[1] 伊那市
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【北佐久】
<飲食> レストラン トーマス(デミソースチーズハンバーグ)
【中 野】
<飲食> 山路食堂(玉子カツ丼)
【長 野】
<見所> 県庁のシャクヤク
→県庁のアルストロメリア、シンビジウム
→善光寺花回廊 →県庁のトルコギキョウ
<飲食> 信州そば 小菅亭 駅そば処(鴨そば)
→栄華光(Bかた焼きそば)
→らぁめん みそ家(味噌らぁめん)
→かつや川中島店(カツ丼(松))
→コメダ珈琲店 長野東和田店(モーニング)
→かつや川中島店(カツカレー(松))
→門前茶寮 彌生座(せいろ蒸し)
→あまさけ茶屋 やよい(甘酒と藤棚)
→藤田九衛門商店(鯉焼)
→樽 長野駅前店(焼き鳥と山盛りキャベツ)
→日の出らーめん 長野本店(ガッツ麺DX大盛)
→ちりめん亭 長野南店(酢辣湯麺)
→大連飯店(水餃子ラーメン)
→胡蝶庵 南長野店(胡蝶庵御膳)
→すき家 長野南店(うな牛)
→川端(川端定食)
【須 坂】
<飲食> かねき(みそすき丼)
→とら食堂(焼肉定食超大盛)
【千曲市】
<飲食> 姨捨SA(下り線)(Bigな焼鶏丼·改)
【大 町】
<見所> 農具川の芝桜
【安曇野】
<見所> わさび農場と菜の花畑 →真冬のチューリップ
<飲食> 信州安曇野 新そばと食の感謝祭
→道の駅安曇野松川(いろどり御長寿膳)
→吉田屋(どてうどんと鶏もつ煮)
【松 本】
<見所> 弘法山の桜2013 →松本城(新春開門式)
→松本城の桜 →弘法山の桜2014 →法船寺の紫陽花
→水辺のマルシェ
<飲食> イイダヤ軒 南松本駅店(かき揚げ玉子そば)
→奏素屋(松本ソースかつ丼 山雅)
→コメダ珈琲店 松本庄内店(シロノワール)
→喫茶島々(甘くないたいやき)
→信州・松本そば祭り2013
→二代目丸源 松本店(きゃべとん)
→大戸屋 ホリデイタウン松本店(蒸し鍋定食)
→吉野家 19号線松本高宮店(牛すき鍋膳)
→鶏支那屋(鶏支那そば)
→支留比亜珈琲店 松本島内店(カルボトースト他)
→テンホウ南松本店(チャーメン)
→支留比亜
高遠の桜で有名な伊那市。南信州では飯田に次ぐ第二の都市になります。天竜川の川下りができたり、最近では餃子で町おこしをしていたり、ソースカツ丼やローメンが有名な町。そんな伊那市の道路に名付けられた道路名を見ていると、ちょっと気付いたことがありました。
通り名と言えば、コスモス街道や、ビーナスライン、アップルロードなどなど、その土地にあったオシャレかわいい名前が付けられるもの。ですが、伊那市の主要道路には、「アクセス道路」と「ナイスロード」というこれ以上無いくらい無機質な名前が付けられています。 アクセス道路は、恐らく伊那ICにアクセスするための道路。ナイスロードは・・・・何なんでしょう。いずれにせよ、「ナイス!」なことには変わり無いわけですね。なんていうダサイ名前を付けるんだと思う一方で、背伸びしないこのネーミングセンスは何だかカッコイイ!!とも思えてきます。 イチローが年間262本のヒットを打った年、山口県の国道262号に、イチローロードという名を付けよう!という運動があったようですが、そういうことは伊那市精神に反するわけです。伊那市には「アクセス道路」、「ナイスロード」で良い。それ以上カッコつけない。その素朴さとシンプルさが好きになります。
概要[編集]
杖突街道および秋葉街道を踏襲している。路線上の2箇所に不通区間(下記参照)があるほか、山岳地帯では幅員の狭い区間が多く、ホイールベース5m超の大型車では本道を用いた長野県と静岡県の往来は不可能である。このため、静岡・長野県境の山岳地帯では、本道に併走する形で三遠南信自動車道の整備が進められている。
