[6] 室見川銘板は漢の元号が書かれた金石文です。 昭和時代中期の日本の福岡県で出土したとされます。
昭和23年7月末に博多湾岸室見川河口近くの西岸で文字が記された文鎮状の金属片が発見された。 「室見川銘板」である。 発見から28年後に実測図を北京大学に送り鑑定を受けた。 鑑定によると記された文字は次のような意味だった。 「高暘左」は中国戦国時代(BC403~BC221)の銅戈に記された銘文、 「王作永宮斎鬲」は春秋時代(BC770~BC403)の銅鬲(鼎)に記された銘文、 「延光四年五」は漢代の陶磁器に記された文字。 金属片自体は「清朝人が作った文鎮」であろうという鑑定だった。 銘文の文字は3種類の書体で記されていた。 大篆(周時代の書体)で記された「王作永宮斎鬲」、 小篆(秦時代に創始された書体)で記された「高暘左」、 普通の漢字に近い書体で記された「延光四年五」である。
[7] この情報が正しければ、考古学的、歴史学的価値は皆無といえます。 ただし出典は不明。
[11] この種の怪しげな遺物は大陸ではよく「出土」してるらしいです。 日本で「出土」するのは珍しいかもしれません。
[8] この物体についての情報はウェブ上にほとんどありません。 ウェブ検索で見つかるものは、いずれも古田武彦一派につながるものばかり。
[9] 現物の現所在は不明ですし、これまでに学術的な検証がなされたという確実な記録も見つけられません。
古田武彦著『ここに古代王朝ありき』第三章室見川の銘版(一九七九年)を参照下さい。
昭和23年7月末(30日)、博多湾の室見川河口近くで、当時長崎県立佐世保第二中学校(旧姓)の体育の教師だった原末吉さんが偶然足に当たった物を拾い挙げたものです。
大阪府高槻市の理学電機工業株式会社の理学エネルギー分散型蛍光X線分析装置による測定結果があります。
古田武彦氏が更なる材質検査の手配をされましたが、所有者がそれ以上の検査の必要はないと峻拒され、現在に至っております。
[10] 古田武彦が注目したことで九州王朝説愛好家らの独創的な古代史物語の材料の1つに使われているようです。
[3] 「室見川銘板」の意味するもの, , http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaiho126/kai12603.html
[4] 「実地踏査」であることを踏まえた 『倭人伝』の行程について 正木裕, , http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaiho118/kai11802.html
[5] ここに古代王朝ありき:邪馬一国の考古学 (古田武彦・古代史コレクション 5) | 古田武彦 |本 | 通販 | Amazon, https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4623052176/wakaba1-22/
[12] document - 198711009.pdf, , http://www.tokyo-furutakai.jp/198711009.pdf#page=4