大将軍駅

大将軍駅

[1] 姫路モノレール大将軍駅

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[2] 『姫路モノレール』廃線巡り 大将軍駅から手柄山駅へ歩いた | iPhone持って珍スポットいてくる, , http://www.itamiwake.com/2013/08/b-spot.hyogo.monorail.html

姫路でございます。

駅を出て少し西へ向かうと、建物の頭上にモノレールの跡が残っているという大変面白い光景を見ることができます。

中でもビルの内部に存在する『大将軍駅』は、モノレールがビルをぶち抜いている姿が面白く多くのマニアを魅了して来ました。

過去記事:建物の上を走り、ビルをぶち抜く!!姫路モノレール

過去記事の中でも触れましたが、大将軍駅よりも更に奥にある『手柄山駅』を見逃していたので、今回はそれを見るために改めて訪れました。

さようなら大将軍駅

『手柄山駅』に行く前に、『大将軍駅』について。

失われる姫路「モノレール遺産」-旧大将軍駅が入るビル取り壊しへ - 姫路経済新聞

ビル内部に駅があるという非常に面白い作りのこの『高尾ビル』ですが、残念なことに解体が決まってしまったようです。

とはいえ現在も人は住んでいて、住民の立ち退きの問題もあるのでそう簡単にはいかないかなって感じです。

大将軍駅から手柄山駅へ

大将軍駅を過ぎ、交差点をクロスする形でモノレール跡が残っています。

落下して一大事になるような部分は既に撤去済みですが、多くの部分は残っています。

この辺なんかはちょっと落ちそうで危ないね。

裏路地を歩いてきます。

この辺はだいぶ残っていますね。危ない。

草が巻き付いてらぁ。

駐車場に残るモノレール。

権利関係とかどうなってんすかね。

微妙に歪曲した線路。

なぜ直線じゃないのかと言うと、このモノレール世界初のロッキードモノレールというタイプで、あえて上下左右に角度をつけることでテストを兼ねていたようです。まぁ噂ですが。

汗にまみれながら丘の上までやってきました。

いつきても姫路の夏は暑い。

手柄山駅が存在していた、『手柄山中央公園』です。

ここにある逆U字の大きな門の中にモノレールが飛び込んでいたようです。

ここはちょっと前まで塞がれていて、大将軍駅と同じく立入禁止になっていたのですが、一昨年から一般公開されるようになりました。

当時の資料や駅の様子はもちろん、モノレールの車両まで展示してあるようです!

でも今日は定休日でした…。

すごーく微妙な立場

手柄山駅から今きた道を見下ろす。

姫路駅からここまでの行程、1.8キロ。

実はこのモノレール、1966年の姫路大博覧会に合わせて建設されました。

[3] 姫路の「大将軍」にお別れ モノレール駅、解体前に公開:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASJ8F3DNFJ8FPIHB003.html

1960~70年代に兵庫県姫路市で8年間だけ運行した旧姫路市営モノレールの「大将軍駅」(同市高尾町)の取り壊しを前に13日、ファンらを招いた見学会が開かれた。14日までの2日間で700人が見学する予定。

駅は10階建てビルの3、4階にあり、上層階は賃貸住宅。ビル内を軌道が貫き、当時は先進的な姿で注目を集めた。昨年5月までに住人が退去し、9月からビルごと取り壊される。

駅は使われなくなってから初の公開で、ファンらは朝からホームや駅名表示板の撮影などをした。川崎市から来た会社員(33)は「いつか見たいと願っていた。一度モノレールに乗ってみたかった」と話した。

モノレールは66年5月に姫路―手柄山間(営業区間1・6キロ)で開業。唯一の中間駅だった大将軍駅は乗降客が少なく、2年足らずで通過駅となった。モノレール自体も経営難で74年に運休し、79年に廃止となった。(高橋孝二)

[4] 開かずの「大将軍駅」、48年ぶり一般公開へ 姫路:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASJ7Y34HYJ7YPIHB002.html

