■首都圏の主要道路の変遷メモ
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。
■今昔マップ on the web 首都圏編
で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。
なお、情報源はこの今昔マップが主で、一部ウィキペディアからの情報で補足しているが、事実と異なる記述があったらご容赦。
自分の興味地域は、東京南部~神奈川なので、以下はそのエリアについてのみ。
【おもな放射道路編】
東海道(国道1号・15号)
日本橋~品川区間。
1900ごろ時点で現在の国道15号と同じルート。市電も敷設されていた。八ツ山橋が現在の道路形状になったのは1960ごろ。
品川~横浜間。
京急本線が1900ごろ時点ですでに敷設されているが、道路は現在の旧東海道のみ。
六郷橋は1900ごろ時点ですでに架橋されていた。
現在の国道15号品川~大森町駅間が開通したのが1930ごろ。川崎~新子安区間は1920ごろ。
横浜~平塚。1900ごろ時点で、おおよそ現在の旧東海道あるいは東海道に沿ったルート。
1900ごろ時点で、現在の横浜駅付近は鉄道以外は海で、当時の横浜駅は現在の桜木町駅付近にあった。
生麦~保土ヶ谷区間は、1930ごろには現在のルートになり、当時市電が走っていた。横浜駅も現在の位置へ移動。
狩場IC付近が現在のルートになったのは1960ごろ。
藤沢バイパス開通は1960ごろで、それまでは神奈川県道30号および藤沢本町駅付近を通るルートだった。
平塚駅付近の現ルートができたのは1960ごろで、それまでは旧道ルート。(現ルートの国道指定はタイミング遅れて1980ごろ?)
なお、1900ごろ時点で、浜離宮~平和島駅間は現在の山手線・京急本線がほぼ海岸線で、以東はその後の埋立地である。
現在の国道1号日本橋~横浜駅間について
日本橋~五反田間は、中原街道の原型として1900時点でおおよそ既にあった。
三田~高輪台駅区間は、1900ごろ時点では細い道しかなく、1930ごろまでにかけて大きな道として開通した。
ちなみに、三田慶應のT字路ができたのが1940ごろ、白金高輪駅から古川橋方面の区間が開通したのが1960ごろ。
なお、日本橋~札の辻と魚藍坂~五反田には市電が走っていた。