[1] 戸倉ダム
独立行政法人水資源機構によって昭和57年に計画され、完成すれば重力式コンクリートダムでは福島県の奥只見
を抜いて提高1位になるはずだったダム。
用途としては片品川、利根川流域の洪水調整をするとともに、異常渇水が起こったときの河川流量維持、及び群馬
県渋川市、埼玉県、千葉県、東京都の水道用水を供給するはずでした。
続いて向かったのは、沼田市で利根川に東から合流する片品川の上流。この片品川の流域には現在、薗原ダムという中規模のダムが設置されているけれど、計画ではあと3基のダムが建設されていたかも知れなかったという。
その中でもっともプロジェクトが進行していたのが、片品川本流の上流に計画されていた戸倉ダムだ。
沼田市街から片品川の上流を目指すと、かなり遡ってきたのに走りやすい道が続き、立派な橋もいくつか架かっている。実は工事開始に向けて、工事用車両が走れるように道を改良してあるのだ。1982年から着手された戸倉ダム建設プロジェクトは、そういった下準備をいろいろと済ませ、あとはダム本体の建設工事を行うだけ、という段階でやはり公共事業見直しの波に巻き込まれ、2003年に事業が中止になった。
戸倉ダム建設事業(水資源機構事業)については、昨日(12月24日)の関東地方整備局事業評価監視委員会における対応方針原案の審議を経て、本日、関東地方整備局長及び独立行政法人水資源機構理事長より、河川局長に対応方針案が提出されました。これを受けて、国土交通省として、水資源機構が実施する治水・利水共同事業としての戸倉ダム建設事業を中止することとしましたので、お知らせします。
戸倉ダム(水資源機構)
目的
(1)洪水調節(片品川、利根川の洪水防御)
ダム地点の計画高水流量700 m3/sのうち670 m3/sの洪水調節
(2)流水の正常な機能の維持
異常渇水時の緊急水の補給を含む
(3)水道用水の供給
(渋川市、埼玉県、北千葉広域水道企業団、東京都;最大3.002m3/s)
経緯
昭和57年度 実施計画調査着手
昭和62年度 建設事業着手
平成 4年3月 事業実施方針指示
平成10年度 環境影響評価法に基づく環境影響評価に着手
平成14年3月 環境影響評価書公告縦覧
平成15年度は、工事用道路工事等を実施。
事業費
総事業費 約1,230億円
平成14年度 16億円
平成14年度まで 約271億円
平成15年度当初 13.2億円
平成16年度政府原案 8.2億円
参考
位置:群馬県利根郡片品村
河川:利根川水系片品川
型式:重力式コンクリートダム
規模:高さ 158.0m 総貯水容量 92,000 千m3
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思い起こせば、ちょうど二年前のことであります。平成十五年十二月定例会において、私は、本県の水需給の下方修正が必要ではないか、そして本県が参加している水資源開発施設についても見直しが必要ではないかと質問させていただきました。
人口の伸び率も鈍化してきているし、もう右肩上がりの時代ではない、見直すべきものは勇気を持って見直すべきだとの趣旨の質問でありました。
これに対し知事は、長期水需給の見通しを見直して、ダム等から受水する水量を日量六万トン削減し、建設中であった戸倉ダムから撤退することを表明されました。
その後、早速十二月十五日に国土交通大臣に建設事業からの撤退を申し入れ、十二月二十五日には国土交通省が戸倉ダムの建設中止を決定したと聞いております。
水は最も基礎的な生活資源であり、県民の安心・安全を守る観点からも最優先で確保する必要があります。しかし、財政状況が厳しい折、不必要と判断されたものは、思い切って切り捨てる覚悟も必要であったわけであります。そうした意味で、公共事業見直しの風向きを読み、水需給の見直しを明らかにした上で戸倉ダムから撤退したことは、知事の大英断であったと考えております。
しかし、ダム建設を中止したからといって、工事中で放置しておくわけにはいかないと思います。ダム建設中止後の対応には、いろいろ問題もあったかと思いますが、結果として今回の戸倉ダムからの撤退で埼玉県の負担はどのようになったのか、この点について総合政策部長にお伺いいたします。
橋本光男総合政策部長 戸倉ダムの建設は、埼玉県を含む1都3県の利水者からの撤退表明を受け、国土交通省が、事業評価監視委員会の審議を経て、平成15年12月25日、正式に中止を決定いたしました。
しかしながら、ダム本体事業では、既に付替国道の一部や工事用進入道路などを施工しており、これら施工済み施設を原形復旧する必要がありました。
そのため、事業施行者である独立行政法人水資源機構、国土交通省、関係都県並びに地元片品村とで協議を進め、平成16年度、17年度の2カ年で、原形復旧等の事業を実施することになりました。
また、財団法人利根川・荒川水源地域対策基金事業では、施工途中の下水道事業や地域振興施設を完成させるよう地元から要請がありましたので、有識者による第三者委員会を設け、意見を聞いた上、平成20年度
水資源機構(旧水資源開発公団)が群馬県片品村で建設中の戸倉ダムについて、最大の利水者である埼玉県は6日までに、建設事業から撤退する方針を固めた。週明けにも国土交通省に文書で伝える。
財政難に加え、水需要予測の下方修正により、ほかのダムで水を賄える見通しがついたためとしている。上田清司知事は「いらないものはやらないというのが基本的な考え方だ」と話している。