路線データ[編集]
一般国道の路線を指定する政令[1][注釈 1]に基づく起終点および経過地は次のとおり。
起点 : 上田市(大屋交差点=国道18号・長野県道176号下原大屋停車場線交点)
終点 : 浜松市(東区、北島交差点=国道1号交点、静岡県道65号浜松環状線終点)
重要な経過地:長野県小県郡丸子町[注釈 2]、同郡長門町[注釈 3]、茅野市、同県上伊那郡高遠町[注釈 4]、同県下伊那郡上村[注釈 5]、同郡南信濃村[注釈 5]、静岡県磐田郡水窪町[注釈 6]、同郡佐久間町[注釈 6]、天竜市[注釈 6]、浜北市[注釈 7]
路線延長:259.6 km(実延長251.5 km、現道240.4 km)[2][注釈 8]
長野県区間:172.5 km(実延長168.0 km、現道161.5 km)
静岡県区間:0.1 km(実延長0.1 km、現道なし)
浜松市区間:87.1 km(実延長83.4 km、現道78.8 km)
指定区間:なし[3]
歴史[編集]
道路法(昭和27年法律第180号)に基づく二級国道として初回指定された路線のひとつである。国道指定当初は、長野県飯田市から愛知県北設楽郡三輪村[注釈 9]まで二級国道151号と重複し、同村からは現在の愛知県道9号天竜東栄線および静岡県道9号天竜東栄線を経て静岡県磐田郡二俣町[注釈 10]の鹿島橋交差点に至り、同交差点からはバイパス化を除けば現在と同等の経路によって終点の浜松市に至る路線として指定された。1969年(昭和44年)公布の政令により、翌1970年(昭和45年)4月1日に経路が変更されて、飯田市から長野県下伊那郡上村[注釈 5]を経由し、同村からは青崩峠を経由して終点の浜松市に至る路線となった[4]。1975年(昭和50年)に施行された国道256号の経路変更に伴って飯田市から上村にかけてが同国道と重複区間となり[5]、1993年(平成5年)に起点から一部区間(飯田市 - 長野県下伊那郡上村)を
概要[編集]
開業・ダム建設輸送・戦時国有化・国鉄分割民営化と、折々の時代の要請の中で愛知県、静岡県、長野県に跨る険しい山岳地帯を貫き全通を果たし、現在も東三河・天竜・中南信の都市農山村を結ぶ路線。長野県の上諏訪駅から愛知県の豊橋駅まで各駅停車で直通する列車もあり、辰野駅から豊橋駅までは約6時間かかるが、一度も乗り換えることなく行くことができる。1983年までは旧形国電の宝庫として鉄道ファンの注目を集めたが、現在でも天竜川の険しい渓谷を縫うように走る車窓風景や、小和田駅や田本駅などのいわゆる秘境駅の存在から、鉄道ファンや旅行者に人気のある路線である。
もともと直結した4社の私鉄路線(豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道)を戦時国有化・統合したことで成立した路線であり、駅はほぼ開通時の沿線集落ごとに設けられている。このため駅間距離が旧国鉄の地方路線としてはとても短いのが特徴で、全長195.7km中に起終点を含めて実に94の駅がある[1]。それらの平均駅間距離は約2.1kmと大都市の市街地路線並みであり、また地方鉄道の簡易な規格で建設されたことから速度は低く、急カーブや急勾配も多く見られる。中でも赤木駅 - 沢渡駅間の勾配は40‰で、信越本線の横川駅 - 軽井沢駅間(碓氷峠)が廃止された現在ではJR最急勾配である。
豊橋駅 - 豊川駅間はIC乗車カード「TOICA」の利用エリアに含まれている[2]。
路線データ[編集]
管轄・路線距離(営業キロ):
東海旅客鉄道(第一種鉄道事業者):
豊橋駅 - 辰野駅間 195.7km
日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者):
