アレクセーウスク

アレクセーウスク

[1] 新聞記事文庫:西鉄管理確定 ( 版) <http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00099981&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>

兎に角千七百余哩の大鉄道なれば一時に其手配をなすこと困難なるを以て差当りアレクセーフスク迄配置する筈なりハバロフスク及アレクセーフスクにはアッシスタント・インスペクター配置せらるるに至るべし而てアレクセーフスク以西クエンガに至る間には人員の準備出来次第管理の為必要なる配置をなすに至るべし

[2] 菅野力夫 BLOG: 第2回世界探検旅行 西比利亜 ( 版) <http://tankenka.seesaa.net/article/82590941.html>

大正3年(1914)8月1日、日比谷公園を宮田自転車で出発。東海道を自転車で行き神戸へ、そして福井県舞鶴港から大阪商船鳳山丸に乗り出航、東京を出て約2ヶ月、9月27日浦潮斯徳に上陸。10月20日ブラゴウエシチェンス市、10月30日アムルスケ州アレクセウスク市11月初旬アムール州アレキセーウスク市、そしてこの写真のチタ市へやってきた。地名はすべてアルバムに記されていたまま。浦潮斯徳はウラジオストク、ブラゴウエシチェンス市はブラゴヴェシチェンスク市でアムール州の州都。アムルスケ州アレクセウスク市とアムール州アレクセーウスク市は同じだと思うが、現在名は不明。