姫路市

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[1] 姫路市

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[2] 建築マップ 兵庫県[姫路モノレールの廃線跡]2/3, , http://allxa.web.fc2.com/a-map/jp_hyogo/himeji-monorail/himeji-monorail02.html

姫路の近現代史を象徴する景観

さらに進むと川の左側にモノレールの廃線跡、右側にレンガ造の工場、そして両側を新幹線の高架が横切っている光景に出会います。片や数年で廃止されたモノレール、もう一方は日本の大動脈という、 “夢の交通機関”の対照的な姿が並んでいるわけです。

レンガ造の建物は戦前に建てられたマッチ工場 註2 で、現在は山陽色素という顔料メーカーの工場になっています。これら3者が交錯する景観は姫路の近現代史の象徴といえるでしょう。

追記:この工場は2013(平成25)年に解体されて現存しません。

文字通り“無用の長物”

新幹線と交差した先の住宅街は軌道が比較的よく残っています。これが地上を走る普通の鉄道路線であったなら、廃線跡を車道や遊歩道に活用できたところですが、モノレールという特殊な構造物は他に使い道もなく、多額の撤去費用がかかるために結果的に放置され、文字通り“無用の長物”として静かに佇んでいる次第です。軌道は市内を流れる船場川との交差部で寸断され、そこから終点の手柄山駅までは軌道・橋脚とも撤去されています。

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駅舎内に残ったモノレール車両

モノレールが通っていた開口部の跡姫路市は博覧会跡地を公園に整備しており、終点である旧手柄山駅の建物も現存しています。ツタに覆われたレンガ貼の旧駅舎は昔の近代建築のように見えますが、実際は普通の鉄筋コンクリート造建築です。

モノレールの廃止後、建物の一部は別用途に利用されていたものの、手柄山駅ホームは長らく立ち入り禁止でした。ホームにはモノレール車両 註3 が放置状態で残っていましたが、立ち入り禁止のため見ることができず、鉄道ファンの間では長らく幻の存在とされていました。

保存と解体に向けた動き

状況が大きく変わったのは2011(平成23)年のこと。姫路市は旧手柄山駅を手柄山交流ステーションという施設にリノベーションするとともにホームも再整備し、車両や当時の資料を展示する空間として一般公開しました。

しかしその一方、2012(平成24)年には姫路市のウェブサイトにモノレール軌道を解体するための事前調査の情報が載ったことが明らかになります。ネットの情報によると、2013(平成25)年2月の時点で一部高架の解体工事が行われている模様。また、毎日新聞(兵庫版)2012/9/11付記事によると、高尾ビルについても耐震改

[3] 駅の写真コレクション (10) 姫路市に残る大将軍駅とモノレールの遺構 - 写真20枚 | マイナビニュース, , http://news.mynavi.jp/column/station/010/

今回紹介するのは駅跡の写真。姫路市のJR姫路駅・山陽姫路駅から西へ500mほど歩いた場所に、駅と一体化したアパートが建っており、ここがかつて姫路モノレール大将軍駅だった。ただし、この駅が実際に営業したのはわずか2年ほどだという。姫路モノレールも開業から8年後の1974年に休止し、1979年に廃止された。

営業休止から40年を経ても大将軍駅跡は現存し、一部区間でレールや橋脚も残る。終着駅の手柄山駅跡にオープンした「手柄山交流ステーション」では、姫路モノレールの車両も見ることができる。なお、大将軍駅跡の建物については、現行の耐震基準を満たさないことから、2015年5月以降に解体・撤去される予定と報じられた。

[4] “廃虚モノレール”まるで古代遺跡……「文化財」として再評価、解体工事にファン殺到 (1/5) - ITmedia ニュース, , http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1610/19/news066.html

わずか8年で運行ストップした「姫路モノレール」は近年、「文化財」や「土木遺産」として再評価しようという機運が高まりつつある。

ビートルズが来日した昭和41(1966)年。兵庫県姫路市で開かれた「姫路大博覧会」に合わせて、自治体が運営する初めての市営モノレールが走った。未来の都市交通の手段として期待を背負って登場したが、開業直後から利用客が伸び悩み、わずか8年で運行はストップ。54年に赤字まみれで廃止に追い込まれた経緯から、「負の遺産」として市民から冷ややかな目で見られがちな存在だった。ところが近年、姫路モノレールの持つ価値を見直し、「文化財」や「土木遺産」として再評価しようという機運が高まりつつある。今年で開業から50年。中間駅が入っていたビルが老朽化により解体工事が本格化するなど、ゆかりの遺構が次々と姿を消しつつある中、姫路モノレールの「復権」の動きは果たして軌道に乗るだろうか。(荒木利宏)

