[1] 十和田市
12:11 【現在地】
顔中を叩かれながら、 推定16段×2セットの階段 を上り切ると、そこには余り広くはない平らな場所があった。
この土地は、本来の地面から5mかそこいらは高い完全に人工的に作られた場所で、ビルの屋上と余り変わらないはずなのだが、どういう訳か、相変わらず藪が深い。
そのため、ぱっと見では何がどうなっているのか分かりづらかったのだが、よくよく目を凝らしていると、徐々に何があるのか分かってきた。
アスファルトで舗装された路面は、階段を上りきると即座にクランク状に折れ曲がっている。
正面は幾らか盛り上がった地面…恐らくは砂山の跡がある。
ここに砂山がある理由は、言うまでも無いだろう。…「 非常停止施設 」だ…。
クランクに従って進むと、今度は 下り坂 が現れた。
下り坂を見て、私は「気が狂ってる」と思った。
何故私はこんな高原の緩やかな登り坂の途中で、わざわざ階段まで使って登り急いだ挙げ句、その後で少し下っているのだろう。
地形を無視して、無駄に登り、無駄に下る。
こんなに愚かしく、空しいことは、ないのではないか。
だが、無駄に登り無駄に下るという行為自体、サイクリングという趣味の縮図かもしれないということにまで思い当たった所で、この構造物の怖ろしさを改めて感じた。
これは肉体だけで無く、精神面でもサイクリストを殺しきる罠なのか。(大袈裟)
冗談抜きで、気が狂ってると思った。
なぜ下るのか。
私は登っていたのでは無かったのか。
こんな形で、11.5kmの上りの終盤に至って突如、無理矢理に作られた下り坂を与えられるとは思わなかった。
なにより怖ろしいのは、 この藪に充たされた“狂った迂回路”が、定められた“正規ルート”だったという事実だ。
そんな信じがたい真実に気付いたのは、この短いスロープを下りきった所である。
この白線の敷かれ方は、何を伝えている?
白線内のルートが、自転車道としての正規の順路だという事実だ。
それでは、白線の外にある“短絡ルート”は、なんなのか。
向こうも県道であるのかどうなのか。
残念ながら、現地でそれを知る手掛かりは見あたらない。
方法としては、青森県が管理している本路線の道路台帳を入手し、道路の範囲を見る事が出来れば解明するだろう。
やっぱりこれは、「 非常停止施設 」だった!
これが、大規模自
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〜十和田市立新渡戸記念館『休館』のお知らせ
〜
この度、十和田市が実施した耐震診断の一環で、当館壁面コンクリートの推定強度が著しく低いという結果が出たため、平成27年4月1日より休館することとなりました。
皆様にはご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご理解とご協力をお願いいたします。
4月1日以降の観覧以外の対応など、お問い合わせは下記までご連絡下さい。
【休館期間】
平成27年4月1日から
【お問い合わせ】
十和田市立新渡戸記念館 TEL/FAX 0176-23-4430
Eメール nitobemm@hi-net.ne.jp
※「十和田市立新渡戸記念館の休館の経緯と現状および諸問題について」はこちら>>
★文化遺産国際協力コンソーシアム副会長前田耕作先生よりメッセージを頂きました(2015年5月)★
ふたたび新渡戸記念館の行方を憂う!
十和田の香りの抗しがたい魅力とはなんでしょう。大地の緑と空の青さを映す美しいカルデラの湖と樹々の影を抱いて千変万化して流れる奥入瀬、そして湖の生を智恵と技術と汗で人間の生命の躍動へといざなった新渡戸傳の墓所太素の杜、傳・稲造の後世に託した精神の遺産を展示する記念館、そしてそれらと対蹠的な斬新な現代建築の粋とが交錯して織り成すそのイメージの多彩さではないでしょうか。
新渡戸記念館がつねにその要めとして大きな役割を果たしてきたことは日本国中でよく知られてきたことです。そして稲造の『武士道』(日本の魂)がいまも、そしていよいよ広く世界での評価が高まっていることは誰でも知るところです。その精神の碑ともいうべき記念館に耐震性の問題で改築の要あれば、適切な対応がなされるべきことは他言をまちません。正確な科学的診断に基づく改造・再生計画が立てられることを多くの人びとが望んでいることも心広く受け取って欲しく思います。
過去の偉大な記憶をその土地の人びとが保存・継承してゆくことが、およそ市民である者の義務であることは、もはや世界の常識でさえあるといえます。
十和田の労苦と智恵の堆積の結実を事実上放棄するともいえる現況は、歴史の源泉の回復不能なまでの放置に繋がりかねません。いま行われつつあること
『 ザ・森林鉄道・軌道in青森 』の管理人 シェイキチ氏 から平成20(2008)年に頂いた情報をもとに行った平成22(2010)年6月の探索により、仮称「雲井林業軌道」の路盤跡を起点から終点まで一通り確認する事が出来た。
同路線中における白眉は、何といっても峠の隧道跡である。
想定に反して、隧道は 「長い隧道」と「短い隧道」の2本 が発見され、辛うじて入洞が可能であった 「短い隧道」の内部は、明らかに未完成形で放置されていたのである。
この名も無い峠で、過去に一体何が起きたのかという、“新たな謎”が生まれた。
