ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません
哈爾濱(ハルピン・地図右下赤)、斉斉哈爾(チチハル・中央左赤色)から大きく三角形を描く線路を中心に見てまいります。
この三角形を左回りに見てまいります。
ちなみに、この地図に書かれている地名は右から左へ読みます。
まずは線路の開設から。
哈爾濱(ハルピン・地図右下に赤く塗っており、略語で哈尓賓と書かれています)から画面を左上法王に伸びる線路は
青く塗っております昂々渓を過ぎて満州里まで伸びます。これを浜洲(ひんしゅう)線と呼びます。
斉斉哈爾(チチハル・地図で赤く塗っており、略語で斉々哈尓と書かれています)。から北西へ、北安までが斉北線です。
北安から南方向のハルピン方面へつながるのが浜北(ひんぽく)線です。但し、この地図では省略されていますが、浜北線の終点はハルピンではなく、ハルピンの隣町、三○樹です( ○:木 偏に 果 )
但し、浜北線はハルピンまでとする指摘もうけました。哈爾濱は哈爾浜とも書き、浜北線の浜はハルピンをさすというものですが、現在、当ページを作成するにあたり詳細は確認できておらず、今後の調査と致します。
さらに浜北線は、呼海線、斉克線と記述された資料もあり、これは浜北線の一部を指すものでしょう
線路名は街の名前から取ります。また呼海線は呼欄〜海倫を結びます。ですので、斉克線は斉斉哈爾から克山までを繋ぐものと思われます。
呼海線につきましては、哈爾濱(ハルピン)対岸の松浦(スンポー)駅から発進する、呼は呼蘭(ホラン)、海は海倫(ハイロン)の略、という記述を戦前図書で確認しています。つまりハルピンからは直接は乗れず、まず松花江の鉄橋を渡り、乗り継ぎが必要な様です。
先に書きましたとおり、浜北線は三○樹からですので、ハルピンから直接乗り入れできないのは同じである一方で、かつて呼海鉄道であったころと浜北線になってからとでは、始発が異なっていることがわかります。