大和雪原

大和雪原

[1] 大和雪原

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[2] 大和雪原 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E9%9B%AA%E5%8E%9F

大和雪原 (やまとゆきはら・やまとせつげん)は南極 探検家 ・ 白瀬矗 が命名した 南極 の地域名。ただし、国際的に広く用いられているものではない。

発見・命名 [ 編集 ]

白瀬は 1912年 1月 、 開南丸 にて ロス棚氷 に接近、 クジラ湾 近くの小さな湾(白瀬はこの湾を 開南湾 と命名)に停泊しそこから氷崖に上って本拠地を建設した [1] 。 1月20日 、隊員4名とともに 南極点 を目指し出発したが、それは果たせず 1月28日 に到達した 南緯80度05分 西経156度37分 が最も南の地点であった [1] 。白瀬はその地点に 日章旗 を掲揚した。そこから見渡す限りの一帯を「大和雪原」(ヤマトユキハラ)と命名し、日本領とすることを宣言した [1] 。

その後、直ちに日本の後続の探検隊が送られることもなかったために、大和雪原の範囲は明確化されていない。日本領の宣言については、 第二次世界大戦 後の サンフランシスコ平和条約 第2条において、日本国政府は南極地域の領有権を放棄しており、無効となっている。

なお、現在では大和雪原は、陸上ではなく、 ルーズベルト島 南方の ロス棚氷 上にあることが判明している。白瀬は南極に上陸したのにもかかわらず一片の岩石も持ち帰ることができなかったことを悔やんだが、棚氷の上なので当然である [2] 。

脚注 [ 編集 ]

履歴

[3] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24140404092541346

メモ