豊橋駅 - 豊川駅間 (8.7km)
元善光寺駅 - 辰野駅間 (61.9km)
軌間:1067mm
駅数:94駅(起終点駅含む)
飯田線所属駅に限定した場合、起終点駅(豊橋駅は東海道本線、辰野駅は中央本線支線の所属[3])が除外され、92駅となる。
複線区間:
複線:豊橋駅 - 豊川駅間(豊橋駅 - 平井信号場間は名鉄名古屋本線と共用。詳細は後述)
単線:豊川駅 - 辰野駅間
電化区間:全線電化(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式(特殊)(豊川駅 - 辰野駅間)
保安装置:ATS-PT(豊橋駅 - 平井信号場間はM式ATSを併設)
最高速度:85km/h
運転指令所:東海総合指令所
全線がJR東海東海鉄
楢川村(ならかわむら)は、長野県中部に位置していた木曽郡の村。
2005年4月1日、塩尻市に編入合併した。
村内の国道19号沿いに「是より南 木曽路」の碑があり、中山道の宿場として、贄川宿と奈良井宿があった。
地理[編集]
山: 高遠山
河川: 奈良井川
湖沼: ならい湖(奈良井ダム)
隣接していた自治体[編集]
伊那市、塩尻市
木曽郡:木祖村、日義村
東筑摩郡:朝日村
上伊那郡:辰野町、南箕輪村
歴史[編集]
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、西筑摩郡奈良井村・贄川村の区域をもって楢川村が発足。
1968年(昭和43年)5月1日 - 西筑摩郡が改称して木曽郡となる。
2005年(平成17年)4月1日 - 塩尻市に編入。同日楢川村廃止。
経済[編集]
産業[編集]
伝統産業:木曽漆器
姉妹都市・提携都市[編集]
国内[編集]
袋井市(静岡県)
2001年10月28日友好都市提携
地域[編集]
教育[編集]
楢川村立楢川中学校
楢川村立楢川小学校
楢川村立贄川小学校
交通[編集]
鉄道路線[編集]
中央本線(贄川駅、木曽平沢駅、奈良井駅)
路線バス[編集]
楢川村営バス
道路[編集]
国道19号
国道361号
ゆかりの人物[編集]
荻村伊智朗(元卓球選手) - 祖父が楢川村出身。自身も死後に名誉村民に推挙。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
鳥居峠
木曽漆器館
諏訪神社本殿
鎮神社社叢
関連項目[編集]
長野県の廃止市町村一覧
満蒙開拓移民 - 1944年(昭和19年)現地に分村成立。
外部リンク[編集]
楢川村商工会
冬の「善五郎の滝」は初めてというカメラマンの方をご案内 2013.03.08
することになりました
4日前に下見をしていたのでなんとか氷は見られるとは思っていたのですが
わずか数日の間にも氷の穴も割れ目も大きくなっていました、標高の高いこの滝も
氷瀑は終わりですね。
木々の芽ぶきも始まるのか色濃くなったように感じられます ↑
「巨神兵」が最後に融けて行く姿を連想します、ボロボロですね~
ユルユルです、頭上に崩落してきたら死ぬよ・・
カメラマンさんは善五郎の滝の氷瀑最後の姿を降ったりやんだり、ときおり強く降る雨の中
すごいカメラ! でシャッターを切っておられました
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南木曽町(なぎそまち)は、長野県の南西部に位置する町。長野県下の町では最も人口が少ない。
妻籠宿及び三留野宿が、中山道の宿場町として発展した。また、面積の約94%を森林が占めている。
「日本で最も美しい村連合」の一つ。
地理 [編集]
