂が立つし、戦後も朝鮮人の労働者はたくさん働いていた。