熊本城 (くまもとじょう)は、現在の 熊本県 熊本市 中央区 に築かれた 安土桃山時代 から 江戸時代 の 日本の城 。別名「 銀杏城 (ぎんなんじょう)」。
加藤清正 が 中世 城郭を取り込み改築した 平山城 で、加藤氏改易後の 江戸時代 の大半は 熊本藩 細川家 の居城。 明治 の 西南戦争 の戦場となった。西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は 1960年 の再建である [1] 。現存する宇土櫓などの櫓・城門・塀13棟は国の 重要文化財 に指定されている。また、城跡は「熊本城跡」として国の 特別史跡 に指定されている。
熊本市 北区 植木町 の中心から南に伸びる 舌状台地 (京町台地)の尖端、茶臼山丘陵一帯に築かれた 平山城 。現在の地名では中央区の本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たる。
中世 に千葉城、隈本城が築かれ、 安土桃山時代 末期から 江戸時代 初期にかけて 加藤清正 がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。 日本三名城 の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある [2] 。
細川氏 の居城となった後も盛んに改築が行われ、 明治時代 の初めまでは大半の建物が撤去されずに現存していたが、 熊本鎮台 が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や改変が行われ、 西南戦争 で一部の建物を残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失した。現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残る( 建物が失われる経緯は、同項の 歴史(明治時代以降) を参照のこと。 )。石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、 1889年 (明治22年)の 熊本地震 で石垣の一部が崩落し、改修された部分があるものの、ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめ、城跡は 特別史跡 に指定されている(2012年現在で512,300.52平方メートル)。 昭和時代 中期には大小天守と一部の櫓が外観復元され、近年では、櫓や御殿などの主要な建物を木構造で復元する事業が行われている。
サクラ の名所としても知られており、 日本さくら名所100選 に選定されている。
熊本城の管理者 [ 編集 ]
熊本城が所在する熊本城公園の敷地は国の土地であり、