[10] 八朔は、8月1日です。
江戸時代、この日には、武士たちが江戸城に登城して将軍にお目見えする「八朔」の儀式がとり行われた。旗本(はたもと)・御家人(ごけにん)・大名たちが、白帷子(しろかたびら)に長袴(ながばかま)をつけて将軍に祝辞を申し述べた。
この儀式は、天正18年(1590)8月1日(新暦8月30日)、徳川家康が江戸入りしたことからはじまり、江戸城の年中行事となったわけである。
「八朔」はもともと、鎌倉時代頃から行われた農民が収穫の無事を願う儀式に由来するようである。
このお祝いの起源は、様々な説があって決定打はないのですが、一番古い説では、承久の乱後の後嵯峨天皇(2月17日参照>>)が天皇になる前の不遇の時代(1230年代頃?)に、近臣の者が田実(稲の事)を献上して慰めたのを、即位後も恒例の行事にした・・・というのがあります。
鎌倉時代の後期の頃からは、武家の社会でもこの風習が取り入れられ8月1日を祝うようになります。
ことに、江戸時代からは、『徳川家康が江戸入りしためでたい日』という事で、幕府の重要な式典の日となりました。
[3] 八朔 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%94
[4] 歳時部/八朔 - Kojiruien ( 版) http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/index.php?%E6%AD%B3%E6%99%82%E9%83%A8%2F%E5%85%AB%E6%9C%94
『 公武行事歳時記』「はしがき」及び「人日」の項より 窪寺紘一
> 天正十八年・1590年(今から425年前)八月 朔日に徳川家康が江戸城に入城したことをもって、江戸幕府は八月朔日の 八朔を公式の式日とするとともに、宮中の 五節会に対応させて 人日・ 上巳・ 端午・ 七夕・ 重陽を五節供に制定した。
(※1)『徳川禁令考』に収められている『年始嘉節大小名諸士参賀式統令』によると、幕府が制定した式日は「年始」(1月1日)「五節句」(人日・上巳・端午・七夕・重陽)「八朔(はっさく)」(8月1日)。
[8] 八朔の歴史と民俗―付・愛媛の八朔習俗―④ - 愛媛の伝承文化 ( 版) http://blog.goo.ne.jp/uchikonotemae/e/3d672d660664509823120a7729151280
この日は徳川家康が天正18年(1590)江戸城を開いた日であり、寛永年間頃から幕府では年中行事として位置づけた。 江戸城では諸大名が登城し、将軍に太刀や馬を献上するご機嫌伺いをする日であった。
[11] ミサンザイ 同人誌 「天皇を旅する本」「天皇を旅する地図」ほか BOOTHはじめましたさんはTwitterを使っています: 「明治4年に「以後八朔の献上品は無用」といった内容の通達がでていた。 ということは明治3年までは新政府下でも八朔の祝いをやってたったことなんだろうかと。 https://t.co/2Hq0srRdwU」 / Twitter, , https://twitter.com/katsunomisanzai/status/1359794851894550529