しかし“謎”といえば、この雲井林業軌道自体がそもそも謎に満ちた存在である。
私が探索時点で把握していたこの路線の情報は、 導入回 で紹介した、シェイキチ氏によりもたらされたものがその全てである。
すなわち、「 木炭製造のため、昭和19年に菅原光珀は惣辺山に雲井林業株式会社を設立した。そこに水力自家発電を導入、延長7キロに及ぶ軌道を敷設し、ガソリン機関車2台、トロッコ5台を配置した(「ふるさとの思い出写真集 十和田」より抜粋) 」という記録のある軌道(=仮称「雲井林業軌道」)が、かつて十和田山中惣辺山のどこかに存在していた。そして、昭和35年の地勢図に隧道と共に描かれていた軌道こそが、それなのだろうという予測である。
このように、竣工年や廃止年はむろん、路線名でさえ仮称がついてる状態だった。
そして実際に探索を終えてみても、それが雲井林業軌道だったという明確な証拠は得られなかった。
ただ確かに廃線跡の遺構が存在したというだけである。
本稿は「最終回」として、探索後に行われた机上調査や聞き取り調査の成果をまとめたい。
ここでも大きな役割を果たしたのは、シェイキチ氏である。
これから挙げる全ての資料を発見したのは彼であり、今回の手柄も全て彼に帰属する。
また、残念ながら現段階の本稿は、最終稿にほど遠い。判明した事実はいくつもあるが、核心的な部分にも未解明がいくつもある。
本稿をここで公開した大きな目的は、さらなる情報提供者の登場を期待してのことである。
まずは、探索前の時点で唯一名前の挙がっていた資料である『ふるさとの思い出写真集 十和田』(昭和55(1980)年/国書刊行会)を自分でも入手して、その記述を確かめてみることにした。
する
鉄道関係の時事ネタを紹介するブログです。趣味の外縁部に転がっている、生活には役に立たない情報を中心に語ります。廃線、未成線、LRT、鉄道旅行、鉄道史、駅、遊覧鉄道、鉄道マニア、鉄道本書評、海外の鉄道、奥祖谷観光周遊モノレール、宮脇俊三、種村直樹、今里筋線、阪急新大阪線、三江線、西武線、マンガ、アニメ、読書...etc。
「鉄道未成線を歩く」など同人誌3点をただいま書店販売・通販中。http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20121228/p1参照。
■[鉄道系 ヒマネタ] 東北新幹線新青森開業が青森で盛り上がらない理由。(その2)
前回、「東北新幹線新青森開業が青森で盛り上がらない理由。(その1)」でいろいろ書いた話の続き。
青森駅近くの繁華街の飲み屋で晩飯を食べていたら、いろんな地元の人から声をかけられたんだけど、青森県内が東北新幹線新青森開業で盛り上がっていない……という話を散々聞かされた。
新聞報道だと、
特急時代と新幹線時代を比べて18%、900人/日しか増えなかった
八戸開業時には55%、3500人/日も増えたのに……
というのが新幹線利用の実際の数字。
新幹線利用者数の伸び悩みの理由を3点ほど紹介してみます。
青森駅→東京駅の所要時間。実は17分しか変わらない
まず、青森駅を朝一番に出て東京都内に午前中に到着する時間をシミュレートしてみよう。
1998年10月 東北新幹線盛岡終点時(秋田新幹線開業後)
▽青森5:24〜はつかり2号〜7:38盛岡7:46〜やまびこ10号〜10:36東京
2010年11月 東北新幹線八戸開業
▽青森5:52〜特急つがる2号〜6:48八戸6:55〜はやて6号〜9:51東京
2010年12月 東北新幹線新青森開業
▽青森6:09〜普通〜6:14新青森6:31〜はやて12号〜9:51東京
2010年12月 日本航空便
▽青森6:50〜7:25青森空港8:25〜日本航空1200便〜9:45羽田空港10:01〜浜松町〜10:32東京
と、ここ十数年の新幹線の時刻&直近の飛行機利用の時刻を書き並べてみた。
それぞれの所要時間だけを比べると
1998年10月東北新幹線盛岡終点時点 5時間12分
2010年11月東北新幹線八戸終点時点 3時間59分
2010年12月東北新幹線新青森開業時点 3時間42分
<参考>飛行
青森県の奥入瀬渓流で人気が高まっていた「コケテーブル」のコケが先月、何者かによってはがされた。この出来事を伝えた地元のボランティアガイドの会のブログは「炎上」してしまった。どういうことだろう?
木製の「コケテーブル」は、渓流の中間地点からやや十和田湖寄りの「白銀の流れ」近くの遊歩道にあり、全面がコケで覆われ、鮮やかな緑色となっている。
はがされたのは2台あるうちの1台で、9月21日に現地を案内中のガイドが発見。写真付きで「奥入瀬渓流内は(国立公園の)特別保護地区。信じられない光景に愕然(がくぜん)とした」などと書いたブログをアップした。
■ショック・残念の意見も
23日にこの話が報道されると、ブログにはアクセスが殺到。掲示板には「ショックだ」「残念だ」といった意見もあったが、「汚れたテーブルや椅子はきれいにして使うもの」「保全が必要ならあらかじめ看板を立てるべきだ」「人工物に生えたコケに美はない」などと批判的意見が多数書き込まれ、現在では書き込み停止状態となっている。
[9] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24255448196692928