姫路でございます。
駅を出て少し西へ向かうと、建物の頭上にモノレールの跡が残っているという大変面白い光景を見ることができます。
中でもビルの内部に存在する『大将軍駅』は、モノレールがビルをぶち抜いている姿が面白く多くのマニアを魅了して来ました。
過去記事:建物の上を走り、ビルをぶち抜く!!姫路モノレール
過去記事の中でも触れましたが、大将軍駅よりも更に奥にある『手柄山駅』を見逃していたので、今回はそれを見るために改めて訪れました。
さようなら大将軍駅
『手柄山駅』に行く前に、『大将軍駅』について。
失われる姫路「モノレール遺産」-旧大将軍駅が入るビル取り壊しへ - 姫路経済新聞
ビル内部に駅があるという非常に面白い作りのこの『高尾ビル』ですが、残念なことに解体が決まってしまったようです。
とはいえ現在も人は住んでいて、住民の立ち退きの問題もあるのでそう簡単にはいかないかなって感じです。
大将軍駅から手柄山駅へ
大将軍駅を過ぎ、交差点をクロスする形でモノレール跡が残っています。
落下して一大事になるような部分は既に撤去済みですが、多くの部分は残っています。
この辺なんかはちょっと落ちそうで危ないね。
裏路地を歩いてきます。
この辺はだいぶ残っていますね。危ない。
草が巻き付いてらぁ。
駐車場に残るモノレール。
権利関係とかどうなってんすかね。
微妙に歪曲した線路。
なぜ直線じゃないのかと言うと、このモノレール世界初のロッキードモノレールというタイプで、あえて上下左右に角度をつけることでテストを兼ねていたようです。まぁ噂ですが。
汗にまみれながら丘の上までやってきました。
いつきても姫路の夏は暑い。
手柄山駅が存在していた、『手柄山中央公園』です。
ここにある逆U字の大きな門の中にモノレールが飛び込んでいたようです。
ここはちょっと前まで塞がれていて、大将軍駅と同じく立入禁止になっていたのですが、一昨年から一般公開されるようになりました。
当時の資料や駅の様子はもちろん、モノレールの車両まで展示してあるようです!
でも今日は定休日でした…。
すごーく微妙な立場
手柄山駅から今きた道を見下ろす。
姫路駅からここまでの行程、1.8キロ。
実はこのモノレール、1966年の姫路大博覧会に合わせて建設されました。
博
モノレールの廃線跡とまちなみ
JR姫路駅の中央口を出て西に向かうと、早速コンクリートの構造物が見えてきます。モノレール姫路駅の駅舎は現存せず、橋脚や軌道だけが取り残された状態はなかなか不思議な光景です。この辺は高架下に民間の建物があり、撤去するには立ち退きが必要なので、このままにするしかないのでしょう。
モノレール駅の上に集合住宅
次に見えてきた高尾ビルはモノレール廃線跡における最大の見所です。これは1階が飲食店、2階がビジネスホテル、3~4階がモノレールの駅、5~10階が日本住宅公団(現 UR都市機構)の集合住宅という複合的な建物になっています。鉄道駅やバスターミナルと集合住宅の複合施設はありますが、モノレール駅の組み合わせは極めて珍しい。駅名は大将軍駅という勇ましいもので、姫路~手柄山間に存在する唯一の中間駅でした。集合住宅とモノレールが直結していれば便利だろうと思いきや、乗るより歩いた方が早いといわれるほど姫路駅に近すぎたため利用者は少なく、開業2年目に駅は廃止され、その後はモノレールが素通りするだけになってしまいます。
わずか8年で運行ストップした「姫路モノレール」は近年、「文化財」や「土木遺産」として再評価しようという機運が高まりつつある。
ビートルズが来日した昭和41(1966)年。兵庫県姫路市で開かれた「姫路大博覧会」に合わせて、自治体が運営する初めての市営モノレールが走った。未来の都市交通の手段として期待を背負って登場したが、開業直後から利用客が伸び悩み、わずか8年で運行はストップ。54年に赤字まみれで廃止に追い込まれた経緯から、「負の遺産」として市民から冷ややかな目で見られがちな存在だった。ところが近年、姫路モノレールの持つ価値を見直し、「文化財」や「土木遺産」として再評価しようという機運が高まりつつある。今年で開業から50年。中間駅が入っていたビルが老朽化により解体工事が本格化するなど、ゆかりの遺構が次々と姿を消しつつある中、姫路モノレールの「復権」の動きは果たして軌道に乗るだろうか。(荒木利宏)
次は中間駅の大将軍駅。ここは姫路市が都市交通としてモノレールを位置付ける中で一番特徴的であったものが具現化しています。
鉄道施設そのものは特に変わったものではないのですが、再開発ビルと駅・軌道が一体で整備された事業は、とても先進的でした。こういう形で各地の都市再開発ビルとモノレールをリンクさせていくつもりだったようです。
大将軍の駅舎を横から見た写真。軌道がビルへ吸い込まれたところがホーム、写真右下・三角形の模様が付いた場所が改札への入口でした。
廃止後、暫くは低層階がビジネスホテルとして使われていたが現在は廃業していて、入口は閉ざされています。他は1階は飲食店等に、上層階が公団住宅として利用されています。
駅構内は非常に簡素な造作。姫路駅至近に位置するため「作る必然性がなかった」と言われる中間駅ですが、姫路駅の本設位置(駅東ビル付近?)への移動に伴う駅間距離拡大に対する施策として、また再開発ビルとの一体整備の実証実験だったのではないかと推測すれば納得できるものです。
利用者は僅少と予測されていたにもかかわらずエスカレータ設置が準備されていたという話もあり、これも「標準駅」の仕様として考えられていたのでしょうか。ホームも近代的かつ十分な広さがあり、標準駅としての様子が伺えます。
交通問題解決へ……壮大なプラン
市によると、元秀氏がモノレール導入計画を具現化させるために動き出したのは30年代後半。このころ、乗用車の普及が進み、渋滞や事故など交通問題が深刻化し始めた時期だった。人口も右肩上がりで増加した時代で、交通問題の解決を迫られていた。
市に残された当時の資料には「モノレールは最小の用地で立体交差が可能な一番安い大量輸送機関」との記載が残る。住宅やビルが密集し、増え続ける人口……。当時は地上を鉄道が走り、踏切での事故も多発しており、交通問題の効率的な解決方法が、モノレールの導入だったとしている。
[11] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054537391083