[5] “廃虚モノレール”まるで古代遺跡……「文化財」として再評価、解体工事にファン殺到 (2/5) - ITmedia ニュース, , http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1610/19/news066_2.html

交通問題解決へ……壮大なプラン

市によると、元秀氏がモノレール導入計画を具現化させるために動き出したのは30年代後半。このころ、乗用車の普及が進み、渋滞や事故など交通問題が深刻化し始めた時期だった。人口も右肩上がりで増加した時代で、交通問題の解決を迫られていた。

市に残された当時の資料には「モノレールは最小の用地で立体交差が可能な一番安い大量輸送機関」との記載が残る。住宅やビルが密集し、増え続ける人口……。当時は地上を鉄道が走り、踏切での事故も多発しており、交通問題の効率的な解決方法が、モノレールの導入だったとしている。

[7] 【関西の議論】雲海に浮かぶ天空の城“異常人気”…来場者24倍に、「有料化」なんのその(1/5ページ) - MSN産経west, , http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131009/wlf13100907000002-n1.htm

雲海に浮かび上がる「天空の城」として人気のある兵庫県朝来市和田山町の国史跡「竹田城跡」で、市は10月1日から観覧料300円(高校生以上)の徴収を始めた。幻想的な風景を目当てに観光客が急増しており、警備費や史跡の維持費に充てるためだ。10年前までは“無名の山城”だったが、近年、雲海の写真や映像が各種メディアで紹介され、高倉健さん主演の映画の舞台にもなったことから人気が沸騰、昨年度は約24万人が訪れた。来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のロケも行われ、さらに加熱しそうなブームの背景を探った。(豊岡支局 谷下秀洋)300円徴収も大半は満足 1日午前3時から始まった観覧料の徴収。記者はそれに先立つ同1時半ごろ、竹田城跡の中腹駐車場に着いた。竹田城跡は兵庫県中部に位置し、近くにはJR播但線の竹田駅、姫路市につながる「播但自動車道」と大阪方面を結ぶ「北近畿豊岡自動車」が合流する和田山インターチェンジがある。 未明のこんな時間ながら、間もなく1台の車が駐車場に入り、2人の男性が降りてきた。2人は鳥取県米子市の30代の会社員で、大阪への出張の帰りに立ち寄ったという。「雲海を撮影するため、市のホームページを見て早く来ました。(遅くなれば)いい撮影場所が確保できないので」といい、カメラや三脚を担いで約700メートル先の城跡に向かった。300円の観覧料については「史跡の維持に使われるのならいいこと」と話した。

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[8] モノレールのしおり, , http://www5b.biglobe.ne.jp/~ktnh/mono/6.html

次は中間駅の大将軍駅。ここは姫路市が都市交通としてモノレールを位置付ける中で一番特徴的であったものが具現化しています。

鉄道施設そのものは特に変わったものではないのですが、再開発ビルと駅・軌道が一体で整備された事業は、とても先進的でした。こういう形で各地の都市再開発ビルとモノレールをリンクさせていくつもりだったようです。

大将軍の駅舎を横から見た写真。軌道がビルへ吸い込まれたところがホーム、写真右下・三角形の模様が付いた場所が改札への入口でした。

廃止後、暫くは低層階がビジネスホテルとして使われていたが現在は廃業していて、入口は閉ざされています。他は1階は飲食店等に、上層階が公団住宅として利用されています。

駅構内は非常に簡素な造作。姫路駅至近に位置するため「作る必然性がなかった」と言われる中間駅ですが、姫路駅の本設位置(駅東ビル付近?)への移動に伴う駅間距離拡大に対する施策として、また再開発ビルとの一体整備の実証実験だったのではないかと推測すれば納得できるものです。

利用者は僅少と予測されていたにもかかわらずエスカレータ設置が準備されていたという話もあり、これも「標準駅」の仕様として考えられていたのでしょうか。ホームも近代的かつ十分な広さがあり、標準駅としての様子が伺えます。

[9] 失われる姫路「モノレール遺産」-旧大将軍駅が入るビル取り壊しへ - 姫路経済新聞, , http://himeji.keizai.biz/headline/937/

取り壊しが決まった「高尾ビル」(姫路市高尾町)。モノレールの軌道がビルを貫く珍しい形で、ビル内では「大将軍駅」が営業していた。写真右手に軌道を支えていた柱・橋脚が見える。6月12日撮影

