上宮太子拾遺記

上宮太子拾遺記

成立時期

[9] 以前は正和3(1314)年成立とされていたようですが、 近年は嘉禎3(1237)年成立とされるようです。

[3] () https://core.ac.uk/download/pdf/15917049.pdf#page=6

『上宮太子拾遺記』 (全七巻、正和三年成、法空撰)

[4] 女帝その他…07 なまえ 5 () http://www.lcv.ne.jp/~itakasi/suiko_07.htm

正和3年(≒1314年)の成立とされている法空の『上宮太子拾遺記』は、藤巻一保さんの『厩戸皇子読本』(原書房 2001)によれば『聖徳太子伝暦』の注釈書である同じ法空の『聖徳太子平氏伝雑勘文』の補遺として著されたもののようです。

[5] 當麻寺 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%B6%E9%BA%BB%E5%AF%BA#%E5%89%B5%E5%BB%BA%E7%B8%81%E8%B5%B7

『上宮太子拾遺記』(嘉禎3年・1237年)

[6] 神仏霊場(當麻寺) () http://shinbutsu-reijou.com/nara/taimadera-1.htm

1237年(嘉禎3年)の『上宮太子拾遺記』

[7] 上宮寺太子絵伝考, 正木篤三, https://tobunken.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=7856&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

PDF 7頁

上宮太子拾遺記の成立年代をも知ることを得 ない。 太子傳拾遺記は、佛教全書本に從へば法空撰とあつて、この傳 を信ずることを得るならば、同人と思はれる橘寺法空が正和三年一九七四 に聖徳太子平氏傳雜勘文三卷を著してゐることによつて、略 本書の成立年代も推測し得る筈であるが、余は不幸にして本書を法 空撰とする的確なる根據を知らぬが爲に、此點を明にすることを得 ない。

[8] 日本私年号の研究

p. 一二〇

正和以降 の成立と見られる『聖徳太子拾遺記』

[2380] 当麻寺流記」の〈発見〉, 川崎剛志, https://www.jstage.jst.go.jp/article/chusei/59/0/59_59_54/_pdf/-char/ja#page=3

このほか、 「流記」の類を引く文献のなかに、各々が拠った「流記」 写本に含まれていた書写時期に関する情報を写した例がみられる。

『上宮太子拾遺記』 「至嘉禎三年(一二三七) 、已経六百廿年之春秋」

[10] 嘉禎3年説の根據がこれだとすると、嘉禎3年成立ではなく嘉禎3年以後成立とするべき?

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日本古代の日時

メモ

[12] 大和志料 下巻, 奈良県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/950814/1/174