南木曽町は、木曽谷の南端に位置し、中央を木曽川が流れている。支流には、岩倉川、与川、蘭川、坪川、男埵川がある。町の東部には、南木曽岳(1,679 m)や高曽根山(1,118 m)が、西部には、摺鉢山(796 m)や伊勢山(1,373 m)がそびえる。北西部には、柿其渓谷や田立の滝などがある。
気候 [編集]
年間平均気温は11.2 ℃と冷涼な気候である。過去に35 ℃まで上がった日もあるが、冬には-10 ℃前後まで冷え込む日もある。長野県北部とは違い、太平洋側内陸の気候に似ているため、夏季に降水が多く、冬の降水・降雪はそれほど多くない[1]。
隣接する自治体 [編集]
長野県
飯田市
木曽郡:大桑村
下伊那郡:阿智村
岐阜県
中津川市
歴史 [編集]
1961年(昭和36年)1月1日 - 西筑摩郡読書村・吾妻村・田立村が合併して発足。
1968年(昭和43年)5月1日 - 西筑摩郡が改称して木曽郡となる。
人口 [編集]
小谷村は長野県の北西に位置し、中央を姫川が流れている。
村の東部は、上信越高原国立公園を含み、雨飾山など頸城山塊にあたる標高2000m前後の山がそびえ、西部には中部山岳国立公園を含む、白馬連峰の標高2500m前後の山がそびえる。戦前には金鉱山の地蔵鉱山が存在した。
上記の理由から村の中心部は、峡谷型の地形となっている。
地すべり・崩壊が発生しやすく、過去に幾度も被害に見舞われている。
全面積の88%を森林が占め、耕地は3%弱と圧倒的に森林が多い。また、栂池高原という高原も広がる。
地形[編集]
山岳:白馬乗鞍岳、天狗原山、雨飾山、東山、小蓮華山
河川:姫川、中谷川、土谷川、松川、楠川
湖沼:白馬大池、風吹大池、鎌池
隣接している自治体[編集]
長野県
長野市
白馬村
新潟県
糸魚川市
妙高市
歴史[編集]
1702年(元禄15年) - 越後国頸城郡との間で境界紛争が発生。信濃国側の言い分が通った。
1911年(明治44年)8月8日 - 浦川上流の稗田山北側斜面が崩壊。4日後の天然ダム決壊による土砂流出も合わせて、北小谷村中心部の来馬(くるま)集落が埋まるなど、姫川流域全体に甚大な被害が及ぶ(稗田山崩れ)。
1958年(昭和33年)4月1日 - 南小谷村・中土村・北小谷村が合併して小谷村が発足。
1995年(平成7年)7月11日 - 姫川流域を中心に7.11水害が発生。北小谷地区などが孤立する。
人口[編集]
南信濃の滝 ①信玄滝 落差25m 南信濃南和田名古山 遠山川右岸柳木瀬沢 ② 竹沢の滝(仮称) 遠山川右岸 ③布滝 布滝沢 遠山川右岸 ④* 布瀧対岸 折立の名不詳滝
国道418を東進するとソバ店奥に流身が見えるのですぐわかる滝
沢右岸の踏み跡を辿って滝下にゆける
水量の多い時は迫力があります
きれいな水・・・
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南信濃 布滝沢 布滝
ああ・・・それにしても哀れな姿です・・・
(昔は鉄板だけだったような記憶が・・・)
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布滝の対岸(天龍村側 折立)にも滝が見える (名不詳)
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近くの国道沿いにも名前不詳滝
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南信濃大町 竹沢の滝 竹沢には大きくて美しい滝があります(滝の正式な名前は まだ不明)
落差は20mほどありそう
滝の上部
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飯田市上村、南信濃 (遠山郷)の滝は カテゴリー№ 28 に
旧飯田市内の滝は カテゴリー№ 27 に