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1974(昭和49)年に運行休止になった姫路市営モノレール「大将軍駅」の遺構が残る集合住宅「高尾ビル」(姫路市高尾町)の取り壊しが決まった。

建設が進む高尾ビルの様子

1966(昭和41)年の開業から1974(昭和49)年の運行休止まで、姫路駅と手柄山駅(手柄山中央公園)間の約1.8キロを運行していた同モノレール。大将軍駅は唯一の中間駅で、日本住宅公団(現在の都市再生機構)が所有する10階建て同ビルの3~4階に駅施設を置いた。

同駅は、利用客の少なさから開業後2年で営業を停止。同様にモノレールもわずか8年で運行を取りやめた。廃止は1979(昭和54)年。仮建築だった姫路駅は早々に解体されたものの、残る駅施設や軌道の撤去は遅れた。中でも軌道が高層ビルを貫く珍しい景観が残る同ビルは、旧沿線最大の「モノレール遺産」として市街地に君臨。鉄道や写真の愛好家に格好の題材を提供していたが、現行の耐震基準を満たさないことから解体・撤去が決まったもの。

「詳しい解説は良書に譲るとして、ただ惜別の思いあるのみ」と鉄道ファンの水野雅滋さん(姫路市在住)。「モノレールの旧沿線では今年4月、船場川を挟んで軌道と並び建っていたレンガ造りの建物『山陽色素姫路第二工場』(延末)も姿を消した。このビルが、当時の様子を伝える最大にして最後の遺構といえる」と解体を惜しむ。

解体は、ビル内の住宅賃貸契約期限が切れる2015年5月以降を予定。

[10] 姫路モノレール, , http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/8656/report/himejimonorail.html

久しぶりのレポートですが、今回も懲りずに、姫路関連のレポートです。今までは姫路といえば山陽ばかりでしたが、今回は少し離れて、姫路モノレールをお伝えしようと思います。

姫路モノレールは、昭和41年、姫路城復興に伴う姫路博覧会開催を記念して、作られた。当初は、路面電車や地下鉄に変わる、第三の交通機関として、脚光を浴び、兵庫の鉄道をモノレールでつなごうとする動きもあり、開業当初は大盛況だった。しかし、開業翌年からは、利用客が激減。開業からわずか8年で休止となり、昭和54年、ついに、その幕を閉じた。

姫路モノレールは、全国でも数少ない「ロッキード跨座式」と呼ばれる規格を採用した。これは、現在は一般的になったタイヤを使う「跨座式」とは異なり、鉄レールと鉄車輪を使う方式だ。これにより、鉄道と同じく、最高速度は160キロでの運転が理論上は可能だった。当時は各社がモノレール標準を目指し、各地に実験路線ともいえるような路線を次々に開通させたのだ。そして、最後に統一規格とされたのが、現在の大阪モノレールなどで採用されている、「跨座式」となった。これによって、「ロッキード跨座式」を採用した姫路モノレールの存続は事実上不可能となった。同じくこの方式を採用した小田急向ヶ丘遊園線も廃線になっている。

姫路モノレールは姫路駅から手柄までのわずか1,8kmの路線であったが、これは試験的な要素を兼ねた、とりあえずの第一期工事だった。そのため始発駅である姫路駅でさえ中間駅的な構造になっていた。現在は山陽百貨店の新館部が建てられ、その姿を見ることは出来ない。JR高架化工事と同時にモノレール軌道の完全撤去が計画されたが、やはり予算が取れずに今までどおり、危険性がある部分、あるいは必要な部分から進めていくこととなった。つい最近までは山陽商店街の上に軌道が残っていたのだが、例によって、軌道だけが撤去され、コンクリート橋脚のみが残っている。しかし、山陽電鉄をオーバークロスした直後からの軌道はまだ残されており、途中、唯一の中間駅であった「大将軍」駅まで続いている。

大将軍駅。当時はモノレール付の高級マンションとして売り出されたそうだが、現在では、1〜3階が飲食店、4、5階の駅部分が姫路市管理下に置かれ立ち入り禁止、その上が、ビジネスホテルと公団住宅になっている。ちなみに、この写真に微妙に写っている「本」屋さん、い

[11] 姫路城の大天守にドローン衝突 窓枠に傷 NHKニュース, , http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150919/k10010242311000.html

19日朝、兵庫県姫路市の国宝・姫路城の大天守に、小型の無人機「ドローン」が衝突し、窓枠にプロペラでひっかいたような傷が見つかりました。ドローンを操縦していた人物は見つかっておらず、警察は文化財保護法違反の疑いもあるとみて調べています。