廃止された旧姫路市営モノレールの大将軍駅(姫路市高尾町)が8月13、14両日、48年ぶりに一般公開される。大将軍駅の入る駅ビル「高尾ビル」が老朽化し、今秋から取り壊されるのを前に、「記憶にとどめてほしい」と、市が見学会の開催を決めた。

モノレールは1966年5月17日、姫路駅から手柄山駅(姫路市西延末)まで1・6キロの区間で営業を開始したが、経営難で8年ほどで休止になった。その中間に大将軍駅があった。駅の乗降客が少なく、2年足らずの68年1月末で営業を終えた。高尾ビルは残っていたが、駅は48年間一般公開はされておらず、「開かずの駅」とも呼ばれていた。

今秋から解体が始まるため市は8月13、14日に公開することを決定。見学会では、ホームが残る4階で、改札や駅名表示、レールを見ることができるという。

見学会は13、14両日の午前…

[5] 駅の写真コレクション (10) 姫路市に残る大将軍駅とモノレールの遺構 - 写真20枚 | マイナビニュース, , http://news.mynavi.jp/column/station/010/

今回紹介するのは駅跡の写真。姫路市のJR姫路駅・山陽姫路駅から西へ500mほど歩いた場所に、駅と一体化したアパートが建っており、ここがかつて姫路モノレール大将軍駅だった。ただし、この駅が実際に営業したのはわずか2年ほどだという。姫路モノレールも開業から8年後の1974年に休止し、1979年に廃止された。

営業休止から40年を経ても大将軍駅跡は現存し、一部区間でレールや橋脚も残る。終着駅の手柄山駅跡にオープンした「手柄山交流ステーション」では、姫路モノレールの車両も見ることができる。なお、大将軍駅跡の建物については、現行の耐震基準を満たさないことから、2015年5月以降に解体・撤去される予定と報じられた。

[6] “廃虚モノレール”まるで古代遺跡……「文化財」として再評価、解体工事にファン殺到 (5/5) - ITmedia ニュース, , http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1610/19/news066_5.html

解体工事に入る直前の8月13、14の両日、最後の見納めとなる大将軍駅の一般公開が行われた。2日間限定で定員700人に対し、全国から9千人を超える申し込みが殺到した。

大将軍駅にはホームやレールなどが当時のまま残っていた。家族で参加した兵庫県明石市の男性会社員(43)は「子供の頃に姫路市に住んでいたが、走っていたモノレールを見た記憶はない」としながらも、「高尾ビルの中に駅があるのは知っていた。ずっと気になっていた駅を見ることができていい記念になった。こんなユニークな駅はもう二度とつくられないでしょうね」と話した。

ノスタルジーに浸る市民や鉄道ファンらの姿が絶えず、注目度の高さを示したが、関連する遺構は確実に姿を消しつつある。

9月22日、姫路モノレールの価値を再考しようと、同市内で開催されたシンポジウムでは、「モノレール遺構の価値を広く伝えようとするなら、姫路城のように、モノレール遺構の歴史や背景を説明するガイドを育成する必要があるのでは」「手柄山ではなく、姫路駅周辺など多くの人の目に触れる場所にモノレールの車両を展示してはどうか」などと活発な意見が上がった。

石見利勝市長は「モノレールの橋脚部分に植物を絡ませて緑化する取り組みをしているが、将来的にはロッククライミングの練習用に使ってもらうなどさまざまな活用策を考えたい」と今後の構想を語る。

安全面を担保しつつ、モノレールの遺構をどう有効活用できるのか。関心が集まっている今こそ、市民を巻き込んだ議論の盛り上がりに期待したい。

[9] 失われる姫路「モノレール遺産」-旧大将軍駅が入るビル取り壊しへ - 姫路経済新聞, , http://himeji.keizai.biz/headline/937/

取り壊しが決まった「高尾ビル」(姫路市高尾町)。モノレールの軌道がビルを貫く珍しい形で、ビル内では「大将軍駅」が営業していた。写真右手に軌道を支えていた柱・橋脚が見える。6月12日撮影

