層雲峡

層雲峡

[1] 層雲峡

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[2] 隧道レポート 層雲峡隧道, , http://yamaiga.com/tunnel/souunkyo/main4.html

予想外にハードな探索が待ち受けていた 【今回の隧道】 だが、予想外といえば、旭川営林局の手によるものだったと判明したこともそうだった。

当初は、その「いかにも」な位置からして旧国道だろうと想像していたが、実態は全く異なる 林道 であったらしい。

あるいは、林道として建設されて後に、国道になっていた時期があったりするのか。

現地探索では解決しなかった、 層雲峡隧道誕生の歴史 を、知りたいと思った。

加えて、隧道建設の記録を目にすることができたら、そこに、 「建設中に隧道が温泉の熱源を貫いてしまった」というようなことが書かれていないかを確認したかった。

この廃隧道が現状で見舞われている数々の異常な事態のほとんどは、温泉の作用が隧道の構造を劣化させたことに関わりがあると思っている。

私がそう感じているだけで、実際は無関係だったなんてことはないと思うが、やはりはっきりとした記録があれば綺麗に納得できるだろう。

工事中から何かしら異変があったはずだ! 先生怒ってないから正直に言いなさい。

最初に私が手にした資料は、名前からして王道一直線な『北海道道路史』(北海道道路史調査会/1990年)である。

この第3巻「路線史編」に、現在の国道39号のうち特に「大雪国道」と呼ばれている、道央の上川から石北峠を越えて道東の留辺蘂(るべしべ)に至る区間の開発史がまとめられていた。

以下は主にそこで学んだ内容だ。

石狩山地を横断して道東と道央を結ぶ道路としては、北見峠(現在の国道333号)が明治初期に開発され、長らく「中央道路」として道内交通の主要な位置を占めていた。より地形的に険しい石北峠に開発の手が伸びるのはだいぶ後で、昭和32(1957)年まで峠の道は繋がっていなかった。

北見峠と石北峠の分岐点にあるマクンベツ原野(現在の上川)が入植者によって開拓されたのは明治27年頃で、そこから徐々に石狩川上流へと開拓が進められた。そして、後に層雲峡の名を与えられる大峡谷の入口にあたるソウンペツ原野(双雲別、現在の清川)が開拓されたのは大正4(1915)年であった。

さらに上流の峡谷内に豊かな温泉が湧き出ていることや、多くの景勝が存在することは、明治時代に源流探検に訪れた人々によって既に知られていた。開拓の進展により、この峡谷一帯を観光地として開発することが期待されるようになり、

[6] 道路レポート 層雲峡万景壁の旧道群, , http://yamaiga.com/road/bankei/main.html

今回のレポートは、ちょっと変わり種。由来は異なるが近接している、4つの廃道を紹介しよう。

先日公開した 隧道レポート「層雲峡隧道」 机上調査編 によって、上川から層雲峡を経て石北峠へと至る道路の整備史を知った私。今回はそれが前提となるので、内容を簡単に復習してみよう。

現在国道39号の一部になっているこの道のもとを辿れば、上川から清川へむけて切り開かれた素朴な開拓用道路であった。それが清川の先にある層雲峡温泉や層雲峡を観るための観光道路として延伸され、さらに層雲峡上流の豊富な森林資源を開発する林道としての延伸があって、最後は道央と道東を短距離で結ぶ幹線道路として石北峠越えの延伸が果たされた。そして国道になった。

タイムスケールとしては、明治末から昭和30年代までのおおよそ半世紀のあいだに、 開拓道路→観光道路→林道→広域幹線道路 というような、ダイナミックな性格の変化が起こったのである。

層雲峡隧道のレポートは、この道の途中にある1本の廃隧道が主役だったが、今回は同じ歴史(ストーリー)を共有する別の地点を取り上げたい。

その地点とは、 万景壁 。 マンギョンボ… じゃなくて、読みは素直に「ばんけいへき」。

天下の奇勝 層雲峡の玄関口にあたる場所である。

層雲峡ビジターセンターが発行している『 層雲峡温泉ミニ観光マップ(pdf) 』(右図)には、約15kmにわたって石狩川の両岸に聳え立つ様々な奇岩怪石の名が、うるさいくらいたくさん記されている。

その中で、万景壁の名は、最も入口に近い、上川寄りのあたりにある。

一緒に掲載されている説明文によると、 「岩の断面が、さまざまな形に削り取られており、あたかも壮大な壁画を見るようだ」 とあって、名前とこの説明だけでも相当の偉容が想像できる。名前負けなんか、しないよね?

�@ 地理院地図(現在)

�A 昭和63(1988)年

�B 昭和43(1968)年

�C 昭和32(1957)年

�D 大正10(1921)年

万景壁における道路の変遷を、歴代の地形図で見てみよう。

いつもなら本編レポート後に掲載するような内容だが、今回の机上調査は 以前のレポート でほぼ済んでいるので、先に種明かしだ。

まずは現在の �@地理院地図 。

上川から約14km石狩川を遡ったところに、 陸万 (りくまん)という集落がある。上川町大

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[9] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/25645855925303445

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