【過去形】 「台
湾領」タイ北
タイ
北といっても「台北」じゃなくて「泰北」、つまりタイ北部の山岳地帯のこと。チェンマイやチェンライあたりの旅行会社で配っている少数民族マップを見る
と、リス族やアカ族の村に混じって「KMTの村」というのが点在している。KMTとは国民党で、すなわち 中
国国民党 。これらの村は 国民党兵士の落人村 なのだ。
1949年、中国の内戦がクライマックスを迎え、破竹の勢いで進撃する人民解放軍に追われた国民党政権は台湾へ逃げるが、雲南省一帯に
取り残された部隊は国境線を越えてビルマ(ミャンマー)へ逃亡し、ここに拠点を築いて大陸奪還のためのゲリラ戦を続けた。しかし国民党軍が地元少数民族の
反政府ゲリラと連携していることに怒ったビルマ政府は、「台湾政府による領土侵犯だ」と国連に提訴。1953年から54年にかけて国民党軍とその関係者
6500人が、さらに61年には4500人が輸送機で台湾へ引き揚げた。
ところが、台湾へ引き揚げたのはあくまで一部で、段希文将軍が率いる国民党部隊はタイ政府の統治が及ばない山奥の ドイ・メサロン を根拠地に、周辺の少数民族を支配してケシを栽培させ、資金を稼ぎながら軍事活動を続け
ていたのだ。台湾政府は彼らに武器援助を続けたほか、学校や家を建てたり農業指導も行った。
70年代に入ると、国民党部隊はタイ政府の求めに応じて対タイ共産ゲリラ作戦を行うようになり、タイ政府も彼らの存在を認めるように
なった。そして80年代半ば、段希文将軍は死去して国民党部隊は解散。ドイ・メサロンには道路が開通し、タイ政府の実効支配下に置かれるようになった。
李登輝の時代になって、公然と「台湾独立」とか「国民党はしょせん外来政権」とか言われるようになったら、タイ北の国民党落人たちは台
湾政府への忠誠心はほとんど消えてしまったようです。現在では中国への道路も通じ、「共産中国」との往来が盛んになってます。
●現地ルポは こち
ら
を見てくださいね。
旅遊玩家 泰北看三多(1)/槍多、花多、孤兒多 台湾の報道記者による泰北レポート(中国語)
泰北
義民文史館落成了 泰北に国民党軍の記念館が完成したとか(中国語)
三輪隆文集 タイ北部の山岳地帯の少数民族の村々の話
【過去形】 「台
湾領」首吊り嶺
「首吊り嶺って、なんだそりゃ?」と思うで