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1974(昭和49)年に運行休止になった姫路市営モノレール「大将軍駅」の遺構が残る集合住宅「高尾ビル」(姫路市高尾町)の取り壊しが決まった。

建設が進む高尾ビルの様子

1966(昭和41)年の開業から1974(昭和49)年の運行休止まで、姫路駅と手柄山駅(手柄山中央公園)間の約1.8キロを運行していた同モノレール。大将軍駅は唯一の中間駅で、日本住宅公団(現在の都市再生機構)が所有する10階建て同ビルの3~4階に駅施設を置いた。

同駅は、利用客の少なさから開業後2年で営業を停止。同様にモノレールもわずか8年で運行を取りやめた。廃止は1979(昭和54)年。仮建築だった姫路駅は早々に解体されたものの、残る駅施設や軌道の撤去は遅れた。中でも軌道が高層ビルを貫く珍しい景観が残る同ビルは、旧沿線最大の「モノレール遺産」として市街地に君臨。鉄道や写真の愛好家に格好の題材を提供していたが、現行の耐震基準を満たさないことから解体・撤去が決まったもの。

「詳しい解説は良書に譲るとして、ただ惜別の思いあるのみ」と鉄道ファンの水野雅滋さん(姫路市在住)。「モノレールの旧沿線では今年4月、船場川を挟んで軌道と並び建っていたレンガ造りの建物『山陽色素姫路第二工場』(延末)も姿を消した。このビルが、当時の様子を伝える最大にして最後の遺構といえる」と解体を惜しむ。

解体は、ビル内の住宅賃貸契約期限が切れる2015年5月以降を予定。

[10] モノレールのしおり, , http://www5b.biglobe.ne.jp/~ktnh/mono/6.html

次は中間駅の大将軍駅。ここは姫路市が都市交通としてモノレールを位置付ける中で一番特徴的であったものが具現化しています。

鉄道施設そのものは特に変わったものではないのですが、再開発ビルと駅・軌道が一体で整備された事業は、とても先進的でした。こういう形で各地の都市再開発ビルとモノレールをリンクさせていくつもりだったようです。

大将軍の駅舎を横から見た写真。軌道がビルへ吸い込まれたところがホーム、写真右下・三角形の模様が付いた場所が改札への入口でした。

廃止後、暫くは低層階がビジネスホテルとして使われていたが現在は廃業していて、入口は閉ざされています。他は1階は飲食店等に、上層階が公団住宅として利用されています。

駅構内は非常に簡素な造作。姫路駅至近に位置するため「作る必然性がなかった」と言われる中間駅ですが、姫路駅の本設位置(駅東ビル付近?)への移動に伴う駅間距離拡大に対する施策として、また再開発ビルとの一体整備の実証実験だったのではないかと推測すれば納得できるものです。

利用者は僅少と予測されていたにもかかわらずエスカレータ設置が準備されていたという話もあり、これも「標準駅」の仕様として考えられていたのでしょうか。ホームも近代的かつ十分な広さがあり、標準駅としての様子が伺えます。

[11] 建築マップ 兵庫県[姫路モノレールの廃線跡]1/3, , http://allxa.web.fc2.com/a-map/jp_hyogo/himeji-monorail/himeji-monorail01.html

モノレールの廃線跡とまちなみ

JR姫路駅の中央口を出て西に向かうと、早速コンクリートの構造物が見えてきます。モノレール姫路駅の駅舎は現存せず、橋脚や軌道だけが取り残された状態はなかなか不思議な光景です。この辺は高架下に民間の建物があり、撤去するには立ち退きが必要なので、このままにするしかないのでしょう。

モノレール駅の上に集合住宅

次に見えてきた高尾ビルはモノレール廃線跡における最大の見所です。これは1階が飲食店、2階がビジネスホテル、3~4階がモノレールの駅、5~10階が日本住宅公団(現 UR都市機構)の集合住宅という複合的な建物になっています。鉄道駅やバスターミナルと集合住宅の複合施設はありますが、モノレール駅の組み合わせは極めて珍しい。駅名は大将軍駅という勇ましいもので、姫路~手柄山間に存在する唯一の中間駅でした。集合住宅とモノレールが直結していれば便利だろうと思いきや、乗るより歩いた方が早いといわれるほど姫路駅に近すぎたため利用者は少なく、開業2年目に駅は廃止され、その後はモノレールが素通りするだけになってしまいます。