東京都も「撤退を含め検討中」(都市計画局)としており、戸倉ダムは建設中止を含め、計画が大幅に見直される見通しとなった。
戸倉ダムは治水と首都圏の水道用水確保のため、1992年に実施計画が認可された多目的ダム。総事業費は、規模拡大などで当初計画の1230億円から約1800億円に膨らむ見込み。
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薗原ダム(そのはらダム)は群馬県沼田市利根町(旧利根郡利根村)穴原地先、一級河川・利根川水系片品川に建設されたダムである。
国土交通省関東地方整備局が管理する特定多目的ダムで、利根川の治水と首都圏への利水を司る利根川水系8ダムの一つである。堤高76.5mの重力式コンクリートダムで、8ダムの中では藤原ダム(利根川)・相俣ダム(赤谷川)に次いで三番目に建設されたダムである。ダム湖は薗原湖(そのはらこ)と呼ばれる。
沿革[編集]
1947年(昭和22年)のカスリーン台風により甚大な被害を受けた利根川流域の総合的な治水対策を図るため、建設省(現・国土交通省)は1948年(昭和23年)より利根川の有力支川である片品川に多目的ダムを建設するための予備調査を開始した。その後経済安定本部の諮問機関・治水調査会の答申を元に「利根川改訂改修計画」が1949年(昭和24年)に立案され、1952年(昭和27年)には治水・利水の根本対策として利根川水系8ダム計画が策定された。
この中で片品川では老神温泉地点と薗原地点がダム建設地点候補に挙ったが、1953年(昭和28年)に薗原地点に建設を決定し1958年(昭和33年)に実施計画調査に入った。この間76戸85世帯の水没住民に対する補償交渉が行われた。だが住民の反対運動は極めて激しく、その激烈さは当時九州で起こっていた蜂の巣城紛争にも劣らぬものであったという。水没地には老神温泉の旅館5軒も含まれており、こうしたことも反対運動を激しくさせた。建設省は水没する源泉補償として10か所の試掘を行うなど温泉に対する補償も並行して行われた。結果補償交渉は難航しながらも妥結し本体工事に着手、1965年(昭和40年)に完成した。
目的[編集]
ダムの目的は第一にカスリーン台風時の出水を基準とした計画高水流量にも耐えられる利根川の洪水調節である。ダム地点で計画高水流量(毎秒2,350トン)を毎秒800トンカットし、他の利根川上流ダム群と連携して伊勢崎市八斗島(やったじま)地点における計画高水流量(毎秒17,000トン)を毎秒3,000トン程度カットする。これに加え利根川の堤防補強と下流の遊水池群との連携した治水により、利根川の洪水を調節する。また、不特定利水については、利根川沿岸地域の農地1,200haに対し、慣行水利権分の用水補給として最大で毎秒70トンを供給す
平成14年度利根川水系戸倉ダム建設事業に伴う財団法人■■■■■■■■■■■■■■の事業における細目協定書等の締結について(協議)
【周辺図(マピオン)】
房総半島の内陸に位置する大多喜町は、山がちな町域の全体に無数のトンネルが掘られており、関東地方では横須賀市と並ぶ“トンネルの街”である。
が、今回紹介するのはトンネル絡みではない。
戦国時代から城下町として栄えた大多喜町の中心市街地から僅か2kmの位置に計画されていた大多喜ダム関連である。
右図は大多喜ダムに関する千葉県発行の資料からの転載である。
ここにまとめられているとおり、大多喜ダムは夷隅川水系の沢山川を高さ32.5m、幅318mという巨大なアースフィル形式のダムで堰き止め、そこに治水と利水を目的とした17万平方メートル(東京ドームの約4倍の広さ)の人造湖を誕生させる計画であった。
このダムは、平成元年に千葉県が策定した「南房総広域水道事業計画」によって建設が決定された。
計画の背景として、昭和50年代頃の南房総地域では、夏場に集中して首都圏から膨大な観光客(海水浴客)が訪れる事により、毎年のように給水制限が行われる事態となっていたことが挙げられる。もともと南房総には大きな河川が無く、渇水しやすい地域だった。
計画では、香取市の利根川取水堰と長柄町の長柄ダム間に完成していた70kmの房総導水路から、さらに南へ伸びる30kmの南房総導水路を建設し、その終点付近に新たな水瓶となる大多喜ダムを建造することとされた。完成すれば南房総地域の水不足が一挙に解消し、工業用水の拡大、房総リゾート地域整備構想への転用、夷隅川の洪水対策にも寄与すると期待された。
事業は千葉県と、新たに設立された南房総広域水道企業団との共同事業として、進められることになった。
平成3年に大多喜ダム建設が着手され、平成8年からはダム建設現場への進入道路や、水没する町道の付替工事が始められた。
全体の完成予定年度は平成29年度であった。
だが、平成19年に突如、南房総広域水道企業団は用水の需要が当初見込みよりも減少していることを理由に、事業からの撤退を表明したのである。
県はこれを受けて改めて事業再評価を実施したところ、ダムは建設中止が妥当と判断され、平成23年3月4日に大多喜ダム建設事業の中止が決定された。
なお、南房総導水路は平成9年に完成しており、既に利用されていた。
この画像は、既に消去された「千葉県大多喜ダム建設事務所」サイトなどに掲載されて
[15] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054528743947