1999年8月22日、日が昇りはじめて、あたりが明るくなってきたころ、バスは道路わきで停車した。
朝のひんやりとした空気にホッとしながら、バスを出る。
クエッタを出たのが、昨日午後4時過ぎ。
いまは、翌日の午前6時。
つまり、ここまで14時間かかった。
見ると、他にも、バスやトラックが何台も停まっている。
イランとの国境はもうすぐのようだ。
ここで停車しているのは、国境へ行く時間調整らしい。
パキスタンとイランの間には、1時間半の時差がある。
パキスタンが午前6時とはいっても、イランはまだ午前4時半だ。
午前4時半にイラン側の入国管理事務所が開いているとは考えられない。
公務員が、早朝から、仕事をしているはずがないからね。
パキスタンとイランの国境は、手前のパキスタン側がタフタン、国境を越えたイラン側がミールジャーヴェという。
ジーンズの左前ポケットに入れてあるパスポートを取り出して、チェックする。
僕がこのアジア横断旅行をした理由は、自分でイラン大使館へ行って、イランビザを取ったからだった。
1999年の「地球の歩き方・イラン」を読めば、個人では取れないとハッキリ書いてある。
その、みんなの憧れのイランビザを自分で取った。
それが、このアジア横断の旅へ出た、一番の理由だ。
イランのビザを個人で取ったことを自分自身が証明したってわけ。
でも、日本のガイドブックの間違い探しをするだけでは、中途半端だ。
僕がイランビザを個人で取った理由は、神が「イランへ行け」と呼びかけていたんだね。
しかも最初に取ったのがパキスタンビザ、次がイランビザ。
だから、パキスタンからイランへと陸路国境を越える。
これが僕の定めで、僕にとっては重要なんだね。
30分ほどして、バスやトラックが次々に動き出す。
僕たちのバスは、午前7時に国境へ到着。
クエッタからのバスはここでオワリ。
国境を越えたら、次の町ザヒダンへのバスなりがあるだろう。
国境はまだ開いてないようで、人がたくさん集まっていた。
ところで陸路国境を越える時に、日本人が意識しなければならないこと。
それは国境を越えたら時間が変わることがあるってこと。
例えば、パキスタンとイランの間には、1時間半の時差がある。
また、イランとトルコの間にも、中国とパキスタンの間にも時差がある。
時