嘉广

嘉广

用例

嘉応の可能性の高い用例

[1] 干支年や文脈から嘉応の可能性がかなり高い事例がかなりあります。 文書用例が多く見られます。

[7] >>3 嘉广元年十二月。周囲に永万があるので、嘉応の可能性が高い。

[11] >>10 /573 は >>7 と同じ。

[12] >>10 /525 は(應)と注釈が付けられている。なおその本文中にの略としても广が使われている。

[16] >>15 (一一六九)と注釈が付けられている。

[9] >>8 嘉广元年六月七日午尅。その後に養和、建治があるので、嘉応の可能性が高い。

[14] >>13 周囲から見て嘉応の可能性が高い。

[20] >>19 嘉广二年三月十一日。嘉応3年に配列されている。

金沢文庫の用例

[22] >>21 嘉广二年十月十□ / 暦応 / 嘉广三年四月十一日 / 元徳。 嘉慶か。嘉暦の方が時代は合うが...

[24] >>23 嘉广三年七月十五日 / 嘉广三年八月下旬之比。 周囲から見て嘉暦か。

川越の用例

[18] >>17 評価はなし。 >>4 と同じものを指すか。

[26] >>25 (大正5年12月11日) 嘉応なら珍しい、の上の点が誤りで嘉暦か。 (欄外) 嘉慶の略字だ。

[5] >>4嘉广嘉応と解釈されていることについて、時代がおかしいと批判。 これを改竄板碑の節の中で紹介しています。を問題としており、 嘉暦の改竄を疑っているようです。

[6] なぜか言及されていませんが、嘉慶の可能性をまず検討するべきと思われます。

[2] また、銘文以外の板碑自体の様式の検討結果が主体として評価が行われるべきと思われます。

[27] 嘉慶は、板碑嘉广と略された事例が見当たりません。報告が見当たらないだけなのか、 実在していないのか。実在しないのだとすると、嘉慶の可能性は低いと判断されますね。

下野の用例

[29] >>28 板碑 嘉广○年二月日

関連

嘉厂

メモ