[13] “廃虚モノレール”まるで古代遺跡……「文化財」として再評価、解体工事にファン殺到 (1/5) - ITmedia ニュース, , http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1610/19/news066.html

わずか8年で運行ストップした「姫路モノレール」は近年、「文化財」や「土木遺産」として再評価しようという機運が高まりつつある。

ビートルズが来日した昭和41(1966)年。兵庫県姫路市で開かれた「姫路大博覧会」に合わせて、自治体が運営する初めての市営モノレールが走った。未来の都市交通の手段として期待を背負って登場したが、開業直後から利用客が伸び悩み、わずか8年で運行はストップ。54年に赤字まみれで廃止に追い込まれた経緯から、「負の遺産」として市民から冷ややかな目で見られがちな存在だった。ところが近年、姫路モノレールの持つ価値を見直し、「文化財」や「土木遺産」として再評価しようという機運が高まりつつある。今年で開業から50年。中間駅が入っていたビルが老朽化により解体工事が本格化するなど、ゆかりの遺構が次々と姿を消しつつある中、姫路モノレールの「復権」の動きは果たして軌道に乗るだろうか。(荒木利宏)

[14] 姫路モノレール, , http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/8656/report/himejimonorail.html

久しぶりのレポートですが、今回も懲りずに、姫路関連のレポートです。今までは姫路といえば山陽ばかりでしたが、今回は少し離れて、姫路モノレールをお伝えしようと思います。

姫路モノレールは、昭和41年、姫路城復興に伴う姫路博覧会開催を記念して、作られた。当初は、路面電車や地下鉄に変わる、第三の交通機関として、脚光を浴び、兵庫の鉄道をモノレールでつなごうとする動きもあり、開業当初は大盛況だった。しかし、開業翌年からは、利用客が激減。開業からわずか8年で休止となり、昭和54年、ついに、その幕を閉じた。

姫路モノレールは、全国でも数少ない「ロッキード跨座式」と呼ばれる規格を採用した。これは、現在は一般的になったタイヤを使う「跨座式」とは異なり、鉄レールと鉄車輪を使う方式だ。これにより、鉄道と同じく、最高速度は160キロでの運転が理論上は可能だった。当時は各社がモノレール標準を目指し、各地に実験路線ともいえるような路線を次々に開通させたのだ。そして、最後に統一規格とされたのが、現在の大阪モノレールなどで採用されている、「跨座式」となった。これによって、「ロッキード跨座式」を採用した姫路モノレールの存続は事実上不可能となった。同じくこの方式を採用した小田急向ヶ丘遊園線も廃線になっている。

姫路モノレールは姫路駅から手柄までのわずか1,8kmの路線であったが、これは試験的な要素を兼ねた、とりあえずの第一期工事だった。そのため始発駅である姫路駅でさえ中間駅的な構造になっていた。現在は山陽百貨店の新館部が建てられ、その姿を見ることは出来ない。JR高架化工事と同時にモノレール軌道の完全撤去が計画されたが、やはり予算が取れずに今までどおり、危険性がある部分、あるいは必要な部分から進めていくこととなった。つい最近までは山陽商店街の上に軌道が残っていたのだが、例によって、軌道だけが撤去され、コンクリート橋脚のみが残っている。しかし、山陽電鉄をオーバークロスした直後からの軌道はまだ残されており、途中、唯一の中間駅であった「大将軍」駅まで続いている。

大将軍駅。当時はモノレール付の高級マンションとして売り出されたそうだが、現在では、1〜3階が飲食店、4、5階の駅部分が姫路市管理下に置かれ立ち入り禁止、その上が、ビジネスホテルと公団住宅になっている。ちなみに、この写真に微妙に写っている「本」屋さん、い

履歴

[15] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054537390768

メモ