1958年3月2日、宮良孫好採集とのラベル2枚(標本番号欄はNo.1,No.2)が入っていた。
与那国島の測候所の一代目の所長が、宮良孫好さんでした。この人は石垣島出身で
気象台OBの那覇在、宮良孫好さんにつながった。
[4] 与那国島(八重山群島)のヨナクニサンについて : 1959-12|書誌詳細|国立国会図書館サーチ (宮良孫好 2018-08-28 11:31:12 +09:00) <http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I9041028-00>
いまでは常識になっているカンヒザクラの南下説(大和の桜前線は北上するが、カンヒザクラの開花は北から南へと南下する)。元気象台職員の宮良孫好さんが南下説を発表した時は相当な批判があったという。「時間がたつと、こんなもんなんだよ」と。
発見者の宮良孫好氏の名前から、ミヤラヒメヘビの名を与えられている。
石垣島地方気象台の宮良孫好氏から沖縄県文化財保護委員多和田真淳氏の指示で白花のデイゴの標本とそのカラー写真を送っていただいた。
石垣島地方気象台の宮良孫好氏から沖縄県文化財保護委員多和田真淳氏の指示で白
花のデイゴの標本とそのカラー写真を送っていただいた。