警察などが調べたところ、ドローンは大天守の5階の屋根に落ちていて、6階にある窓枠の雨よけの銅板には、プロペラで引っかいたような傷が3か所、見つかったということです。 ドローンを操縦していた人物は見つかっておらず、警察は文化財保護法違反の疑いもあるとみて現場の状況などを調べています。 ユネスコの世界文化遺産にも登録されている国宝の姫路城について、姫路市は、「観光客や文化財に危険を及ぼす行為だ」として周辺でのドローンの飛行をやめるよう呼びかけていました。 姫路城管理事務所の石川博樹所長は、「強い憤りを感じる。姫路城は貴重な建造物であり、このような行動は絶対にやめてほしい」と話しています。

[12] 開かずの「大将軍駅」、48年ぶり一般公開へ 姫路:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASJ7Y34HYJ7YPIHB002.html

廃止された旧姫路市営モノレールの大将軍駅(姫路市高尾町)が8月13、14両日、48年ぶりに一般公開される。大将軍駅の入る駅ビル「高尾ビル」が老朽化し、今秋から取り壊されるのを前に、「記憶にとどめてほしい」と、市が見学会の開催を決めた。

モノレールは1966年5月17日、姫路駅から手柄山駅(姫路市西延末)まで1・6キロの区間で営業を開始したが、経営難で8年ほどで休止になった。その中間に大将軍駅があった。駅の乗降客が少なく、2年足らずの68年1月末で営業を終えた。高尾ビルは残っていたが、駅は48年間一般公開はされておらず、「開かずの駅」とも呼ばれていた。

今秋から解体が始まるため市は8月13、14日に公開することを決定。見学会では、ホームが残る4階で、改札や駅名表示、レールを見ることができるという。

見学会は13、14両日の午前…

[13] 京都市北区衣笠開キ町にある砂防ダムの中に作られた謎の不法占拠集落に迫る (全5ページ) - 大阪DEEP案内, , http://osakadeep.info/kyoto-kinugasa/

京都市北区、千本北大路交差点の近くまでやってきた。金閣寺から1キロほど東側にある地点だ。ただでさえ公共交通網がグダグダな京都の中でもかなり奥の方にあるので、基本的にバスで来る事になるがこれがまた面倒臭い。

実はこの周辺に平成日本ではにわかに信じられない「砂防ダムの中の集落」というのが存在していると聞いて、かねてから見てみたいと思っていたのだ。関西には戦後のドサクサで出来たバラック村が今でも数多く残っているが、砂防ダム内に家を建てちゃったという例は聞いた事がない。

千本北大路交差点を北側に歩いていくと佛教大学のキャンパスがある。この真裏が該当地点にあたるようだ。

佛教大学の脇から路地に入ると、そこは京都の外れにある「閑静な住宅街」でしかない。地名で言う所の京都市北区衣笠開キ町、鷹峯木ノ畑町の境目あたりになる。周囲には古い一軒家に混じって市営住宅なども多い。

路地を突き抜けると砂防ダムの縁に沿って民家が連なっている場所へ出る。ここまでは特に代わり映えのない普通の住宅地だ。

だが途中から景色が開けて、砂防ダムを囲んだ山間に家々が並んでいる風景が見えてくる。谷底に流れるのは天神川の上流部となる紙屋川。

視界が開けた崖っぷちの上に立つと、崖下一帯にてんでんばらばらの方向に家が建っているのが見られる。しかもどの家も結構古びていて建て増ししてあったり、随分フリーダムな状況。

さらに視点を変えて見ると、明らかに周囲とは隔絶された谷底に家がずらりと並んでいるのが分かるはずだ。中央を流れる紙屋川には住民が架けたと思しき鉄製の橋も見える。

雪のせいで見えづらいが崖下に沿って犬小屋だったり家庭菜園が好き勝手に置かれている。不安定な地盤に対して器用に足場が築かれていて物置スペースが作られていた。

崖下の民家は寒波による大雪をまともに被っていた。屋根はトタン葺きだろうか。京都の夏暑く冬寒い盆地の気候は、どうも好きになれない。

崖上から集落を見ていくと上流の突き当たりからようやく紙屋川の水面が見えてくる。結構な高さがある。しかしよく見ると対岸の斜面にまで廃屋と化した掘っ立て小屋がいくつか確認出来る。

改めて紙屋川上流側から砂防ダム下の集落を眺める。壮大な景色だ。

大きな地図で見る

この付近の街並みを航空写真で上から見ると明らかに異様さが伝わる。中央に紙屋川、その両側は家庭菜園、砂防ダムの縁に沿っ

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[14] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926437314592

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