東京都心にある旧江戸城外濠(そとぼり)(千代田区など)の水質を抜本的に改善しようと、東京大や中央大など5大学の河川や環境工学の専門家が、荒川上流の水を活用する構想をまとめた。
荒川上流から多摩川や玉川上水を経て外濠に導水する大がかりな構想で、12月3日に東京都文京区の中央大学で開くシンポジウムで発表する。
外濠は神田川とつながっているものの、水の流れがほとんどなく、大雨が降ると下水が流れ込む。夏場にはアオコが大量発生して水面が緑で覆われ、悪臭を放つこともある。
構想では、荒川上流の水利権がない水を活用する。荒川上流にある滝沢ダム(埼玉県秩父市)付近から多摩川に向かって長さ約20キロ・メートルの導水管を新設、荒川上流の水を多摩川に流す。多摩川につながっている玉川上水を経由して、外濠に導水する。
こうした方法により、冬場の渇水時を除けば、最大で毎秒約10トンの水を外濠に流すことができ、水質の浄化が期待されるという。
1985年8月に神田川を撮影した写真からの紹介シリーズ、忘れた頃にやって来た4回目は谷端川の合流部である。 今までの記事はコチラ ・神田川1985(1)桃園川合流地点 ・神田川1985(2)川の上の送電線 ・神田川1985(3)神田川最上流 谷端川(やばたがわ)はかつて豊島区から文京区にかけて流れていた川だ。豊島区要町2丁目の粟島神社に現存する弁天池などを水源とし、そこから千川上水の分水を併せていったん南下したのち、西武池袋線椎名町駅付近より北上、JR埼京線板橋駅付近で向きを南東に変え、山手線大塚駅を経由し、小石川を流れて水道橋で神田川に合流していた。下流部では小石川、礫川、西大下水、また千川上水の水を引いていたことからか千川とも呼ばれていた。
中・下流部は戦前に、上流部も1970年代までには全区間が暗渠化された。現在上流部は遊歩道に、中下流部は大塚三業通りや千川通りといった道路になっている。最下流部は現在雨水幹線「千川幹線」となっていて、幅4.2m深さ4.7mの矩形暗渠が東京ドームシティを横切っている。 1985年当時、水道橋駅北側の神田川北岸に、河岸が十数メートルほどだけ凹んだ形で、谷端川の合流部が開渠で残っていた。感潮域であるためか河口にも水があり、鯉が泳いでいるのが見える。
2009年現在、河口は船着場となってしまった。「神田市兵衛河岸防災船着場」の看板が掲げられ、浮き桟橋が設置されていて、河岸には階段がつくられている。向かいに見える水道橋駅の駅舎は窓の配置まで以前のままだ。
(『 富岩運河で遊ぶ…8 』のつづき) ● 中洲ができた原因は、正横を通過したときに一目でわかりました。小河川が運河の東岸に河口を構え、ほぼ直角に流入していたのです。ガイドさんによれば、「がめ川」とのこと。変わった名前ですが、漢字ではどう書くのか、帰宅後に検索してもわかりませんでした。 カワウ君と鴨さんが、船がすぐそばを通過しても、驚くそぶりも見せずおくつろぎの様子。ここから眺めたかぎりでは、少なくとも表面は砂礫っぽく、泥っ気はありませんでした。がめ川も流速が意外と速いのでしょう。 艀船運河としての処理を徹底するなら、流入河川は伏越(アンダーパス)で立体交差させ、神通川に落とすのが理想的ですが、それができない理由があったのでしょう。あるいはここも、運河竣工時は可航河川として利用されていたのかもしれません。 ● 中洲が水面上に顔を出している面積はわずかでも、浅瀬は大きく流路中央を侵食しているようで、「ふがん」は右側の岸に寄せること寄せること、そのギリギリっぷりは相当なもの。ちなみに、赤い桁橋は国道8号線富山高岡バイパスを渡す、富岩運河橋とそのものズバリの名前。神通川の中島大橋につながっているとのこと。 操舵席後ろから前方を見ても、右舷から顔を出して後方を振り返って(下写真)も、接岸せんばかりに寄せていることが、わかるかと思います。 ● ゴロタ石のある水際が間近に迫り、引き波は浅い岸辺の泥を巻き上げるほど。 水面下に杭か、沈置物でもあるのか、小さなブイが揺れているのも不気味でした。船長のご苦労も大変なものと思います。 ● 水深はその後、たたみかけるように浅くなり、ついには0.61mまで! 想像の斜め上をゆく豪快(?)な河床の上がりぶりに、言葉がありません。 たびたび引用している矢野剛「運河論」(昭和10年4月発行)によれば、「朔望平均干潮面以下水深‥‥水閘の下流に於いては五尺八寸」つまり、中島閘門から下の感潮水域でも、平均干潮面から約1.76mの水深を確保する設計だったとのこと。先ほど下流で見た水深と、ほぼ一致することがわかり、また、がめ川の及ぼす影響が、いかに大きいかも理解できます。 これでは現役だった時代も、定期的な浚渫が欠かせないなど、ネックになっていたのではないでしょうか? どのくらい放置するとここまで堆積が進むのか、ちょっと興味を惹かれるものがありますね。 ●
3回前のつづき。