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長野県の滝 フロントページへ
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駅周辺[編集]
国道152号
遠州鉄道バス北遠本線(遠州鉄道西鹿島駅 - 水窪町)が駅前やや相月駅側から発着している。
水窪川のほとり
商店街は駅から離れており、水窪側に10分ほど歩くと、商店街、城西小学校などにたどり着く。
当駅と向市場駅の間に、「S型鉄橋」と呼ばれる橋(第6水窪川橋梁。飯田線の項を参照のこと)がある。
歴史[編集]
1955年(昭和30年)11月11日 - 国鉄飯田線の佐久間 - 大嵐間経路変更に伴い、新線上に開業。旅客駅。
1971年(昭和56年)12月1日 - 荷物の取扱を廃止。
1984年(昭和59年)2月24日 - 飯田線南部CTC化に伴い無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。
2008年(平成20年)1月27日 - ホーム1面撤去、棒線駅となる。
隣の駅[編集]
東海旅客鉄道
飯田線
■快速(上りのみ運転)
佐久間駅 ← 城西駅 ← 水窪駅
■普通
相月駅 - 城西駅 - 向市場駅
関連項目[編集]
日本の鉄道駅一覧
豊橋 - 船町 - 下地 - (平井信号場) - 小坂井 - 牛久保 - 豊川 - 三河一宮 - 長山 - 江島 - 東上 - 野田城 - 新城 - 東新町 - 茶臼山 - 三河東郷 - 大海 - 鳥居 - 長篠城 - 本長篠 - 三河大野 - 湯谷温泉 - 三河槙原 - 柿平 - 三河川合 - 池場 - 東栄 - 出馬 - 上市場 - 浦川 - 早瀬 - 下川合 - 中部天竜 - 佐久間 - 相月 - 城西 - 向市場 - 水窪 - 大嵐 - 小和田 - 中井侍 - 伊那小沢 - 鶯巣 - 平岡 - 為栗 - 温田 - 田本 - 門島 - 唐笠 - 金野 - 千代 - 天竜峡 - 川路 - 時又 - 駄科 - 毛賀 - 伊那八幡 - 下山村 - 鼎 - 切石 - 飯田 - 桜町 - 伊那上郷 - 元善光寺 - 下市田 - 市田 - 下平 - 山吹 - 伊那大島 - 上片桐 - 伊那田島 - (大沢信号場) - 高遠原 - 七久保 - 伊那本郷 - 飯島 - 田切 - 伊那福岡 - 小町屋 - 駒ケ根 - 大田切 - 宮田 - 赤木 - 沢渡 - 下島 - 伊那市 - 伊那北 - 田畑 - 北殿 - 木ノ下 - 伊那松島 - 沢 - 羽場 - 伊那新町 - 宮木 -
マンガミュージアム(旧龍池小学校跡)の前に建つ二条殿址の碑
本能寺の変の時、織田信忠が奮戦・自害した
別名
二条新造御所、二条御所、二条古城、旧二条城
所在地
京都府京都市中京区二条殿町(御池両替上ル、御池室町上ル)
形状
館
現状・遺構
現状:市街地
遺構:石碑
満足度
歴史等
「二条城」と呼ばれることのあるものは、複数ある。
①室町幕府第13代将軍足利義輝の居城。
②織田信長によって、室町幕府第15代将軍足利義昭の居城として作られた城。
③織田信長が、京に滞在中の宿所として整備し、後に皇太子(誠仁親王)に献上した邸。
④徳川家康が、京に滞在中の宿所として作った城。
現存する二条城は、
④の城である。
①と②は同じ場所に作られたが連続性がない。
②の二条城と③の二条城は同じものと見る説もあるが
『信長公記』その他の史料を根拠として別のものとする説が通説となっている。①②③について「二条城」
と呼ぶのは④が完成した江戸時代以降のことであり、④と区別する趣旨で「旧二条城」「二条古城」などと呼ばれたりする。
この二条城は、③に相当するもので、「二条殿」「二条新造御所」或いは「二条御所」等と呼ばれたりする。