外濠にかかる橋(下図の左上)をわたって公園にはいった。下の案内図は後で公園を出たときに撮ったもの。広さは グーグルマップ でみると1.7haほど。サッカー場2面くらい。
土浦城が築かれた時期は定かではありませんが、現在知られている土浦城は江戸時代に整備されたものです。江戸時代前期には 松平氏 、西尾氏、朽木氏等、中期以降には土屋氏が城主となりました。土浦城を拠点とする土浦藩は、土屋氏のときに藩領が9万5千石となり、 常陸国 では 水戸藩 に次ぐ領地の広さをほこりました。
土浦城は「亀城」とも呼ばれています。明治時代以降、本丸跡は土浦県庁、新治県庁、新治郡役所、自治会館等として利用されてきました。昭和に入り本丸と二の丸の一部を公園として整備し、亀城公園の名で現在も親しまれています。昭和27(1952)年には櫓門とともに 茨城県 指定史跡第一号となりました。
櫓門は明暦2(1656)年に改築されたと伝えられ、本丸にある江戸時代の櫓門としては関東地方で唯一現存するものです。階上に太鼓を置き、時刻を知らせていたことから「太鼓櫓」とも呼ばれていました。
土塁上の見事な松。
土塁上の別の箇所にはシイの巨樹もあった。説明板あり。
県指定 文化財 亀城のシイ
天然記念物のこのシイ(椎)の樹種名は、 スダジイ 〈別名イタジイ・ナガジイ〉である。
スダジイ は 福島県 と 新潟県 以南の暖地に自生する、ブナ科の常緑高木で、種子は食用になる。
このシイの胸高周は7m、樹高は16m、枝張り21m、樹齢は約500年と推定されている。県下のシイの中でも有数の巨樹である。平成8(1996)年3月 土浦市 教育委員会
広場を横切って「本丸にある江戸時代の櫓門としては関東地方で唯一現存する」櫓門、太鼓櫓(1656年築)をくぐる。
太鼓櫓前の石橋から内濠。正面奥は旧前川門( 高麗 門)
門をくぐると本丸跡広場。西の角、市立博物館のそばにある西櫓。
説明板があった。地元の方々の尽力で平成に再建された。
土浦城 西櫓(にしやぐら)
由来
本建造物は、17世紀初頭元和6・7年頃城主西尾氏の時代に本丸土塁上に東西の櫓が建立されたとされ、西櫓はその一方の櫓である。
土浦城は、その後土屋氏の居城として明治の廃藩置県に至るまで幕藩政治における土浦の中心、象徴として存在していた。
土浦城内の建造
16:43 《現在地》
リベンジ果たす初代隧道の発見はとても嬉しいし、それが開口していたことも、喜ぶべきことだろう。遺構の現存度という意味で。
しかし、悩ましくもあった。
正直、もっと遙かに開口部が狭かったり、明らかに水没していたりしていたら、「入らない」ではなく、「入れない」という表現を使えるので、残念ではあっても悩ましいということはない。だがこれは、物理的に入ろうと思えば入れちゃうぎりぎりのラインである。だから悩ましい。
とにかく、ひたすら気持ち悪い坑口だ。
まだ外にいるというのに薄暗いし、穴に風が感じられないし、狭いし、土だし、濡れているし、狭いし、全身汚れるだろうし、狭い。
狐狸の棲家そのもので、人の居るような空間ではない。廃道には美しかったり爽快だったりするところもあるが、ここはひたすら地味で土まみれだ。
絶対に人気の探索スポットにはならないだろう。
まずは穴の前に這いつくばって、両手で掲げたカメラで穴の中を覗いてみた。
この行為をした時点で、一線は越えた。
もう着衣の腹側は濡れた土まみれである。
そうまでして (←でも入口に立ったに過ぎない) 覗いた穴の内部は、この手の埋もれかけた坑口のご多分に漏れず、下り坂だった。
しかし、普通の坂道は立って歩くものだが、ここは屋根のある滑り台だ。 …ビルのダストシュートにはもっと似ているが。人間が入ってはいけない匂いがプンプンする点も。
それでも、奥の方には立ち上がれそうなくらいの広い空間の存在が感じ取れた。
中が広いと分かると、俄然、探索の意欲は刺激された。
人間ボッシュートされてきます。
さすがに頭から潜り込んでクマでも潜んでいたらシャレにならないので、セオリー通りに足からいく。
まさに滑り台のようだ。これで腹も背中も全面的に土まみれ。夕方の僅かな探索だけで、こんなに汚れることができるというのが、廃道の凄さ。オブローダーの洗濯場は土の匂いが絶えないのである。
チェンジ後の画像は、胸まで穴にくわえ込まれた状況で撮影した、名残りの空だ。地上だというのに、まるで地底のように薄暗い場所だというのが、よく分かると思う。そのうえ、耳元でさっきからヤブ蚊がうるさいことこの上なかった。この点でだけは、早く穴の中に入りたいと思ったほどだ。
こうして私は、念願の(?)初代隧道の内部へ侵入を果たしたのであった。
[22] この記事はSuikaWiki Worldでに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054541490059