天正10年(1582)6月2日、明智光秀は本能寺に宿泊していた信長を襲った(本能寺の変)。
この時、信長の嫡子信忠は妙覚寺に泊まっており、本能寺 が襲われているのを知り、救援に向かったが、明智の軍勢に阻まれた。そこで、
信忠は防御力の全くない妙覚寺を出て隣接するこの二条御所に移った。二条御所でも、誠仁親王を退去させた後に両軍は戦闘を開始し、
激闘の末に信忠は自害し、二条御所は炎上してしまった。
『参考サイト:「フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)」、「城郭図鑑」』
現況・登城記・感想等
私は、最初に京都へ転勤した時、この近辺に住んでいた。しょっちゅう通った場所なのに写真がないことに気が付き、
今回掲載するにあたっては、当時の同僚増っさんに写真を撮ってきてもらった。
二条殿跡は京都市街の中心地にあり、当然のことながら、石碑を除き往時の面影は全くない。とても、本能寺の変の時に信忠が奮戦・
自害したことなど想像することさえ難しい。
ギャラリー
二条殿址の碑(御池両替通上ル)
マンガミュージアム(旧龍池小学校跡)の前に建つ
横浜駅 (よこはまえき)は、 神奈川県 横浜市 西区 にある、 東日本旅客鉄道 (JR東日本)・ 東京急行電鉄 (東急)・ 京浜急行電鉄 (京急)・ 相模鉄道 (相鉄)・ 横浜市交通局 ( 横浜市営地下鉄 )・ 横浜高速鉄道 の 駅 である [1] 。
JR東日本と京急の駅は 高島 二丁目に [1] [2] 、東急・相鉄・横浜市営地下鉄・横浜高速鉄道の駅は 南幸 一丁目にある [3] [4] [5] 。
概要 [ 編集 ]
横浜市の中心駅であり、JR・私鉄・地下鉄の各線が集まる ターミナル駅 である。当駅には合計6社局が乗り入れており、2015年2月現在 一つの駅に乗り入れる鉄道事業者数としては日本最多となっている 。
現在の横浜駅は三代目であり、初代の「横浜駅」は 桜木町駅 に改称され、二代目の「横浜駅」は現在の横浜市営地下鉄 高島町駅 付近にあったが廃止された。
当駅は工事完成前に構内や駅周辺で次々と工事が行われるため、実質1915年に開業してから2015年2月現在に至るまで、一度も工事計画が完全に完成したことはない。このため、「日本の サグラダ・ファミリア 」と揶揄されている [6] [7] 。ただし、これは横浜駅のみに限った傾向とは必ずしも言えない。現在では駅ビルおよび駅周辺の大規模 再開発 事業が進行中( 2011年 〜 )である(詳細は「 #エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画) 」を参照)。
2008年4月から、当駅に乗り入れている4者と横浜市や市民団体によって、当駅の俯瞰図・構内図・広域図・断面図に 点字 を施した「横浜駅さわる地図バリアフリーマップ」が配布されている [8] 。点字のないPR版もある。
乗り入れ路線 [ 編集 ]
以下の6社局が乗り入れている。JR東日本を除く各社局の駅には 駅番号 が付されているため、その番号も合わせて記す [2] [3] [5] [9] 。
JR東日本 : 各線(後述)
京浜急行電鉄 : 本線 - 駅番号「 KK37 」
東京急行電鉄 : 東横線 - 駅番号「 TY21 」
相模鉄道 - 駅番号「 SO01 」
本線
いずみ野線 (起点は 二俣川駅 であるが、早朝・深夜のごく一部を除く全ての電車が本線を介して当駅発着となっている)
横浜市交通局 : 横浜市営地下鉄ブルーライン - 駅番号「 B20 」
横
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